舞台美術プランとか劇場スタッフとか、

かつては写真とかもしてきた、松本謙一郎のサイト。


今(2010年〜)はもっぱらツイッター( @thinkhand / ログ )で、ブログとしては更新してませんが。
最近は主にもろもろの告知とアーカイブ、ポータル的編集記事など。

2008年あたりは、割と色々書いてます。






























知られざる世界

連続模型「再クラシカル〜」打ち上げ終わり。
もう始発が動いている時間ではあるが、まだ工房・六尺堂を開けられる時間ではない。
荷下ろしは9時の予定。
二次会のカラオケに流れる一団に加わっとけばよかった、と別れてから思ったが。

荷下ろしてみるとけっこうなボリュームで、これは行かなくて正解だった、と思い直す。





荷出した時の記憶はあんまりボリュームのある感じではなかったのだが。
現場で切って、まとまりがなくなった木材とかが、整理つきにくくしてるからか。単純に使い終わったものであるということの印象も大きいかもしれない。

榊原さんは、手伝えなくてすみませんと言って、次の荷下ろし場所に同乗して行ったが、片づけ物に関してはけっこう人の手に任せにくいことも多い。

ゆっくりまったり午後までかけて片づけて、資材のバラしなどは別の日にすることにした。
公演が終わって使わない装置は、そのまま丸ごとゴミになることもあるし、丁寧にバラして資材にする場合もある。
今回はドライバーの手配などの事情で廃棄に回せないので、出来るだけ細かくバラして、資材として流用するものと、ゴミにするものを仕分けることになる。

演劇がどうやってつくられるのか?というのは、なかなか観客に知られないメイキングの部分だが、公演終了後のカタしやバラしは、役者でも経験がない人もいるであろう、さらに、知られざる世界だ。



なにもない空間

連続模型「再クラシカル〜」楽日(千秋楽 / 公演最終日)。
早めに劇場に入って、美術記録用に空舞台(役者がいない状態)の写真を撮る時間をもらう。
拾ってきた流木とスチールホイールもダメ押しで飾る。




美術記録を撮っていると、出演者もそれぞれに携帯画像で撮ったり、舞台上を動きながら動画を撮ったりした。
舞台上を動きながら撮りたくなる装置ではある。
実際につくることはなかったが、プラン段階では両脇を取り囲むような客席も配置してみたし、円を取り囲むサーカスの舞台のような空間はイメージしていた。
出演者も観客といっしょに、円形舞台の中を覗いているような感覚になるポイントが色々なところにある。
微妙な傾斜の感覚は実際の空間・体感でないと、静止画像では記録出来ないが、動画なら若干伝わるかもしれない。

撮るには撮ったが、空舞台で美術記録を撮影しておくのにも、少し飽きてきた気がした。
やはり本当のところは記録しきれないし、役者が立ってこそだし。



ゲネも撮ってはみてるが、やはり完成形は観客席が埋まって初めてのものだ。



終演後、怒濤のバラし(撤去作業)に。退館時間まで2時間半。
劇場さん側の1時間くらいオーバーするのではないか?という予想からはマいて、30分オーバーくらいですべて完了。
バラし終盤はトラックで積み込んでいたのでわからないが、劇場から出る分にはもう少し早く出ていたかもしれない。
だいたいの物が搬出されて、なにもなくなってからチェックとか細々した時間がかかるものだから。
しかし、劇場が「なにもない空間」に戻るから、というタイトルではない。

打ち上げで、榊原さんと話していて「いつも床(の高さ)を上げますね」と指摘される。
実際、榊原さんと組んだ過去の二公演ともそうだった。
その過去のケースでは、座り芝居を見やすくすることや、日本家屋として機能させることが目的であったが、今回のように傾斜をつけたり、照明を床下に仕込んだりするために好んで使うのは確かだ。
日本人の感覚で、舞台空間の基本として「能舞台」を常に意識していることもある。

しかし、もっとシンプルでミニマムに「床」というものを舞台空間の基本要素として考えている。
「床」材にこだわることも多いし、「床」の素材が決まるとプラン全体が見えてくることも多い。
たとえパンチカーペットや、ベニヤというもっとも一般的な素材にする場合でも、一見安易に何もしない場合でも、積極的にそれを選ぶ理由を考えるようにしている。

なぜなら、幕や壁がなくても、役者が何にも触ったり座ったり、つまり装置と関わることをしなくても、役者がそこに立つ以上、最低限何らかの「床」(それは地面かもしれないし、剥き出しの平台かもしれない)が接点を持って、そこにあるから。
だから、もっともディテールやリアリティについて考える必要があるし、たとえ観客に見えなくても役者に作用することを考えなくてはいけない。

最低限何があれば、演劇(あるいは舞台芸術)が成立する空間がつくれるかというと、舞台上(演じる側が立つところ)と客席(観る側がいるところ)があるということだろう。
それは何かを敷くことだったり、一本の線だったりするかもしれない。
「床」に属することが多いものだと思う。
だから、舞台美術プランとしては、まず客席を入れた平面図を欠くことはない。
「床」がなんであるか考えない、なんてことはない。

こんなことを話したら、榊原さんがピーター・ブルックの本(「なにもない空間」であろう)にも近いことが述べられていたと、応えた。
「なにもない空間」を知る前に、多分こういう指向にはなっていたと思うが。
もともと、舞台芸術というか芸事の入口を「落語」として育ったことの影響はある。
舞台美術を続けるうち、自分の得意や嗜好としては、つくる物を出来るだけ減らして、その少ない物のクオリティを上げたいという考え方に至った。

なんであれ自分のしていることに対して、突き詰めて「最低限なにがあれば可能か?最低限どうだったら成立するか?徹底したらどうなるのか?」と、極論まで考えてみる思考実験は意味があると思う。
考えた結果、極論のところでそれをやるにしろ、やらないにしろ。
「演劇」でそれを考えると、ひとつはどれだけ観客の想像力を利用するか信用するか、という話になると思う。それが、日本の現代演劇における五反田団チェルフィッチュの表現には、その結論がある。

もちろん、想像に任せるのでなく、現物がそこにある強さも、演劇の強力な武器を突き詰めた一つの結論だろう。テレビや映画といった「まさに現物がそこにある」かのように伝える映像の出現によって、首位を奪われた部分がある現在でも。
だから、「なにもない空間」という話とは反対だが、あるはずない物がまるで本物のようにそこに建っている舞台装置の威力というものもまた大きい。
今回の連続模型のプランにおいては、電柱がそれだったと思う。

しらす丼、しぐれ煮

桃園会の深津さんのブログを真似て、食べ物をタイトルにしてみる。



4/26 ロケハンで静岡へ。流木をいくつか拾う。
いかにも地元の食堂、を見つけて入り、しらす丼を食す。
正確には二色丼。生しらすと釜あげしらすの二色。
実は生しらす、というのはけっこう稀少なものらしい。
写真はロケハン場所と微妙に関係ない画像。
こういうディテールを、装置の参考に撮っても、実際に思い出して見ることはあまりない。
目的なく偶然見返す中で、イメージが上塗りされる。
あくまで自分の頭の中にストックされたイメージが、必要な時に生きる。

意外に早く都内に戻れたので、連続模型の本番二日目に顔を出す。
ちょっと工具類を片付けで、提灯の吊り足しなどについて話す。
申し訳ないが、照明さんには毎日、仕込み(照明器具の設置・配線 / 吊り足し)をしてもらう結果になっている。
一般的な舞台照明だけでなく、電飾や提灯のような装飾が多いせいだ。
この公演規模程度の人員や時間では、手が足りなかった。

初日とは違う場所から、本番を観てみる。
終演後、飲みに行ったら終電をなくす。


4/27 ロケハンで群馬へ。天気がいい。昨夜のアルコールが昼くらいまでぬけない。
錆びたスチールホイールを拾う。
写真はロケハン場所と微妙に関係ない画像。気持ちのいい場所。
車で移動しつつ昼飯をとる場所を探すが、のどかな風景の中にポツンとある定食屋に入ってみる。
ちょうど鳶職風の客が出てくるところ。これは、当たりかも、と直感する。
牛肉のしぐれ煮を食す。ちょっと味が濃く辛いが、美味い。ボリュームもある。
他のメニューも、総じて値段の割にボリュームがあった。
アジフライなどちょっと見ない大きさだった。


知らないところで、知らない店に入って美味い、というのは楽しい。



粘る。遊ぶ。

連続模型「再クラシカル」劇場入り三日目。本番初日。
昼間にゲネ(ゲネプロ / 本番通りのリハーサル)があって、夜本番1ステージ目の幕が開く。
昨日、一昨日、と照明作業を優先して塗り残していた箇所を、朝一番に塗る。
昼から舞台上を渡すまでに乾くように。
そして、本番に向けて色々な物、工具資材や塗料の片付けに入る。

すでに当初の美術プランで予定していた完成形プラス「出来たら」と話していた箇所・劇場に入ってから(特に照明の具合を見て)直したくなった箇所、も完成に達した。
しかし、今朝思い立ったことがあり、粘って作ってみることにする。

ゲネ中も、様子も見つつ、余っている資材で作業を続ける。



モニターに映るゲネの様子。




客席に建てた電柱の足下に、コレをつくってみた。
気づいてくれるお客さんがいたらいいなあ、と。
こういう「遊び」が、また楽しい。

阪本順治監督「ぼくんち」で執拗な数登場していたのを思い出して。
派手なものを建てるとかでなく、こういうことでも映画美術のワザとして世界をつくることが出来るのだなあと感心した。
なんていうことはない物でも、同じ物が圧倒的な量あることで、空間がつくられたり変容したりする。

映画全体としても、原作ものは何かと比較されて酷評されがちだが、熱烈な原作西原理恵子」ファンとして納得できるものだったと記憶している。
原作ファンとしても、これはこれでアリ。
そもそも、原作の完全な再現・映像化などはナンセンスなのだと思う。
映画は原作の味を残しつつ、しかし独特の世界・監督の作家性が出ていたのがよかった。
特に「オクラホマミキサー」の現実から浮遊した感覚のシーンは、演劇的フィクションでもあり、非常に映像的で、映画であることの意味が感じられた。

初日、無事幕は開き、初日打ち上げ。
始まったら、もう終わるだけ、というのも悲しいが、千秋楽後に向けての打合せもする。
明日は現場を離れるが、照明さんに残っている提灯をもっと客席に吊ってもらうのもお願いする。



作品記録 / 再クラシカル 行フロンティア

連続模型「再クラシカル 行フロンティア 再演版」





2008/4/25〜28 @シアターグリーンBox in Box THEATER
作/演出・木村大智 美術監督・河野菜月 照明・加藤千里

               [ 作業記録 ]



「マツマコーラ」のロゴは、河野さんのデザイン
アルマイト看板も万国旗も昭和レトロのイメージから
(マツマ)コーラは戯曲上・物語上重要な設定として登場する
古いコーラグッズにはマニアもいてウェブで多くの資料にあたれた
昭和といえば「ALWAYS 三丁目の夕日」の舞台はコーラ日本上陸の年




円形舞台は作演出のイメージとイメージ画にある
「月面のクレーターの中にある都市」から発想
そして、演出指向としての「サーカス小屋」から
矢井田瞳「Buzzstyle」PVを連想した

Buzzstyle http://youtu.be/2Y1yr65rSTE

作品主題からイメージしたのは「マワルソラ」の方
「ロボッツ」の主題歌というのも、作品内容と奇妙な一致
「再クラ〜」の主人公たちは、月に捨てられロボットだから




そして昭和レトロのイメージといえば電柱
客席にも電柱を立てる、足下にはちょっとした遊び



自分的にはティコ・ムーンのイメージを入れてみた
ビルボード(広告看板)背景パネル




舞台面は木質感と出しつつ同時に月面のイメージも入れる
針葉樹合板の節穴がクレーターのようでもあり


客電は提灯、これも昭和なイメージ


壮観

連続模型「再クラシカル」仕込み二日目。
午前中、照明作業の中、細かい補強など進める。
役者に動いてもらって位置が決まったものを固定する。
照明の具合を見て、細かい塗装の直し・汚しも加える。

手洗いに入ると窓からの眺めが壮観。
以前来た時とか、昨日は慌ただしくしていて意識していなかったのだが。



ここ、シアターグリーンの経営者はお寺なので。
圧倒される光景。
背後がビル群というのが、また異様。
墓地を見下ろすなんてあまりないことなので、ちょっと罰当たりな気分にすらなる。


音響の北さんが、舞台装飾用に用意した一斗缶を、生音響効果として使ってくれることになった。
ちょっとしたスチールドラム。

北さんはDJでもあるので、色々生音で出したり、充電ドリルの音を録音して効果音つくったり、劇中のアナウンスを生でエフェクトかけてやってみたり、客入れ中のマイクパフォーマンスもしたり、とても楽しい。

一斗缶のベコンベコンした音は、装置製作中から気になっていて、何か使えるんじゃないかと思っていたが、さすが現場に入ってからの発見と適応力がすばらしい。
一斗缶は基本三面のみ塗装していたが、一つだけ四面塗装したものを、公演終了後、北さんに進呈することにした。


電柱が建った

連続模型「再クラシカル 行フロンティア」@シアタ−グリーンBox in Box theatre
仕込み(舞台装置施工)初日。
団体側・舞監サイドでも二人ほど、美術サイドでも数人応援を呼ぶ。
出演者合わせると15人程度が舞台班。

2tロングトラックには余裕のある物量だが、長い物など5階まで階段上げがあるのがヘビー。
装置など搬入している間に照明作業が先行する。
搬入後に全員集まって、図面を配り、まずは打合せ。

今回の美術プランには、向きや形が斜めとか、傾斜とか、微妙な傾斜とか、丸いとか。
まあ、確かにやや特殊なことが多いのだが、そのため割とスキルのあるスタッフにも
「複雑すぎてよくわかりません」
とすんなりとは理解してもらえなかった。

順調に進んで、電柱が建つ。客席にも建つ。空間が変わる。
トラックに積んでいた物量からすると意外なほどボリュームがある。
不思議な空間になった。
舞台上に立ってみると、自分で言うのもなんだが、どこが正面かわからない不思議な感覚になる装置になった。
計算してはいたが、計算を超えたことが立ち上がってくるのが楽しい。
これは、一番最初の打合せの席で、演出の木村さんと話に出ていたことでもある。



仕込みの記録というのは、あんまり残ることがないので詳しく載せることができないが。
これはすでに、だいたい装置が建ったホールアウト(退館)時間直前の様子。
舞台上に置いた一斗缶は、塗り立て注意の表示。
間違いなく触ったり踏んだりするとこと、乾くのに時間がかかるところの色直しは、こうして帰る間際にやって、翌朝までに乾かすのがセオリー。

帰り道

朝から工房のミーティング。
作業中なので、合間合間で参加。
午後からは工房の美術家仲間であるハカマ団にも手伝ってもらう。
以前、仕込みとか作業とか手伝ったのとチャラで。
技術的なこととか、工房の使い勝手とか、言わなくてもわかっている人の手伝いがあるのは楽でよい。

夜、舞台監督の榊原さんから連絡。
トラックが遅れているとのこと。
工房の積み込み時間は22時までと制限がある。
最悪の場合も色々想定したが、危惧したより早くトラックが到着し、なかなかの勢いで積み込んで送り出した。

一息ついて話したり、まったりと掃除、片付けしていたら、けっこうな時間になった。
あんまりちゃんと手も洗えないまま工房を出る。終電近く。



帰り道、駅のホーム。
帰り道というと泉谷しげるの名曲があったのを思い出す。



再クラシカル作業記録

連続模型「再クラシカル 行フロンティア 再演版」
作業記録。
4/18〜22 5日間。五反田・六尺堂にて。
手伝ってくれた人、戸田さん・榎戸さん・森口さん・ハカマ団。のべ5.5P(人)。
のべ作業時間 h / 1P(人)= 約 140hP。


このhPていう単位は、まったくの造語だけど、作業量を考えたり記録するのにいい単位かもしれない。
以前仲間内で、その現場が「どれくらい大変か」ということを表現するのに、某劇団名を単位にするというネタでおおいに盛り上がったことはあるのだが。
それよりも普遍的だ。

1P=のスキル、力量を一定にしないといけないが、時給1000円もしくは日給1万円払ってもいいくらい(見習い・学生、ではない)と考えたらしっくりするだろうか。
基準参考値としては、大道具とか職人さんは、発注金額で日給(8h)2万〜3万。本人の手取りで1.2万〜1.8万くらいのところか。
それ以下の場合は知り合い・ボランティア。小劇場演劇の場合はけっこうその場合も多い。

hPをたくさん必要とする作業や装置ほど、たくさんパワーが消費されて疲れる。
ていうのはゲームっぽい。
しかし、このhPは何によって回復されるのか?
出来上がった芝居が面白かったら、少し回復されるかもしれない。


4/18 貫板を切り出して、木箱を組み上げる。左手前の組み方が当初意図したところだったが、組んでみたら後ろのほうがよかったので変更。ボンドづけして、エアタッカーとフィニッシュネイラーで打つ。それだけで、割と強度も出るし、板を割ることもない。


4/18 無垢で買ってきた一斗缶にペイント。縁はマスキング。赤はのりにくいので、下地を一回塗ったあと何回か重ね塗り。


4/19 広幅貫で下見張りの外壁パネルをつくる。裏から打ったり表から打ったり。



4/19 曲面を切るためのジグソー。そして下敷きにする発泡スチロール塊。発泡を下敷きにすることで、安定するし、余計な物を切る心配なく自由にジグソーがとり回せる。


4/19 作業休憩所・通称「オレンジルーム」の窓越しに。ここでPCを広げて図面を引いたりもする。無線LAN環境があるので、メールなど連絡やネットでの調べものもする。


4/20 板張りに、波板トタンの壁と屋根がついて、家らしくなる。搬入のため、各パーツはバラバラ。これは仕上がりイメージ。


4/20 塩ビ板を切り抜いた抜き型で、ロゴをスプレーする。ここからさらに汚し。


4/21 工房で作業している他の人の反応だと、このシルエットだけで「ディズニーランド」のイメージが伝わるようで、成功。第三者の反応というのは大事である。


4/21 焼いて削って、シャブ(薄い塗料)をかける。木箱たちはまだ下地。さらに仕上げが入る。



4/21 見えない部分に組むことがほとんどの「木足」だが、あえて今回は見える・見せるように組むので、あらかじめ塗って仕上げる。



桜、散る。雪景色

外に出てみたら、昨夜の嵐で、毎年遅咲きの近所の桜が散っていた。
一面に散った桜はまるで雪景色。

舞台上の紙吹雪が、まったくリアルでないことを観客はわかっている。
しかし、イメージとして雪が降るのを表現するのに、こんなに常套的かつ効果的な方法もない。

紙吹雪そのものは、むしろ散る桜の花びらに近いと思う。
舞台上の紙吹雪には、桜が散るイメージも込められているのではないか?
少なくとも日本人には。

そうして、雪でも桜でもリアルでもない、しかし舞台にしかない何かが生まれる。

「演劇的な仕掛けと構造──これがなければ、いかにその台詞が優れていても、どれほどその物語がおもしろくとも、それは演劇ではな(い)」という、岸田戯曲賞選評の井上ひさしさんの言葉は明解で力強い。

紙吹雪が積もった舞台で。
たとえば深津(篤史)さんの「うちやまつり」など、どうだろう?と想像してみる。






ジプシー

連続模型の装置製作作業目前。
図面作図をガシガシ進める。
もろもろ調達は終わりつつ。
材料となる資材がそろってくる。
入手に奔走(ほぼ、ネットと電話の上でだが)した「ある物」が届いた。



これはちょっとすごい存在感だ。
やはり本物は違う。
こんなのは作り物や、絵で表現しようと思ってもちょっと追いつかない。
演出家に
「手強い共演者です」
とメールして、画像を送った。
子供と年寄りと動物には勝てない、と言うが、ホンモノの「木の電柱」にも要注意。

工房の装置貯めラックが満杯になっていたので、メーリングリストに「難民発生」とメールして、本来解体物置き場のところに貯め置きした。
ラックにあぶれるのを、工房内でいつの頃か「ラック難民」と呼んだりしてる。



しかし、以前相模大野のころは、もっと手狭で、みんな難民状態だった。
台車に載せていつでも動かせる状態にしたり、外に出してスペースを確保してみても、雨が降り出したら
潜水艦の急速潜航時のような慌ただしさで片付けたり。
もともとみんなジプシーだった。

実際、小劇場演劇の製作状況というのは知らない人から見たら驚くような、稽古場ジプシー・作業場ジプシー(固定の場所を持たない)がまだまだ多い。
某大学の構内までリヤカーでいちいち運んでは作業していた人の話も聞いたことがあるし、近いことをしたこともある。
某劇場の屋上で作業していた話も聞いたことがあるし、実際同様なことをしたこともある。
ジプシーでなくても、自宅や実家の軒先で装置製作なんていうのも多い。
そんな状況下で、ここはとても恵まれた環境だ。

ジプシーと言えば、だいぶ前「PASSENGERS」というバンドがあって、だいぶ好きだったのだけど、代表曲に「Gipsy」というのがあったのを思い出した。



社会化

異なる社会と接することで、社会化されていく。

今回の舞台美術プランでは、普段ルーティンになっているのではない素材・物が多数必要で、使いたくて、調べては連絡をとり交渉している。
その先々で、予想以上に真摯に親切な対応に出会って、それだけで救われる。
無理かな、と思ったことがなんとかなっていったりもして。
木材加工・産廃屋さん、古材屋さん、運送屋さん、電設資材屋さん、レンタカー屋さん。

舞台装置に使いたくて。予算が・・・。という説明を先々でする。
こちらの特殊な事情を理解してくれたり、場合によっては面白がってもくれたり、協力してくれたり。
少ロットでも丁寧に対応してくれたり。

こういうことで演劇がより社会化されていく、より社会的認知度が高まっていくということがあるのかもしれない。
いつもやっていることだけでなく、積極的に新しい接点を求めて行くべきだなあ、と思う。

有言実行

携帯をイー・モバイル携帯に変えて、データカード込みのプランにした。
電話番号告知のついでにメールアドレスも完全Gメール化を進めた。

Eモバイルの使い勝手の良さを見てから、導入する導入すると言っていて、携帯まで出た日には乗り換えると宣言していて、言い出してからずいぶんたってだが、ついに秋葉原の量販店に寄るついでがあったので踏み切った。

目下の現場で、稽古場などでもつねに場所を選ばず検索をしたり、Googleグループの機能を活用したりする必要性を強く実感したせいもある。

子供のころ、不言実行というのは「言わなくてもやるべきことはやる。無駄に吹聴しない」という美学で、有言実行というのは「言ったことは必ずやる誠意。うそはつかない」という道徳のように教えられた印象があるが。

実際には有言実行というのは、言った以上やらなくては引き下がれなく、自分を追い込んで物事を為すための人生訓、処世訓、として機能しているのかも、と思った。
スポーツ選手や有名人の成功談によくある、イメージトレーニング的なエピソードにも、近いものがあるかもしれない。

下見の極意 / 空間の発見

今日は、トリガーライン11月公演のために明石スタジオを下見。
同時に、目前の5月の公演の打合せも。
演出・林田さん、照明・松本永さんといっしょに。

三人とも知っている劇場だし、永さんは何度もやったことある劇場で、今さらと言えば今さら。
まだ半年以上先にも関わらず、今のうちに空間が空いた状態での下見と打合せを強く主張したのは自分である。


ちゃんと、空間を見て、やりたいこと出来ることを考え、5月の公演には次回仮タイトルや作品もチーフを決めて宣伝したほうがいいということがある。
そして、トリガーの今まで三回の公演は年一回ペースの上、その一年の準備期間の間決してハイペースに物事を進められなかったことから、今年の5月・11月というペースに焦ってでもある。
さらに、トリガーは今まで三回の公演、次回5月の公演、がともに王子小劇場とアトリエヘリコプター、という舞台美術家(自分)にとってホームグラウンドの劇場であるというアドバンテージが常にあった。
11月は初のアウェイと言える。
心してかかる必要がある。

しかし、どんな団体・公演でも、ホントはこうやって早い段階でスタッフもそろって、空間を知る時間を持ちたい。
演劇は空間に大きく左右されるので、逆にそこから得られるものは大きい。
トリガーは、すでに各スタッフが馴染みで、台本も構想もゼロの段階から一緒に考えることの出来る座組みになっているので、割とこういうことが理想的な関係で進められる。

やや、遅れて劇場に着くと、その短い時間空間を見た林田さんと永さんの間ですでに、いくつかある作品モチーフのうち、どれにするか決まって盛り上がっていた。
ホントに空間から発見することは多い。
そして、アイデアなんてだれが思いついたものでもいいのだ。
照明家が勝手に空間の使い方や装置の建ち方まで提案すれば、美術家が勝手に作品に描かれるかどうかもわからないシーンの演出を提案する。

まだ見ぬ作品について語るのは、とにかく期待感ばかりが膨らむ時間だ。
目前の5月の公演については気持ちも入れ替わり、各セクションすでに腹をくくっていて、迷いのない感じで、短時間のうちに打合せが進む。
これも早い段階での打合せが功を奏し、アイデアを寝かせた時間が効いている。



一喜一憂

舞台監督の榊原さんも加わって、連続模型の打合せも佳境。
榊原さん、ホントは照明家さんでもあるし、自分も照明的なアプローチする美術家なので、照明さんいないところで、勝手にこんな照明効果いいんじゃね?とか考えて盛り上がる。

今日の稽古中にだいぶ色々なことが明確になる。
問題点、予算交渉が必要な点もはっきりしてくる。
もっとも重要で懸案だった「あるもの」に関しては、二転三転・一喜一憂して、今日は結局結果出ず。
予算に絡む、あることが引っかかっている。
打てる手はすべて打ったが。
しかし、粘りたい。
こんな「あるもの」を舞台美術で使えるチャンスなんてめったとない。


今日の稽古には、パントマイムやダンスなど身体表現を専門にしてる方が来て、動きをつけたり、ワークショップ的にレッスンをしたり。
特にダンスシーンとまでいかないシーンではあるが、こういう振付に近いこと・基礎的な身体訓練の時間があることは非常に大事なことだと思った。
すべての劇団に必要だとさえ、思った。
トレーナーやコーチのいない、野球チーム・・・スポーツチームがないことを思えば、当然のことだが。

だいぶ忙しくなってきた。
しかし、実はそんな中、昨夜は矢井田瞳ライブに行って来てたのだった。
当日になんとか予定を都合して、しかも現地の金券ショップでチケットをゲットしたのはラッキー。
アンコールで生声弾き語りの「手と涙」は、楽日スペシャルということでラッキー。
しかし、まさかの「休養宣言?」MC。
翌日の「サイキンノヤイコ」で「特に他意はなかった」のを見て、安心。
と、一喜一憂を繰り返す。



調達

連続模型の美術プランに必要な物を調達、予算を検討するため、ネットで調べまくる。
もっとも重要で懸案なもののめどが少しつく。
気がついたら、色々なサイトをチェックしていて、ブラウザのブックマーク機能では管理しにくい、後々生かせない気がしたので、Blogで記録してみる。
幅広く便利そうなものもあるが、まったく今回の美術プランに限って有用なものもあり、自分のためのメモでしかないが。
だれか見る人がいて、役立つ時もあるかもしれない。
まあ、本来Blogとはそういうものでもあるはずらしいので。

分類もまったく今回の目的本位なので、第三者が見ても意味がわからないところがあると思う。
いったい何考えてるんだか。

電柱・といえば、ここ
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富士シート・自動車用テントシート製造販売
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昭和レトロ倶楽部・レトロ玩具とか通販、デッドストック物あり
文具のイワサキ・仙台のレトログッズ屋さん
太郎と花子・駄菓子、おもちゃの通販
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環興・長野の廃材買取、古材販売会社
古材ねっと・民家解体、古材流通のサイト
古材の夢蔵・古材販売
ディー・ケー・ケー・枕木各種・ウッドデッキ材・木製古電柱販売
コウエイ・古材屋さん
エビナ製材・京都の材木屋、杉の道板など製造販売
室岡林業・新潟の材木屋、加工品も販売
WOOD PRO・デッキ材、杉板古材など
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ten tin doors・オリジナル家具、雑貨、アンティーク調のもの
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ダイソー・おなじみの100円ショップ
坂本空缶・色々、無垢の缶をあつかっている
信州名鉄運輸・そういえば以前も使ったことを今回思いだした
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城南電通・電柱看板の会社

演劇のモチーフの数だけ、美術プランのバリエーションの数だけ、調べることの幅は広がり続ける。



亀は意外と速く泳ぐ

今日は朝から変電所火災で、中央線が乱れていたらしい。
夜、連続模型の稽古に合流しようとしたら、少しだけあおりを食らった。
来る予定だった、舞監の榊原さんは合流できなくなり、打合せは日延べ。
稽古も開始が遅れて予定通り進まなかったらしい。

稽古後、演出の木村さんとだけ打ち合わせ。
美術プランの大まかな方針が固まる。
まだ盛り込みすぎている感があるので、予算や時間・手間とのバランスで取捨先端は必要。
もう少し色々な物の購入先や値段を調べて検討する必要がある。
今回は、そうやって調べるものがいつもより多い気がする。
12日に通し稽古があるとのことなので、それを見た上で決定に進めたいところ。

打合せつつ、やや脱線した話でも盛り上がり、終電をなくす。


仕方なく途中で漫画喫茶に落ち着く。
今日は昼間、移動のロスを減らし、電源とネット環境がほしくて一回漫画喫茶に入ったので、一日で二回目。
もったいないので、映画の一本も観る。
気がついたら、この24時間で、漫画喫茶に二回入り、映画を3本観ていた。
偏食する性質ではあるが、しかし。

漫画喫茶はすでに都市生活に欠かせない社会インフラになっていることを最近強く感じる。

映画、連続模型のプランの参考に「ALLWAYS 三丁目の夕日」と山田洋次監督「家族」を観る。
最新技術を駆使して「昭和」を再現した映画と、当時リアルタイムにドキュメントの手法で撮った作品、という取り合わせ。
共通する部分と、圧倒的に違う部分を考えることで、「昭和」を描くためのキーや、映像としてのリアル・リアリティに関して多くのことを発見できそうだ。
「家族」のほうは過去に一回観ていた作品だが、予想以上に印象強く多くのことを覚えていた。
最初観たときすでに古い映画であったことを差し引いても、現在観て色褪せてないのが驚きだった。
返却するまでにもうちょっと観直そう。

そして、漫画喫茶に入ってせっかくなので、前から気になっていた、三木聡監督「亀は意外と速く泳ぐ」を。
意識的な配色がポップ。
ナレーションの使い方・カット割り・構図のセンス・ユーモアの効いた言い回しや切り口・主人公のキャラクターが負っているモチーフ、といった数々の映画の文法ともども、「アメリ」との共通点を感じる。
しかし、こちらのほうがよりヴィビットな色使いや、フィクションが強い遊び方で、ややキッチュ。
演劇的・舞台美術的なアプローチの強いビジュアルに仕上がっていると思った。
より「シュールな笑い」にも寄っている。
映画全体が、ナンセンスと呼ぶのにギリギリ、絶妙な匙加減のコメディであることと、最低限現在の日本であるという世界観を踏み外さないことで、こういうフィクションが強い遊び方もOKになっているのだろう。

エンドクレジットによると「三浦」なのであろうロケ地もまたよい。
「木更津」「下妻」とか最近、東京近郊の微妙な位置の町を舞台にした作品に面白いものが多いのには何か理由がありそうだが。

エンドクレジットによると、意外と文化庁の助成を受けていたりするのも発見。
映画でも演劇でも、そういう努力しないとなあ、と感心。

ホームセンター

連続模型のプランニング期間中。
明日は、再び稽古見して打合せ予定。
さらに具体的な形に検討を重ねる。

今日は、プランを考えるのに、また材料を物色したり値段のリサーチをするのに、豊洲のビバホームへ。
よくホームセンターでプランを考えることがある。


打合せや資料で入力したことや、スケッチの類、劇場や作業期間の諸条件など、すでに考える材料はあっても、自分の頭の中で考えるだけでは足りない。
材料から触発されることもあるし、予算との兼ね合いもある。

普段よく使う素材だけでプランするのであれば、改めて値段をチェックしに行くこともないし、物が絞れていれば電話問い合わせとかでも済むのだが、やはりやや目的をルーズに持ってホームセンターの棚をひやかして回ることで発見すること、思いつくことは多い。
もちろん、どんなにがんばっても、ホームセンターの棚にある膨大な物すべてを記憶することも出来ないし、正確にメモして持っておくことも出来ないし。

ただ、自分の頭の中にも「漠然とした脳内ホームセンター」は日々つくられてるのだろうな、とは思う。
頭の中のホームセンターがいつも限られた品揃えでは面白くないので、新しい物も仕入れたい。
しかし、これは必要になった時に探し始めるのだけでは間に合わない。
日々、見る物に興味を働かせておく必要がある。
脳内に「使い方はわからないけど、何かに使える物BOX」をつくる。

だから、目的とは関係ないところも、ぶらぶら見てみたりする。

工房(六尺堂)に寄って、目下の工房の状況も確認。
作業予定の調整などは、メールやウェブでのやりとりでこと足りるものの、これも実際しばらく行ってないと状態がつかめないことがある。
他の人がつくっている物、使い終わった物の中から意外な発見があることも。
ネット環境もあるので、ここで考えたり、調べたり、メール作業するのは快適。
広いところで考えると、頭の中や図面だけで考えるより、空間が想像できる。


調べる

Googleのアカウントでそのまま開設できるというのと、きっとサーバもしっかりしてるだろうということで、このBloggerで始めてみたが、カスタマイズしようと本屋を探してみても、解説本が見つからなかった。

しかし、検索とかして調べてみると便利なもので、こんなサイトがあった。

早速「続きを読む」機能も無事導入。
おって、レイアウトももうちょっと工夫してみたりしよう。

パーティー

五反田団の前田さんが岸田戯曲賞を受賞した。
その授賞式・受賞パーティーに行く。

きっとパーティーでは、あまり腹いっぱいにならず、飲んでばかりになってしまうだろうから、先に何か軽く腹に入れておこうと、途々神楽坂で気になる店のひとつも見つけるのを期待していたが、時間が迫って何も食べられないまま、会場へ急ぐ。
途中、ハイバイの岩井さんに声をかけられ、一緒に会場へ向かう。
入口近くで、後ろからキチっとしたスーツ姿の人がやって来たと思ったら、今回受賞作の舞台監督で、京都・劇研のハマシュウ(浜村修司)さんだった。
まったく普段着であるわれわれ二人を見て、

「わざわざスーツで来たのに。必要なかったか・・・」
と悔しがって見せたが、出迎えてくれた五反田団の榎戸さんが、着流しに羽織姿だったので、
「大丈夫ですよ、ほら」
とフォローした。
実際会場に入ってみると、女性はおおむね着飾っているし、スーツやちょっとした正装のほうが多かった。

会場には、知ってる人知らない人が、100人近くはいただろうか。
ハマシュウさんに、
「どのくらい(顔が)分かりますか?」
と聞かれた。
「多分、7割くらいは。全体の3分の一から4分の一くらいは青年団員じゃないですかね。あとは五反田団関係の人とか劇団。分からない3割くらいが出版社関係とかの人じゃないですかね」
と応えた。

前田さんに、選考委員の野田秀樹さん、岩松了さん、宮沢章夫さん、そして来賓の平田オリザさん、が談笑している5人ショットがわざとらしくつくられると、みんな殺到してカメラや写メのシャッターを切った。
演劇を知らない人にはピンと来ないと思うが、演劇的には豪華。
いったい何を話しているのか気になる画だ。
そこに、青年団の志賀廣太郎さんも無理矢理加えられて、古館 [ NOVA ](寛治)さんが「俺も入りたい」と乱入すると、一気に演劇を知らない人にもテレビ的にわかりやすい画になった。




終宴に近づくと、色々な人たちが無邪気に、さも自分が受賞したかのように、壇上で看板をバックに記念写真を撮った。もちろん、前田さんが入った集合写真やツーショットもたくさん撮られた。

全体にフォーマルな中にも五反田団らしさがある受賞パーティーで楽しかった。
二次会が会場の近場でお歴々を囲んで、というのではなく、いつものように五反田のアトリエで行われたのも五反田団らしかった。
アトリエの二次会にも、お歴々が来たら面白いのにと思ったが、さすがに来ることはなく、平田オリザさんがスペシャルなぐらいで、知った顔ぶれの、いつもの打上げとなった。
いつもの、平台をテーブルに、ブルーシートをテーブルクロスにした、手作り料理のパーティ。

受賞パーティーで空きっ腹に、割と飲んだのもあり、二次会は半ばでリタイア。
アトリエの和室で早々に横になって眠った。
深夜、眼を覚ますと、榎戸さんが着物に襷がけという板前のような姿でアジを焼いていた。
まだ起きている数人で、再び飲む。
アトリエや和室には、ゴロ寝している人々が転がっており、これもいつもの風景。

地下鉄に乗って

連続模型の打合せ、および初稽古見。

稽古場に行く前に、本屋で今回の参考に映画「続・三丁目の夕日」のムック本と、先日参考に観た映画「地下鉄に乗って」の原作を買う。

稽古場では、残りわずかに上がってなかった台本があがっており、昼夜の稽古のうちに割と多くのシーンを観ることが出来たので、稽古後の打合せに向けて、全貌が見えてよかった。
稽古見つつ、さらに参考資料のターゲットを広げてネットで調べる。


稽古後の打合せでは、先日の打合せをフィードバックしたイメージ画を美術監督の河野さんが描いてきており、こちらは参考資料と稽古を見ながらざっくりと引いたラフ図面を提示してみる。それに対して演出、照明からもアイデアが出る。
イメージ画や参考資料に対するそれぞれの反応の中に「思っていた通り」に合致する部分を確認し、意外なアイデアを発見していく。

今も電柱はあるのに、電柱というと「昭和」の、それも30年代〜40年代の代名詞的イメージになるのは、街並みが低かったからだという事を、打合せの中、イメージ画と資料画像から発見した。
今回、キーになりそうな、昭和の風景、電柱、コーラ、などに対して一同が持っているイメージに不思議なくらい共通な部分があることも確認できた。

次は自分が、実際に使える素材や予算・施工法や作業時間を考慮して、現実的なプラン化・図面化する。


帰路、浅田次郎「地下鉄に乗って」を面白く読み進み、そのまま読了してしまう。
映画を先に観ているので、物語を追わずに文章を愉しむように流して読める。
文章表現が味わい深い。
これを映像で表現するのは、なかなか難しいだろう。

実は、映画を先に観て、賛否に分かれる感想もネットで散見し、果たしてどういう原作をどう考えて映画化したのか?
その映像化するための発想を、逆から辿ることで知りたくてもあって読んだ。
ちょっとした美術の勉強。

地下鉄・永田町駅が異界への入り口になっているという空間の使い方の上手さは、原作・映画ともに共通することだ。
原作においては、まずその場所に着目したことが、大きい。
映像としては、だれもいない地下鉄ホームの空気感と、役者の肉体というものが大きい。
物語への期待感がふくらませ、非現実的な出来事に説得力を持たせている。
こういう空間を設定するだけで、きっと面白い芝居の何本かも生まれる気がする。

ネット上の感想を見ると、セット美術への批判が「テーマパークのようで、安っぽい、偽物っぽい」というような形容で散見されたが、これは単純に装置が悪いということではないと思った。
なぜ、テーマパーク的偽物に見えてしまうか?ということは、今回の連続模型のプランでも考えるべきポイントだ。
限りなく実物っぽいのに、絶対に実物ではないことを知って見ているということは、大きいかもしれない。
そして、イメージとして過去のビジュアルは往々にして、リアルとは別に、あるトーンを帯びていたり、荒れた画質のフィルムであったりバイアスがかかっている。

映画自体は、親子関係をメインに、そのクライマックスシーンを描くために、正面切って虚構を据えた、むしろ演劇的な作品になっていたと思うので、実は偽物に見えることとかは重大な欠点ではないと思った。
虚構と気づかせないでいてほしい観客には、そこが引っかかったのではないかとは思う。

映画のほうが、親子関係に比重を置いていて、虚構を前提とした感動物語になっているが、これをよしとするかどうかは個人の好みだろう。
予告編でも、物語の展開を予測させるようなカットを流していたし、予測した感動を楽しむべき映画だったのだと思う。原作にも共通するが、SFとして観ると、やや都合が良すぎるところや、理由の説明がないところもあるのだろうが、そこは突っ込むべきところではないだろう。

原作のほうは、あくまで小説というものの性質を生かして、現代の説話として説得力を持っていると思った。



助けない装置

今日はトリガーラインの稽古場に。
いつもは、素早い転換が多く、時空間の移動がある作品なのが、今回空間の移動がない作品ということで、なかなか勝手の違いがあるのを感じる。
病院の屋上という場所の設定と、基本的に主張する物があまりない美術ということでスタートしているので、役者が頼れる物が少ない。
椅子さえ余分、座ることさえ不自然な瞬間もある。
何もないところに、ただ立ったままいる、というのが実は意外に難しかったりする。

美術や台本ががんばって説明しなくても、そこがどういう場所なのか?ということは大抵の場合、5分もあれば観客には分かる。
そして今回はかなり作り込まない空間で、役者は演技のみで屋上という場所の空気を、状況や時間の変化がありつつ、維持し続けなければならない。
維持できないと、観客には屋上であることが了解されているので、ウソっぽく見えてしまうだろう。

トリガーラインの第二回公演「KCN」の時の装置は、一段低くした舞台の縁四面に自由に座ることができるといったプランで、これはフレキシブルに転換する演出と、役者の演技を大きく助けるものだったと思う。

今回の装置は観客の想像をかき立てるのを助けるが、なかなか役者を助けることをしないものになる気がしている。

入力と熟成

今日は夜、急に4月末に舞台美術をやることになった連続模型の二回目の打合せがある。

この団体は、「美術監督」として、まず演出イメージを絵にする方がいて、チラシイラストも描いており、作品のトータルイメージの統一を図る、という演劇では割と珍しい体制をとっている。
やや、映画の美術監督に意味合いが近い気がするが、グラフィックも扱っている点で広告業界などのアートディレクターにも近いかもしれない。
演劇にもあってもいいかもしれない、他の業界から見たらいないのがおかしく見えるかもしれない。


こういうポジションの人がいなくても、特に台本も完成していない場合は、一番最初に出来上がるビジュアルイメージであるチラシイメージを演出イメージの拠り所にしてよく打ち合わせるが、さらに専門のポジションの人がいると、どんなことになるか楽しみではある。
つくり上げる物は言葉になったりならなかったり、ビジュアルになったりならなかったりするものだから、拠り所になる物はビジュアルも言葉もあったほうがやりやすい。

一回目の打合せや、台本、チラシ、劇場の下見をしただけでも、色々なアイデアやビジュアルは浮かぶが、まだまだ固めずに打合せに向かおう。
時間はないのだが、まだ固める段階ではなくて、色々入力する段階だ。
稽古場も早く見たい。
思いつくことは下調べしてみて打合せに向かう。

同時進行中のトリガーラインの方は、すでに進んでる方向性のアイデアを熟成させる期間。
だいたい大きなネタ元は拾った感じ。
自分が写真とグラフィックデザインもしたチラシが先日あがってきたところ。
稽古場から取り入れられることを取り入れて、そろそろ照明家との二回目の打合せもしたくてたまらない時期。
入力したことを自分の頭の中だけで考えるだけでは煮詰まるので、他のスタッフだったり、役者の肉体だったり、他の人を介した化学変化が欲しい段階だ。
ちょっとアイデアが熟成してきたところでこれをやるのがいいんだと思う。



始める

blogを始めてみることにした。

新年度というのは特に意識してないけど、身の回りの起こっていることが、やはり新年度ということで何か影響あるのかもしれない。
色々なことが展開してはいる。

そんな中、梅田望夫著「ウェブ時代をゆく」を読んだのはきっかけにある。

それに加え、目下関わっている演劇や映画のプロダクション(座組み)の仕事の進行に、Googleグループの利用が不可欠だと思い、いろいろ設定していた流れでもある。
グループの機能やメーリングリストだけではなかなか共有できない情報も多く、こうやってblogに書くことで少しでも共有できないものか?という必要と可能性を感じた。
自分なら、目下仕事で関わっている人がblogを書いていたりしたら、けっこうチェックして打合せにのぞんだりするし。
逆に、少し疎遠になっていても、何をしているのか思い出したようにチェックしてみたり、便利だと思ってはいたし。

そして、永らく会ってない旧い友人などと、近況をメールでやりとりするのに、自分の身の回りで起きていることが多すぎて、まとめられなくて、そしてどこから書いていいのかわからなくなるということがあって、日々書いてしまおうと思った。

あと、現代美術家の榎忠氏のサイトを見てすごく格好良かったので自分のサイトをblogでいいんで、持ってみようかと。

劇場のblogとかは他の人が書いてたら「いいや」って感じで続かなかった、という去年の反省もあり、個人blogで色々やってみる。