舞台美術プランとか劇場スタッフとか、

かつては写真とかもしてきた、松本謙一郎のサイト。


今(2010年〜)はもっぱらツイッター( @thinkhand / ログ )で、ブログとしては更新してませんが。
最近は主にもろもろの告知とアーカイブ、ポータル的編集記事など。

2008年あたりは、割と色々書いてます。






























無重力ドライブ作業記録 3

8/31 工房(六尺堂)で
JBJJP「無重力ドライブ」の作業三日目。
小道具の田村さんが手伝いに来てくれ、まず小道具と舞台美術の絡む部分に関して打合せしてから作業に入る。

パネル類の製作に入る。
今回はパネルも床材と同じMDFを使う
ベニヤに比べて柔らかいのでタッカーの刃が
深くなりすぎないよう注意して打つ
MDFは曲がりやすく曲面をつくるのに便利だと
今回の作業中に気がついて即実用する


パネル裏面 補強のためのベニヤ
通称「バタベニ / バタ」を要所のつなぎに入れる

先日の色見本をもとにして色を作る
手伝いの女子美の学生に任せてみる
ペンキ屋の職人さんならいとも容易いが
慣れないとこれがなかなか難しい
美術の授業で色相とか色立体とかあるが
機会がなければ何の役に立つのかピンと来ないだろう
こうやってはっきりとしたイメージ(見本)に色を近づける
作業などする時には色相や混色の知識が役に立つ
実際には経験とか勘が必要になるのでそこは訓練



9/1 「無重力ドライブ」作業四日目
この日で作業終了のめど。
試しにポストイットに残作業の書き出しをしてみる。
一枚一枚に作業時間や、作業者、内容の詳細を書き込めて、順番を入れ替えられるのが、思考の整理に非常に便利だった。作業が進むにつれて減っていくのが視覚的にわかりやすく、気持ちいい。
今後、どんどん応用したいと思う。

パネルのタッカー痕やつなぎ目はパテ埋めして
サンダー(サンドペーパー / 紙やすり
による研磨をする電動工具)をかけて仕上げた

ちょうど解体作業していた団体「サンプル」から
木足をもらって切断、変造して流用

コンパネでつくった窓の見込み(厚み)部分は
椅子製作時と同じくプライマーを下地塗装した
MDFはベニヤやコンパネなどの合板と違って
板の色が出てきたり剥がれたりする心配がない

仕上がったパネルを塗装して完成

これはピンポイントで天井になるパネルだが
仕掛けを隠す厚みをつけたためパネルというより
箱というボリュームのものになった
丸穴は工房にあった300mm直径のボイド管端材を利用

作業はこれで終了なので翌々日の荷出しのため
積み込みしやすい入り口近くに装置を集めて工房を出る

無重力ドライブ作業記録 2

工房(六尺堂)にて、
JBJJP「無重力ドライブ」の作業二日目。
前回作業の続きで、椅子の組み上げから始める。

午後から女子美の学生が二人手伝いに来てくれて、椅子の仕上げ、床材の切り出しなどを進めてもらう。
ビスやフィニッシュの穴、板の割れ目をパテで埋める


パテが乾いたら、サンダーをかける
(サンドペーパー / 紙やすり で削る電動工具)
パテで埋めたところをフラットに仕上げるのと
エッジを軽く落として丸みをもたせる
役者が手に触れるものなので触ってよい感触にする


パネルソーで450角に床材の切り出し
素材は2.5mm厚のMDF

切れた床材を塗装

椅子は、コンパネの色が出たりハガレるのを抑えるため
まず、外壁材を混入した塗料をプライマーとして下地塗装した

仕上げ塗装をして完成
並べると量産というより「増殖」な感じ

チェのようになろう

11月にあるトリガーラインの公演、宣伝美術・舞台美術プランの参考にチェ・ゲバラの著作を何冊か立て続けに読んでいる。
舞台美術の参考といっても、読むべき見るべきものは多岐にわたる。
多岐にわたるべきだと思う。
参考にするものが短絡的即物的ではつくる物が薄っぺらくなるし、作品そのものへの深い理解がまず大事だと思う。
そのためには、参考にすべきものは無数にある。

宣伝美術は、もう急がないといけない段階で、そんなことをしている場合でもないのだが、まだ完成台本がない段階では、こういった参考が重要。

今回の作品は、ペルーの日本大使館人質事件がベースになっており、具体的にどこかの国を設定した物語になるのではないけれども、そこが南米である必要が作品の根底にある。その風土歴史・内戦やゲリラの事情を知ることが作品上重要であると、打ち合わせの結果感じたのだ。

読んだ(読みつつある)結果としては、今回の作品のためということにとどまらず収穫が大きい。

チェ・ゲバラのことに関しては、ざっくりと知っていて興味はあっても、詳しい評伝や著作を読む機会をもって来なかった。
こういうのは巡り合わせというか、山ほどある本や映画の中から選んで出会うのには、タイミングとか必然とか運命的なものとかはあるのだろう。

トリガーラインの作中人物に近い感覚から。また、ゲリラそのものよりも南米の状況や歴史から入りたかったので、とはいえ南米の歴史民俗に関する本を一冊一冊攻めていくわけにもなかなかいかないので、本屋で見つけた中から

モーターサイクルダイアリーズ
ゲリラ戦争
ゲバラ日記

と読み進んだ。
「ゲバラ日記」は読み始めたところ。
まだ読んでないが、入門書としては「チェ・ゲバラ伝」の評判もよいよう。

しかし、今回はゲバラ本人の筆によるもので、南米や革命の起こる空気を感じたかったし、いきなり活動家の側面から入ったのでは、実感として入りにくいと思ったので、「モーターサイクルダイアリーズ」から始めた。
小説のように事細かな描写はないので、読むのに想像力を必要とされるが、生の文章と空気感から得られる情報量は多い。
そして、自分の行く先がわからない若いころに、ちょっとした放浪や旅の経験がある人(少なくはないと思う)には、非常に共感しやすいものがある。

「ゲリラ戦争」はいわばゲバラの経験に基づいたゲリラ戦の参考書のようなもので、作品づくりの中でゲリラ活動家のディテールを深めるのに直接的に役に立つ。
「負ける戦いはするな」「まず、靴が大事」というようなあたりは非常に明解。
しかし、いわゆるハウツー的ではなく、極めて理論的にそしてゲバラのメッセージが込められいるのが深い。
まったく他の分野の状況にも比喩的に生かせるような言説も数多くある。
小劇場演劇とか、日本の文化経済の中でゲリラ戦を行っているようなものだとも思う。

この二作を読んだあとで「ゲバラ日記」を読みはじめると、そこで簡潔に描写される出来事が、鮮やかな空気感を持って感じられてよい。
これはよい順番で読み進んだ、と思う。

ゲバラに関する出版物は数多く、もっと知りたい興味にかられる。
しかし、その中でもゲバラ自身による著作・文書が、忙しく生きて志なかばで倒れたのにも関わらず、思いのほか多いことに驚かされる。
ゲリラ活動や政務の忙しい中、これだけの執筆、日記の記述を続けていたということを見習わねば、と、ブログが滞るのを顧みて思う。
世界を変えることを志して、いつか戦場で倒れるかもしれないことも当然覚悟していたであろうゲバラは、多くの著作ではもちろんのこと、私的な文書や日記も自分の死後多くの人に読まれることを想像し意識していたと思う。
自分の肉体が滅んでも、世界を変えることを考えたに違いない。
事実、多くの人に影響を、それは世界を変えることに他ならない、、、を続けていると思う。

「みんな、チェのようになろう」

というのは今でもキューバで掲げられているスローガンだそうだ。
これほど強固な意思と自律を持った人物には、自分など尊敬はしても、まずなれないが。
しかし、ブログの更新ぐらい、なんとか見習いたい。

作業記録 / プロトタイピング

JBJJPの作業日。
まだ全体プランには詰めるべき要素、打ち合わせるべき要素があり、決定プランでないため作業に入れない。
必要な数や、適度なサイズがわかっている椅子のデザイン・製作作業から入る。

工房で朝から、デザインの詰めをし、昼までに試作品を製作。
写メと電話でデザイン決定の相談をして、量産に入る。
夜、それを稽古場に持参する予定だったが、稽古中止になったため、工房での打合せになる。
色見本もつくり、見てもらう。

サイズは寸法でも伝えたが
基準に紙パックをとなりに置いて撮る
椅子といっても300mm立方の箱に近い

この試作では台形の角度がきつくバランスが悪いので
もう少し角度を弱くすることにして12脚の量産を開始


同じサイズのものを続けて切り出して
丸穴センターのスミを出す

円を描くのには「コンパス」は使わない ベニヤと釘で充分
大道具をつくるのに「コンパス」を使っているのを見ない
多分「コンパス」では描けないサイズの円が多いから
これもコンパスには違いないしこのサイズなら
「コンパス」でも描けるのだがわざわざ使わない


インパクトドライバーにドリルビットを装着して穴をあける
穴からジグソーの刃を入れ円を切り抜く

この部材はちょうど工房にあった残材
シナの20mmランバーコアの端材を利用


すべての部材が切り出せたら組み上げ
合わせる部分のスミを出してボンドをつける

フィニッシュネイラー(左)で打って
要所要所はビスを打って補強

すべて組み上がった状態
これは次の作業日の画像



夕方より、舞台監督の山下氏が打合せより早く来訪、少し手伝ってくれる。
部材の切り出しはすべて終ったが、組み上げは4脚までで終る。
組み上げが終ったものも、この後仕上げ工程が残っている。
毎回つくってから思うのだが、10脚程度だと何のことはないと思ってつくりはじめ、つくってみて意外に時間がかかることに気がつく。
一つ一つつくるのに比べれば、個数つくるの時に効率化はされるが、50とか100とか以上の単位で工程をシステム化しない限りさほどの効率化は望めない。
10とか20くらいが、なかなか微妙な数だ。

作演出・清水さんが来るまでに、舞台上で使う色の見本を実際の素材と塗料でつくる。
プランにあたって必ず色見本をつくるとは限らないが、今回は色味に関してスタート段階から演出イメージ上こだわる何かがあるようだったので、重要度を上げた。
実際の素材でないと、印象が変わることもある。
塗料は乾いてみないと本当の色味がわからないので、乾燥する間に打合せを始める。

台本を頭から追いかけながら、決定していなかったことの決定、まだ知らなかったことの確認、プランに実用上の問題がないかチェックなどをした。
あらかたのことが決まって、三日後の次回作業日までに図面も進行出来る。
特にラストシーンの方針が決まって安心。
大がかりなことが発生するとなると、舞台全体のプランも大きく変わる可能性があるので。

乾燥した色見本を並べて、色も決定。
試しに、組み上がった椅子にざっくりと色を塗り、印象を見てもらう。
数並べたり、積んでみたりもする。


演劇とくに小劇場演劇の製作過程では、時間や予算の問題で、プロダクトデザインのようなプロトタイピング(試作)はなかなか出来ない。
しかし図面や模型、ラフ画など、プランを目に見える形にすることはすべて、広い意味ではプロトタイピングだと思う。実寸をとった稽古や通し稽古、場面転換の確認を行う「場当たり」などもある種のプロタイピングだろう。

自分の場合、この椅子のように可能でかつ早く行えるものであれば、こうやってまず試作をしてから量産したり、プレゼンすることが割と多い。
椅子のように出演者の手に直接触れ、持ち運ばれたり、加重がかかるものは特に、こういったプロトタイピングが大事だと思うので。
自分が考えるのにも、他者に伝えるのにも。

予算が限られた小劇場演劇の小道具などは、素材のコストも製作時間も制限があるので、実用に近い試作品を作ることは手軽で、手っ取り早い方法だと思う。
これもラピッドプロトタイピングの一つではないだろうか。

考えて悩むより、まずつくってみる。形にしてみる。
模型ではなく、いきなり原寸で、現物をつくってみて考える。

ラフ画や図面だけでデザインを検討するより、実寸ではじめてわかるバランスもある。
実際の素材でつくってみて、加工法や強度が見える。
プロトタイプをそのまま実用にすることも多く、また修正を加えつつ完成形にすることもある。
今回のように、実際に演出家や出演者に手してもらえると、さらに色々なことが見える。

そういう意味で、舞台監督はもちろん、演出家や出演者、時には照明家が工房に来てくれるのは大歓迎。
色見本もプロトタイプの一つだが、今回の色見本は照明さんにも渡してもらえるよう、演出の清水さんに託した。

2008年の夏

7月から8月が忙しくて暑かった。
そして8月が終ろうとしている。
ブログの更新も出来ないまま、いくつかの公演やイベントが進行している。
まず、連続模型の番外公演「モテイトウ」が始まって終わり、すでに次回公演9月の「カンタンの水」も、うかうかしていると時間がない。
急遽入った9月のJBJJP「無重力ドライブ」は目前。

その間、六尺堂では毎年暑い「夏のWS」があり、これは高尾にも場所を移して合計4日あった。
これまた毎年暑い六尺堂の工房大掃除も今年は二回。それ以外にもこの夏は工房まわりの動きが色々とあわただしい。
オリンピックの開会は、一回目大掃除の夜、五反田駅前の立ち飲み屋のテレビで観て気がついた。

そして9月から施工になるスタジオ・ガンボの企画が急遽立ち上がり進行中。
コンセプトデザインから空間設計までが急ピッチ。
9月から10月そして年内かかりきることになるのが予想される。

やっとで動き出した11月のトリガーラインの公演準備もそろそろ形が見えてきた。

そして、明日から劇場に入る公演で王子の佐藤佐吉演劇祭も最後。
この演劇祭もいろいろあった。

7月に連続模型「モテイトウ」の公演で始まって、8月は主に打ち合わせに走り回る忙しさだったのだと振り返って思う。

ライダーへの配慮

昼から王子小劇場勤務。
行くと、スタッフの一人が松葉杖にギブス。
朝、バイク転倒で骨折したとのこと。
転倒の原因は複合的に考えられるものの、濡れた路面のツルツルしたタイル部分で滑った模様。
自転車とかでも滑るだろうと思う。
そういうの、割に商店街とかで見かけるが。

都市計画とか道路設計の際、そういう箇所でライダーへの配慮とかいうのはだれも考えないのか?
あんまり考えない気がする。
考えるべきだと思う。

夜、スパンドレル/レンジのバラし立ち会い。
終わりごろ、JBJJPの林さん下見に来訪。
色々話して、面白い作品に出来そうな感触をつかむ。

座組みにとって大事なこと

王子小劇場に朝から出る。
スパンドレルレンジの劇場入り・仕込み初日。
劇場スタッフミーティングもある。

仕込み初日は出来るだけ夜までいるようにしているのだが、JBJJPの稽古場に映像さんが来るかもしれないというメールがあったので、来るようなら行くことにする。

昨日、劇場下見で打ち合わせして翌日なので、まだ舞台美術プランのほうでは大きな進展ないし、稽古を見るのも特に通しだとか参加人数が多いわけではないが、映像さんと直接顔を合わせて打ち合わせられるのなら大きい。

夜、劇場を出て稽古場に向かう。
沼袋の駅を降りて、北へ。この通りはなぜか焼き肉屋がやたらと多い。
気になるが、焼き肉屋では一人で入る感じでも、軽く食事をすませる感じでもないので、やや気になったラーメン屋に入る。

稽古場にて、やや稽古を見、やって来た映像のヒデルさんを交えて打ち合わせ。
台本だけではわからなかった、映像への指示や演出の希望が聞けたので、舞台美術的にも、どこに映写するのか、映写するために装置をどうするのか、という方針が決まった。
舞台美術的に「こうするのが絶対いい」と主張し、先に提案することも可能だが、やはりこういうことは人と会って話して決めていくに限ると思った。
少なくとも自分は、そのほうが考えやすいのだなとも感じた。一人で考えていてもあまり解決はしない。

演出の清水さんから出た映像のイメージに近いものを、映像さんと話しているのを横に聞きながら、その場で検索をかけてみたりもする。便利な時代だ。こうやって具体化すると作品全体もどんどんはっきりしてくる。

映像のきっかけとか、何が映写されるのかなんて舞台美術のデザインにそう影響するものではないと考える人もいるかもしれない。
もちろんポイントを押さえておけば、あとは実務的に問題なかったりはするだろう。
しかし、やはり作品全体を把握するのが大事だと思う。
内容を知るほど、今回の作品が面白くなりそうに感じた。
自分の期待感も高まった。これも大事。

そして今回、座組スタッフ全員での顔合わせの機会とかはなかったのだが、映像さんに会ったことで、すべてのスタッフとひととおり顔を合わせた。
Googleグループ
を使って、実務的なことはメール連絡出来ている。
共有出来ているはずだが、やはり実際に顔を合わせてて人となりを知ることは大きい。
非常に安心感がある。

これはけっこう座組みにとって、チームで仕事をする上で大事なことだと思う。
初めての顔合わせがあるならもちろんのこと、馴染みのスタッフでも、公演というプロジェクトが始まる前には一同に会せるといいなあ、と思う。
現実には、なかなかそうもいかないが、出来るだけ早い段階で舞台監督、照明、との打合せを希望するようにはしている。

会って話せば一瞬で解決することもあるし、情報量とスピードが違う。
何もやりとりはなくても、顔を合わせたコミュニケーションがあった上で、その後のメールなどでのコミュニケーションは飛躍的に円滑になると思う。

最近、色々なところでGoogleグループの便利さを薦めて利用しているし、それによってなかなか都合の合わない打ち合わせを補うことが出来ている。
しかし、直接会って話す打ち合わせが必要なくなるわけではない。
舞台美術プランの仕事量をどういう単位で測ればいいかわからないが、かなりの割合がは打ち合わせになるのではないかと思う。

舞台美術は打合せで生まれる

昼、野方の区民集会施設へJBJJPの稽古を見に行く。
稽古後、駅前のマクドナルドで、作演出、舞台監督と打合せ。
気になる居酒屋は多いが、まだその時間ではなかった。

登場人物の区別でだいぶシーンごとのまとまりが把握出来るようになってきた。やはり台本を読んでいるだけより、稽古を見たほうがイメージをつかむのが早い。

打合せ、台本は進んだが、まだラストのイメージが固まらず、そこが焦点。
「水位が上がる」というイメージを、どうやって舞台表現で行うか?
コースロープを何らかの美術装飾に入れる話が出る。

その場で検索してみると、1ピースの値段は手が出ないものではないが、基本的な舞台面だけで予算もギリギリなので、張り巡らすとなると微妙なコスト。
コースロープと言ってイメージするものが、自分と他の人で違うのが、すぐに検索してはっきりしたのは便利でよかった。
仕掛けのギミックとしても、問題点が浮上。すぐに解決策が出なかったので、なんとなくコースロープではない方向に話が進む。

蜘蛛の糸のようなイメージ、という話が出て、フックのついた鎖を提案。
割とこの方向で決定になるが、ラストに欲しいという「派手さ」をどうするかは宿題。

冒頭シーンの登場の仕方、ギャラリーの使い方がはっきりして、単管のポールを立てることが決定。
壁面パネルの穴から、水平に垂直降下してくる提案がよい反応で、盛り上がる。
これに関しては、小道具に関係するギミックになるので、小道具マターにすることにする。
舞台監督の山下氏が、テクニカルな問題だけでなく演劇作品としてどう面白さを出すかという視点でも意見を出してくれるので助かる。

これで、基本的な空間のプランは決まった。
その場で、CAD図面を修正して見せ、ざっくりしたラフをスケッチブックにも描く。
演出の清水さんのほうでも、自分のノートにスケッチをメモしてくれるが、非常に正確に空間を把握してくれているので安心。
演出家の資質によって、こちらで具体化しないと空間を把握してもらえない場合もあり、そういう場合は図面でも、スケッチでも、模型でも、色々な方法で提示する必要がある。
しかし、このくらい図面やラフだけで、正確に空間を把握してもらえると、とても助かる。

打合せ終盤に、初顔合わせの照明・林さんも来る。
ツアーが続く中で、なかなか稽古を見られないようだが、JBJJPはレギュラーなので心強い。
せっかく関係者がそろっているので、顔を合わせてのスケジュール設定・確認なども大事な議題。

全体に前進して、実のある、よい打合せだった。
舞台美術プランのプロセスとしては、ちょうど中盤くらいか。
先がちょっと見えた。

この後、作業予定まで10日ほどの間に、プランを寝かせてみたり、広げてみたりの検討。
そして、台本や稽古の進行に併せてラストシーンの検討、細かい演出要望への対応ということになる。

金屏風がウケる

工房(六尺堂)夏の大掃除二回目。

主に、オレンジルーム(旧・作業者休憩所)のテーブルや棚を撤去し、設置していた電源を新しい休憩所(グリーンルーム)に移設するのを担当する。
電源の移設は、とりあえずのところで終了。
王子小劇場落語会に間に合うように辞する。

桂都んぼさんが、金屏風(1,2)のことを落語の枕で話題にしてくれた。

「王子で落語会やらせてもらうのも回数重ねまして、ありがたいことに物も段々とそろってきまして」

正確ではないが、おおむねこんな感じで。

「今回は、金屏風まで用意してもらいまして、どこぞで借りて来たのかと思えば、備品にしましたと言うので」

半分は演劇祭の前夜祭のため、そしてそういうイベントごとのため、そして半分は落語会を定期的に行うようになったからだ。

「それはさぞ高かってでしょうと言いますと、、、いえ、作りました。作りましたって、、、金屏風作るかー」

ここでドっと笑いが。
いや、ウケてくれてよかった。
作った本人としては、これは突っ込んもらわないと困る。
ウケてもらはないと困るところ。

この日の落語会では、王子在住地元の縁も深い瀧川鯉昇さんの「佃祭」が流石。
実は、上品で渋い江戸落語というのをちゃんと実感したのは初めてかもしれない。

台本をググる

昼間、王子小劇場に出て、明日からの落語会の舞台を設営する。

夕方、JBJJP「無重力ドライブ」の稽古場へ、稽古見に。
前回の打ち合わせで、一案として出していた、対面客席・劇場横使いの細長い舞台空間で稽古が進んでいた。
こちらとしては、まだワンアイデアとして泳がせていたのだが、演出・清水さんのほうではかなり了解のようで、稽古を見ていても問題ないようだったので、これで決定とした。

稽古中、台本の追加分ももらい、だいぶ最初に資料としてもらった記事群が上演作品として整理されて形をなしていくのが感じられる。
稽古場でイーモバイルがつながったので、稽古を見ながら、新しくもらった台本のなかでよくわからなかった、知らないものをググってみる。

ピクミン
リチャード・ドーキンス
十万石まんじゅう

JBJJPの作品は、台本をウェブに上げて、こと細かにキーワードの注釈をリンクしたりしたら、さらに面白くなると思った。
作品に込められている情報量は多い。

発注装置製作 ツタヤの棚

昼すぎに工房に行く。
知己の舞台監督・桑原さんから請けた、小道具装置づくりの作業をする。
公演全体の美術プランナーがいない、小規模な朗読イベントの現場で、細かいところはお任せの発注。

600mm立方の箱が一つと、それにかかるスロープ、と物はいたって簡単。

しかし、古民具風の仕上がりというオーダーに応えるため、「焼き、削り、ステイン塗装、ニスがけ、荏油で磨き」と、手をかけていたら、割に時間がかかった。
もちろん角はトメ(45度角で合わせる)加工。
簡単なものでいいと言われても、ちょっとした民俗楽器がいっしょに舞台に上がるというから、並べて見劣りしないように、とは考える。
写メにして送ってOKを確認。
お任せで気のきいた物を、というオーダーに応えてちょっとしたデザイン・仕上げを入れられるところが、舞台美術をやっている強み。
どんな簡単な小道具や装置の製作でも、デザインの介在する余地はあるから、言われたままにつくるだけでなく、いくらでも楽しむようにはできる。
こういう単品ものの製作も、気楽で割と嫌いでないなあ、と思う。
今年は、そういう仕事がちょくちょくある。増えてると気づく。
連続模型トリガーラインの番外公演(「青空」「モテイトウ」「カンタンの水」)も、シンプルで軽いノリだし。

19時くらいには工房を出て、JBJJPの稽古場に合流したかったが断念。
ブックオフとかツタヤを回り、JBJJPの参考に「アビス」のDVDを中古を買ってしまおうか迷ったが、借りて済ませる。
ついでに連続模型の参考に、そしてかつて原作初演に関わっていながら、映画化をまだ観ていなかった「紙屋悦子の青春」探していたら、なかなか見つからず終電をなくす。
やっと場所がわかったら「レンタル中

しかし、ツタヤの棚は分類基準がよくわからないジャンル分けがよくされていて困る。
品数が多いとそうもいかないのだろうが、もっとシンプルなジャンル分けだけで、作品名やたまに監督名・俳優名の五十音だけのほうがわかりやすいと感じる。
思いもよらないジャンルにされて見つからないことが少なくない。
渋谷のツタヤほどになると、検索機もあるから目的がはっきりしている時は検索すればいいのだが、画面表示の棚の図が、実際の棚と微妙に違っているのには困った。

深夜バスで帰る。
深夜バスの料金差額で「アビス」迷っているうちに中古が買えていた。

舞台美術家になるには

2008年、夏のワークショップ二日目。

発表終って打ち上げとしての懇親会。
ワークショップ参加者の学生と飲みながら話す。
「舞台美術家になりたいんですが、どうすればいいですか」
よく聞かれる話だ。

写真・映像をやっている学生とも話し、同様なことを聞かれる。
やはり、よく聞かれることだ。
答えられることは同じで、最近思うには、多分一つだと思う。
「とにかく、演劇でもダンスでも、映画でも、写真でも、たくさん観ること」

舞台美術家になりたいのであれば、まずその前に演劇を好きになることだと思う。
そうでないと、子供が漠然とプロスポーツ選手とかパイロットに憧れているのと変わらない。
舞台美術家になるのではなくて、気がついたら舞台美術をつくっていた、というものではないだろうか。
舞台美術家(あるいはその他の何か)になるということが目的になってしまっては多くの場合ダメだと思う。
まずは、そのことを行う基本的な動機を強く持たなくてはいけない。
なることが目的になってしまうと、そこで終ってしまう。
そのことがやりたくて、やり続けることが大事なのだと思う。

すでに、演劇に関わったり、アマチュアや学生でわずかでも舞台美術を創作していて、舞台美術家になりたいと思うなら、やや事情が異なる。
すでに基本的動機が備わって、それを続けたいから、その職業を行おうと思うわけだから。
そういう人にはすでに具体的な状況やイメージがあるだろうから、それに即したアドバイスが個別に出来ると思う。それはホントに個別であって、一般論はない。
そして、そのくらいの状況だとなんらか入口は見えてるもので、相談は漠然としたものにはならない。

だから、漠然と舞台美術家になりたいと思うなら、まずその理由を考えつつ、とにかく演劇を観て、好きになること。好きな演劇を見つけることだと思う。
好きな演劇が出来たら、それを目指す目標としてもいいし、それがとてもハードルの高いところ(劇団、業種、団体、会社)だとしても直接アタックしていいと思う。
いきなり敷居の高い劇団や高名な舞台美術家の門をたたいてもいいわけだ。
あるいは、目標は持ちつつ、自分と同じような段階にいる学生劇団や若い劇団と知り合うチャンスをつくってもいい。知り合うには、まず観に行くことだし、手伝い募集でも打ち上げでも、出会えるチャンスには出て行くことだ。
舞台美術は、まず舞台公演がないとはじまらないので、出会うことは必須で重要。

これが、写真だと一人でも始められる。
カメラさえあれば、今日からでも始められる。
考え方一つで携帯カメラでも始められる。
携帯カメラの画で満足できなくなったら、もっと本格的なカメラを買えばよい。
人間、本気でやりたかったら、本気でやりたいスペックを備えているものを、無理してでも手に入れるので、欲求に素直であれば、基本的動機に従って段階は進むと思う。
そして、何らかカメラを手に入れたら、とにかく撮ること。
そして自分が撮ったものを見る。
憧れる先人や、他の人の作品もたくさん見る。
そして、自分の撮ったものを客観的に見返す。
これを繰り返すだけで、写真は間違いなく上達する。
ある程度続けたら、他人に見せて正直な意見を聞くこともよいし、必要。

自分にとって写真の師匠と呼べる人にはじめて会ったときに言われたことを覚えている。
「カメラマン(職業写真家)としてやっていきたいなら教えられることはあるけど、作家(写真家)になるのはいつでもなれるし、教えられることはない」
そして
「自分が写真家でありたいなら、つねに作品を撮り続けること。作品を撮らなくなったら、いくら仕事として続けていても写真家じゃない」

作家としての写真家にはいつでもなれるし、やめらる。
舞台美術家はなかなかそうはいかない。
基本、舞台公演があってつくることが出来るから。
自分で、自分がやりたい舞台美術をつくるために座組や公演をつくってしまうことも、広義にはあり得る。
しかし、舞台美術をつくることが先になってしまって、その舞台公演がつきあわされるのなら本末転倒になる。
だったら、空間なり立体なりのみで成立する何か美術作品をつくることを志したっていいのだ。
それではやりたいことと違うのなら、何かその理由はあるはずで、それは観ること、関わることの中で発見できるのだと思う。

たくさん見ているうちに知識も身につく。
情報も入ってくる。
しかも、今はウェブ上で情報をとり入れることもどんどん楽になっている。
ウェブ上で情報を探すのに一番大事なスキルは日本語の能力だと思う。
だから、たくさん観ることと同時に、色々なものを読んで日本語の能力を高めることも大事だと思う。
そうして、色々なものを読み、自分で検索する能力を身につけ、また色々なものを観て、動機もはっきりするころには、自力であるいは何らかの偶然で、目的とする世界への入口にはたどり着けているものではないかと思う。

アングラの殿堂

六尺堂にて、夏のWS一日目。
毎年暑い。

毎年毎回、WSの記録撮影をしていると、自分が写真を撮るのに無意識に行っていることに気づかされることが多い。
そしてそれは、舞台美術をプランする際にも通じている。
この日のWSでは、フレームを切って風景を見ることを試みたグループに、撮影が無意識に行っていることを自覚的に感じた。

夜、終了後チェゴヤへ。
ゲスト参加、急な坂スタジオの佐藤氏が法政大学出身ということで、今はなき法政学館ホールの話に花が咲く。
なくなったのは惜しい。

あの空間に自分の舞台美術で公演が出来なかったのは、その存在を知っている時代に生きたのに悔しい限りだ。

アングラの殿堂、東の法政学館ホールに対し、西の京大西部講堂は健在。
学生のころ、初めて新宿梁山泊を観たのも、燐光群を観たのも、西部講堂だった。
わずかながらでも、遊劇体の公演などで空間に関われたのは幸せだったと思う。
関西で舞台写真を撮っていただけの頃もその魅力は感じていたが、舞台美術プランを行う今となってはチャレンジしたい空間として憧れる。
今や全盛期には適わないかもしれないが、過去の遺物とならず、生きたまま健在でいてほしい。
文化財になってもいいくらいだとは思うが、そんな堅苦しいものになってはいけない。

シアター・トップスやベニサン・ピットがなくなるのも残念。
都市には闇が必要だと思う。

盆 空間 音楽

仲間うち舞台美術家の装置製作作業手伝いで、工房(六尺堂)
美術家本人は来るのが遅れるとのことで、電話で指示を聞いて進める。
こういうことがスムーズに出来る点、色々なことを共有している仲間うちというのはいいものだ。

発泡スチロール塊を、一定の大きさに切り出していくのだが、いちいち測っていてはやってられないので、その辺に転がっているベニヤでゲージをつくる。
こういうゲージを、舞台とか大道具の世界で、「バカ」と言ったりする。
(用例「バカをつくる」「そこのバカ取って」「その材料バカにして」バカにしてといっても、もちろんなじるわけではない)
こういう段取りが大事。
そういうベニヤがその辺に転がっている(比喩として、、、)のが便利。

昼に、美術家氏が来て、飯を食いに。
近くにあるのだが、まだ行ったことのなかったラーメン屋に行ってみる。
途々の炎天下、亡くなった人の話をする。

なぜか、まっ白に明るく晴れた光景の中、亡くなった人の話をするのは、すごく似合うものだと思う。
中学生のころ、祖父の納骨に行ったのも、暑い夏の京都だった。
日本には、お盆があり、終戦記念日があることで、夏の暑い空気感の中で亡くなった人のことを瞑う感覚があるかもしれない。
終戦の焼け跡も、やたら晴れたイメージがある。

夜、アゴラ劇場で公演中の羽衣「ROMANCEPOOL」を観に行く。
旧知の役者や、旧知のスタッフが多い団体だが、そういった関係をぬきにして、作品が面白く気になっている。
段ボールにペイントしてつくられた空間が、去年観た作品同様よい。
舞台美術家として、楽しい悔しい。
絵筆の力・統一感で空間をつくるのは、自分には不得意なことだから。

作演出の糸井氏が舞台美術も、そしてオリジナル楽曲も担当している。
一人ですべてやることがよい形で結実していると思う。
一人ですべてやることがよい結果になるどうかは力量しだいで、どちらかというと悪い結果のほうが世の中には多いと思うのだが。
空間を把握して構成する力と、それを形にする力が非常にあるのを感じる。

舞台美術の八割はプラン=発想にあって、発想の八割は空間を感じてイメージを広げる力だと思う。
専門教育や知識・技能はなくても、そういう力が鋭い演出家がたまにいる。
羽衣の糸井さんもそうだし、五反田団の前田さんやブラジルのブラジリー・アン・山田さんなどが思いつく。
糸井さんの場合をそれを形にするのに、絵力という武器もある。

オリジナルの音楽・歌によって綴られる内容は、断片の羅列で、物語性は極めてない。
物語を追わないと演劇を観ることが出来ない観客には辛く、難解かもしれない。
ミュージック・アルバムのようで、個々に明確に関連はないものの、イメージとしての統一感がある。
それを音楽を聞くような感覚でとらえて楽しめばいい作品だと思う。
そういう見方が出来る人なら、演劇に慣れてない人でも素直に楽しめるかもしれない。

人間の頭の中に漠然として羅列される「生のイメージ」を形にするのには、音楽は強いと感じる。
作演出家自ら作曲できることの強さを感じる。

ウソ日記

トリガーラインの11月公演の参考に藤原伊織テロリストのパラソル」読む。読了。
ラストの「実は」的要素、説明過多は気になるが、謎解きに興味が強くひかれ、アラは気にせず読み進んでしまう勢いはなかなか。

仲間うちの舞台美術家の装置製作手伝いで、午前から工房(六尺堂)で作業する。
6×6アゲ(6尺=1818mm ×6尺サイズ、三角形の)平台、アール(曲面)パネル、木足とか作る。

夜、クロムモリブデン「血が出て幸せ」観劇。
作者と、作者が表現するものとのギャップについて考える。
今まで見て来たクロムモリブデンに比べると、ラストが堅いところでまとまった感があるのは物足りなくも感じる。

登場人物がウェブ上で書いている「ウソ日記/マジ日記」というモチーフは現代的で鋭い切り口と思う。
ブログを書いているすべての人を観客としてターゲットにし、胸に突き刺さってほしい意図があったという。
それは、かなり成功するのだろう、と思う。

しかし、他人に公開することを前提に書かれたものが、あるフィクションを含むのはもちろんのこと。
それが、だれにも見せないものであったとしても、人が何かを「表現」するときに、いくらかのフィクションが入るのは自明であるとも思う。

脳は自分に対してもウソをつく。
自分に対して記憶のねつ造もする。
日記として事実に「編集」を加えることで、本当にあったことにもフィクションの要素が入り込む。

あらゆる「表現」という行為は、ある意図をもって行われる。
意図をもって行われる行為には、もちろん何らかの作為が入る。
作為は事実をフィクション化する。
ドキュメンタリー映画の森達也監督が、完全に作者の意図を排除したドキュメンタリーなど存在し得ないというようなことを書いているのを読んだことがある。
世のドキュメンタリーは何であれ、何かそれを伝える意思を持っている。
完全なノンフィクションなど存在しない。

自然科学の分野で、観測者自身の影響をまったく排除して観察することは不可能だという常識があるらしい。
人間は自分自身を含むものを完全に正確に語ることは不可能だともいう。
だから、自分自身を語る日記を完全に正確に、ウソなく語ることも原理的に不可能だろう。

だから、すべての日記が「ウソ日記」になるのは、自明のことなのだと思う。
そもそも日記文学の発祥「土佐日記」にしたところで、男が女というキャラクタ−を演じるというフィクションの構図から始まっている。
人間は「自分」に対しても「自分」を演じないと、「自分」のことを書けないのだと思う。
書かないまでも、自分にウソをつかないのは意外に難しい。

こういったことは、自分にとってかなり当たり前になっていた。
それは、写真というものの経歴が大きいのだと思う。
写真は、どんなに自然に無意識に日常を撮ったつもりでも、撮影者の意図が現れる。意図は存在する。
だれに見せるということも考えずに撮ったとしても、どう見えるかを意図して撮影することになる。
だれにも見せないつもりの日記だって、後から見る未来の自分を意識せず書いているのかもしれないのと同様に。

撮影という行為は、その瞬間に「編集」を行う。
写真は、事実・瞬間を切り取ることが、ある意味ウソをついていることに自覚的にならざるを得ない。

しかし、これだけ「表現」について考察が可能な「ウソ日記/マジ日記」というモチーフに着眼した「血が出て幸せ」はやはり着眼点が鋭かったと思う。

表現・創作に関わっている知り合いのブログでも、同様の感慨を述べているのを見たし、先だってrest-N「閃光」の私小説的劇作(フィクション/ノンフィクションの虚実)に対する過剰とも思える賛否の反響を見ても、自分が自明と思っている以上に、多くの人にとって意外性や訴求力のあることなのだろうと感じた。

同時に、表現・創作に日常関わらない人でも、ブログという文化が広がることで「ウソ日記/マジ日記」のような「表現」の本質に意識的になっているのなら、これは表現・創作環境におけるリテラシーとして歓迎すべき状況だとも思う。