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2008年5月20日

日本近代演劇史

トリガーラインの打ち上げに向かう途中で買った、平田オリザ著「演劇のことば(ことばのために)」を一気に読みすすめて読了。


演劇における「話し言葉」を焦点に、日本の近代演劇史がわかりやすくポイントを押さえて語られている。
そこには現在演劇を行っている者からの視点が加わっており、単に歴史を知るだけでなく現在演劇を行うのに生かせること、考えられることが多くあり興味深い。

現在演劇に関わる者、演劇に限らず演技・演出・脚本に関わる者にはオススメの一冊。
日本の近代演劇史を知らない人にも、入口としてオススメの一冊。
並の日本史や文学史の授業では、「築地小劇場」の本書で語られるような意味はまったく伝わらないだろう。
教えているほうにも、なかなか劇現場に関わる人間ほど切実な実感などないと思うし。

やはり何にしても、自分が行っていること、関わっていることの歴史は知っておいたほうがいい。
歴史から学べることは多い。
歴史から「しか」学べないことも多い。
天才でもない限り、個人の独創だけで出来ることの限界は割と近いところにあると思う。
歴史という先人の遺産から学ばない手はない。

歴史ということで思い出して、大塚英志著「物語消滅論」をパラパラと読み返す。
「演劇のことば」で言及される、夏目漱石と言文一致体の話は、「物語消滅論」で言及される近代文学の話と並べて考えてみるのも興味深い。
読みかけの村上隆著「芸術起業論」でも日本美術史における明治期以降の「歪み」が言及されているが、この三冊「演劇・文学・美術」ともに共通して歴史、特に明治期がなんであったのかを知ることは重要だと感じる。


「演劇のことば」の感想などあげているサイトがネット上に散見された。どれもそれぞれに興味深い。

http://tetsuka.cocolog-nifty.com/diary/2004/12/post_1.html

http://kasabuta65.blog54.fc2.com/?q=%B1%E9%B7%E0%A4%CE%A4%B3%A4%C8%A4%D0
http://d.hatena.ne.jp/rin-ichirou/20071104
これらの感想をあげたサイトの中で、、、

http://andro.exblog.jp/3556428/
演劇環境における、首都圏と他との地域格差はよく問題にされるところだが、最も大きなものはクオリティの高い公演・先端の表現に実際に触れる機会においてだろう。
これに関しては、他のジャンル、、例えば音楽や映画に比べて、実際の上演を生に観ないと本当のところが伝わらない演劇においての地域格差はより大きくなるということだ。

しかし、取り巻く環境の意識の差。
特に議論する機会とそのクオリティに関しては、あまり注目されていない側面かもしれない、と思った。
すべてにおいて集団性が関わり、言葉によってのコミュニケーションが必要とされる演劇では、たとえば音楽などに比べて、この議論の機会の差は大きいかもしれない。
ネットの普及によって挽回出来る側面も出て来たにせよ、やはり直接言葉を交わす密度とは比べものにならないことがあるのは、「舞台打合せ」で書いたことにもつながると思う。
グーグルに淘汰されない知的生産術」とはまた別の、淘汰されない生きた情報というものが、生の議論やコミュニケーションにはあるように思う。

東京のように演劇がさかんで人が多い都市では、身近に同じことに関わっている「意識の高い」人間が多くいることのメリットは大きいが、同時に「意識が低い」人間が集まってしまう危険もある。
「意識が低い」人間が集まってしまった場合の「負のスパイラル」みたいなものに関しては、また別の機会に書こうと思う。

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