舞台美術プランとか劇場スタッフとか、

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2008年あたりは、割と色々書いてます。






























2008年8月2日

盆 空間 音楽

仲間うち舞台美術家の装置製作作業手伝いで、工房(六尺堂)
美術家本人は来るのが遅れるとのことで、電話で指示を聞いて進める。
こういうことがスムーズに出来る点、色々なことを共有している仲間うちというのはいいものだ。

発泡スチロール塊を、一定の大きさに切り出していくのだが、いちいち測っていてはやってられないので、その辺に転がっているベニヤでゲージをつくる。
こういうゲージを、舞台とか大道具の世界で、「バカ」と言ったりする。
(用例「バカをつくる」「そこのバカ取って」「その材料バカにして」バカにしてといっても、もちろんなじるわけではない)
こういう段取りが大事。
そういうベニヤがその辺に転がっている(比喩として、、、)のが便利。

昼に、美術家氏が来て、飯を食いに。
近くにあるのだが、まだ行ったことのなかったラーメン屋に行ってみる。
途々の炎天下、亡くなった人の話をする。

なぜか、まっ白に明るく晴れた光景の中、亡くなった人の話をするのは、すごく似合うものだと思う。
中学生のころ、祖父の納骨に行ったのも、暑い夏の京都だった。
日本には、お盆があり、終戦記念日があることで、夏の暑い空気感の中で亡くなった人のことを瞑う感覚があるかもしれない。
終戦の焼け跡も、やたら晴れたイメージがある。

夜、アゴラ劇場で公演中の羽衣「ROMANCEPOOL」を観に行く。
旧知の役者や、旧知のスタッフが多い団体だが、そういった関係をぬきにして、作品が面白く気になっている。
段ボールにペイントしてつくられた空間が、去年観た作品同様よい。
舞台美術家として、楽しい悔しい。
絵筆の力・統一感で空間をつくるのは、自分には不得意なことだから。

作演出の糸井氏が舞台美術も、そしてオリジナル楽曲も担当している。
一人ですべてやることがよい形で結実していると思う。
一人ですべてやることがよい結果になるどうかは力量しだいで、どちらかというと悪い結果のほうが世の中には多いと思うのだが。
空間を把握して構成する力と、それを形にする力が非常にあるのを感じる。

舞台美術の八割はプラン=発想にあって、発想の八割は空間を感じてイメージを広げる力だと思う。
専門教育や知識・技能はなくても、そういう力が鋭い演出家がたまにいる。
羽衣の糸井さんもそうだし、五反田団の前田さんやブラジルのブラジリー・アン・山田さんなどが思いつく。
糸井さんの場合をそれを形にするのに、絵力という武器もある。

オリジナルの音楽・歌によって綴られる内容は、断片の羅列で、物語性は極めてない。
物語を追わないと演劇を観ることが出来ない観客には辛く、難解かもしれない。
ミュージック・アルバムのようで、個々に明確に関連はないものの、イメージとしての統一感がある。
それを音楽を聞くような感覚でとらえて楽しめばいい作品だと思う。
そういう見方が出来る人なら、演劇に慣れてない人でも素直に楽しめるかもしれない。

人間の頭の中に漠然として羅列される「生のイメージ」を形にするのには、音楽は強いと感じる。
作演出家自ら作曲できることの強さを感じる。

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