朝、24時間風呂屋を出て五反田のアトリエヘリコプター改装に直行。
午後からは王子小劇場勤務に向かう。
柿喰う客「俺を縛れ」観劇。満員でブースから立ち見。
モニターを通しての音・ガラス窓越しでも、パワーと熱気が充分伝わった。
バラし(装置撤去)作業は、24時を回った。
この2008年7月1日は、王子小劇場10周年の誕生日でもあった。
王子小劇場は1998年7月1日に開館したのだった。
10周年の瞬間、2008年6月30日24時。
ホール内はバラし中。
それとなくカウントダウンするため、ネットで時計を合わせて、10秒前から声に出してカウントしてみた。
カウントの瞬間「おめでとうございます」の声がそこら中であがる。
バラし後は、柿喰う客の打ち上げが、10周年記念の小さな宴も便乗ということもあってホール内で行われる。
劇団からのサプライズで、誕生日ケーキが出てくる。
打ち上げは盛況。
同時に、王子小劇場の10周年も祝って盛り上がる。
ある人など、劇場スタッフを差し置いて
「(某劇場名)、(某劇場名)、何するものぞですよ!」
と、酔って気を吐いており、楽しかった。
打ち上げ中、役者に作品の感想を聞かれて色々話す中で、今回の作品あるいは柿喰う客の演劇は「ポストポストモダン」だ、とわけのわかるようなわからないような指摘をした。
自分が「ポストモダン」そのもの、その言葉の定義を正確に理解しているのか、おぼつかないところはあるのだが、なぜ「ポストポストモダン」と言ってみたくなったのか、整理してみる。
それには、まず日本の近代演劇史における「モダン」「ポストモダン」を振り返ってみる必要がある。
日本の近代演劇史においての「モダン」は、明治期の言文一致運動に連携する形で、演劇の近代化を行おうとした「新劇」の歴史にあたるのではないかと思う。それはあまり外れていないと思う。
(建築におけるモダン、と新劇系の具象度の高い舞台美術では、だいぶイメージが違いはするが)
60年代、鈴木忠志、唐十郎、寺山修司の出現・アングラの発生は、そういった「モダン」に対抗する形で出てきた意味では「ポスト(=次の)」ではあった。
寺山修司の場合はカバーする領域が広すぎて、演劇の流れの範疇ではなく突然変異的ではあるが。
時代の空気としては、そういう流れだったのだと思う。
これらの流れは、近代的理性よりも日本の土着性や身体性を指向したことで「モダン」に対して「アンチ」ではあった。しかし「ある主義」を持ち主張していたという点で、延長線上にあって、「ポストモダン」という印象とは異なるように思える。
「アンチ」になって対抗することは、ある意味同じ土俵の上で認めているわけだから。
そういう意味で、日本の近代演劇における「ポストモダン」の発生は、これら「アングラ」からつかこうへいの登場にかけて、やや緩やかに始まり、野田秀樹・夢の遊眠社、鴻上尚史・第三舞台、などの80年代小劇場の登場で一気に転換した気がする。「80年代小劇場」といえども、ひとくくりに出来ない色々な演劇が生まれたが、共通するのは先行世代が持っていた「主義主張」を対抗するのでもなく無視した、無化したことだと思う。
そんなものはなくとも、面白い物はつくることが出来るし、そのほうが面白い、と笑い飛ばしたように見える。
そして、それら「ポストモダン」80年代の小劇場の「ポスト(次に)」来たのが、青年団「現代口語演劇」の登場だった。
それは、一週回った「モダン」の刷新のように思う。
「新劇」の時代に追求していた近代化の一つ「リアリズム」には、どうしても歴史的に政治的な主義主張が加わっていた。80年代小劇場が、そういった主義主張や、演劇が持つ「運動」としての体質を無化した。
主義主張や運動性を削ぎ落とした「リアリズム」「モダニズム」が、新しい言文一致「現代口語演劇」だと思う。
90年代以降の演劇の先端は未だこの流れに続いたところにあると思う。五反田団、チェルフィッチュしかり。
90年代以降、近い時代を分析するのは難しいが。
他に特筆すべき出現としては、松尾スズキ以降の「悪意の演劇」か。
しかし、これらは作家のテーマ性に帰結するところで、演劇の構造や流れを地殻変動させるものではなかったと思う。様式としては、80年代的諧謔に、90年代の時代認識が加わって更新された感がある。
シベリア少女鉄道やポツドールのアンチテアトルな試みも、突然変異的で個人の資質に負う部分が強いと思う。
シベリア少女鉄道のような、特異な才能にはついぞ追随者が出ないし、ポツドールも一時の実験的な作品から足場は変則的静かな演劇の「リアリズム」に落ち着いたように見える。
柿喰う客を「ポストポストモダン」と評した由縁は、彼らが80年代演劇の「ポストモダン」の様式をとりつつも、90年代以降を視点に入れつつ、それらをさらにもう一度、80年代演劇が先行世代を無化したように、劇構造を壊して笑い飛ばしている点にある。
「ポストモダン」自体を、それ以降のものも含め、「ポストモダン」的に笑い飛ばす。
一週回って、メタ化したポストモダン。
劇構造の壊し方、笑い飛ばし方としては、「俺を縛れ」は最後やや手堅いところに落ち着かせてしまった感があるが、彼らの笑い飛ばしの真骨頂は、むしろ全体的な「悪ふざけ感」「本気でやってない感」にあると思う。
「悪ふざけ」の悪意には90年代以降の時代感覚が自然に入る。
それでいてパワー全開。
さすがに、この若さゆえのエネルギーがいつまでも続くとは彼ら自身も思っていないだろう。
しかし、まず勢いがある時に行けるとこまで行っとくのは、正しいと思う。
王子小劇場は1998年7月1日に開館したのだった。
10周年の瞬間、2008年6月30日24時。
ホール内はバラし中。
それとなくカウントダウンするため、ネットで時計を合わせて、10秒前から声に出してカウントしてみた。
カウントの瞬間「おめでとうございます」の声がそこら中であがる。
バラし後は、柿喰う客の打ち上げが、10周年記念の小さな宴も便乗ということもあってホール内で行われる。
劇団からのサプライズで、誕生日ケーキが出てくる。
打ち上げは盛況。
同時に、王子小劇場の10周年も祝って盛り上がる。
ある人など、劇場スタッフを差し置いて
「(某劇場名)、(某劇場名)、何するものぞですよ!」
と、酔って気を吐いており、楽しかった。
打ち上げ中、役者に作品の感想を聞かれて色々話す中で、今回の作品あるいは柿喰う客の演劇は「ポストポストモダン」だ、とわけのわかるようなわからないような指摘をした。
自分が「ポストモダン」そのもの、その言葉の定義を正確に理解しているのか、おぼつかないところはあるのだが、なぜ「ポストポストモダン」と言ってみたくなったのか、整理してみる。
それには、まず日本の近代演劇史における「モダン」「ポストモダン」を振り返ってみる必要がある。
日本の近代演劇史においての「モダン」は、明治期の言文一致運動に連携する形で、演劇の近代化を行おうとした「新劇」の歴史にあたるのではないかと思う。それはあまり外れていないと思う。
(建築におけるモダン、と新劇系の具象度の高い舞台美術では、だいぶイメージが違いはするが)
60年代、鈴木忠志、唐十郎、寺山修司の出現・アングラの発生は、そういった「モダン」に対抗する形で出てきた意味では「ポスト(=次の)」ではあった。
寺山修司の場合はカバーする領域が広すぎて、演劇の流れの範疇ではなく突然変異的ではあるが。
時代の空気としては、そういう流れだったのだと思う。
これらの流れは、近代的理性よりも日本の土着性や身体性を指向したことで「モダン」に対して「アンチ」ではあった。しかし「ある主義」を持ち主張していたという点で、延長線上にあって、「ポストモダン」という印象とは異なるように思える。
「アンチ」になって対抗することは、ある意味同じ土俵の上で認めているわけだから。
そういう意味で、日本の近代演劇における「ポストモダン」の発生は、これら「アングラ」からつかこうへいの登場にかけて、やや緩やかに始まり、野田秀樹・夢の遊眠社、鴻上尚史・第三舞台、などの80年代小劇場の登場で一気に転換した気がする。「80年代小劇場」といえども、ひとくくりに出来ない色々な演劇が生まれたが、共通するのは先行世代が持っていた「主義主張」を対抗するのでもなく無視した、無化したことだと思う。
そんなものはなくとも、面白い物はつくることが出来るし、そのほうが面白い、と笑い飛ばしたように見える。
そして、それら「ポストモダン」80年代の小劇場の「ポスト(次に)」来たのが、青年団「現代口語演劇」の登場だった。
それは、一週回った「モダン」の刷新のように思う。
「新劇」の時代に追求していた近代化の一つ「リアリズム」には、どうしても歴史的に政治的な主義主張が加わっていた。80年代小劇場が、そういった主義主張や、演劇が持つ「運動」としての体質を無化した。
主義主張や運動性を削ぎ落とした「リアリズム」「モダニズム」が、新しい言文一致「現代口語演劇」だと思う。
90年代以降の演劇の先端は未だこの流れに続いたところにあると思う。五反田団、チェルフィッチュしかり。
90年代以降、近い時代を分析するのは難しいが。
他に特筆すべき出現としては、松尾スズキ以降の「悪意の演劇」か。
しかし、これらは作家のテーマ性に帰結するところで、演劇の構造や流れを地殻変動させるものではなかったと思う。様式としては、80年代的諧謔に、90年代の時代認識が加わって更新された感がある。
シベリア少女鉄道やポツドールのアンチテアトルな試みも、突然変異的で個人の資質に負う部分が強いと思う。
シベリア少女鉄道のような、特異な才能にはついぞ追随者が出ないし、ポツドールも一時の実験的な作品から足場は変則的静かな演劇の「リアリズム」に落ち着いたように見える。
柿喰う客を「ポストポストモダン」と評した由縁は、彼らが80年代演劇の「ポストモダン」の様式をとりつつも、90年代以降を視点に入れつつ、それらをさらにもう一度、80年代演劇が先行世代を無化したように、劇構造を壊して笑い飛ばしている点にある。
「ポストモダン」自体を、それ以降のものも含め、「ポストモダン」的に笑い飛ばす。
一週回って、メタ化したポストモダン。
劇構造の壊し方、笑い飛ばし方としては、「俺を縛れ」は最後やや手堅いところに落ち着かせてしまった感があるが、彼らの笑い飛ばしの真骨頂は、むしろ全体的な「悪ふざけ感」「本気でやってない感」にあると思う。
「悪ふざけ」の悪意には90年代以降の時代感覚が自然に入る。
それでいてパワー全開。
さすがに、この若さゆえのエネルギーがいつまでも続くとは彼ら自身も思っていないだろう。
しかし、まず勢いがある時に行けるとこまで行っとくのは、正しいと思う。