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2008年あたりは、割と色々書いてます。






























2008年7月19日

幕が開いても

連続模型「モテイトウ」公演二日目。

スクリーンの手直しのみ、朝一でしに行くつもりが寝過ごす。
劇場に行くと、舞台上は返し稽古にとられ、他に手伝うことも発生して時間をとられる。
夏のWS・高尾」の下見に行く途中で寄っただけのところを、予定返上。
マチネ(昼公演)開演ギリで、スクリーンのドレープ手直し決行する。

マチネは満員で観ること出来ず、阿佐ヶ谷パールモール商店街をぶらつく。
土曜日のアーケードは、のんびりしていてよいなあ。
阿佐ヶ谷は、飲食店や生活感のある商店が充実していて、なかなか快適に暮らせそうな街だ。


気になっていた「ミート屋」がちょうど空いていたのでスパゲッティを食す。
こういうシンプルでしっかりしたものはよいなあ。
しかし、のんびりしてばかりもいられないので、急遽近場で打合せの予定を一本入れる。

ソワレ(夜公演)、やっと客席より本番を観る。
客席から観ていると、手直ししたもののスクリーン下のドレープが芝居を集中して観るのに邪魔だと感じる。
終演後カットすることを提案し、決行。



初日客席で観られなかったからこの日観る運命に、この日一日現場にいる運命に、こうする運命にあったのだ、と妙に納得する。
ゲネ(リハーサル)中は、作業しつつ観ていたし、気づかないこともあった。
幕が開いても、気になったらやるしかない。

終演後の飲み。今回の音響で、元Ele-C@作演出の森田さんに
「そんなに自分のギャラを(時給換算で)下げてどうするんですか、やりすぎです」
「ちょっとは、演出家この程度で気にしないだろ、とか手を抜くことはないんですか」
とダメを出される。
しかし、来てしまって、見てしまって、気になってしまった以上は仕方がない。

カットしたドレープはあったほうがよかったのに、との感想も聞く。
もともとプランにあったものだし、そう言われるのも尤も。
意味も機能もあるドレープではあった。
そのことを明晰に理解しているのは、さすが演出家。
しかし、装置の意味とか整合性より、芝居として観ていて気持ちいいか悪いかのほうが大事、と思ったのだ。

「いい加減演劇関わって長いだろうに、なんでそんなにライヴへのドキドキ感を維持し続けられるんですか」
と指摘される。
まるで他人事のようだが「なるほど自分はそうだったのか」と意外な驚きをもって、洞察に感心する。
そういえばもう十年も前だが、一人芝居の高山広さんにも同じようなことを言われたのを思い出した。

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