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2008年6月9日

現代口語な会議

先週つくった「表彰台とプラカード」を納品するために、昼には渋谷に着くように朝神戸を発つ。
本当は、車両に積み込むのはもっと早い時間なのだが、相乗りを頼んだ仲間内が積んでおいてくれるというので、早朝ではなくてすんだ。

昼にギャラリー・ルデコに行き、相乗り現場の荷下ろし搬入を手伝う。
空いた車に自分の納品物を積み残して、ドライバーと同乗し、納品。

夜、六尺堂ほぼ全員集合しての全体ミーティング。
事務所には入れない人数なので、作業場エリアに車座になる。
やや予想はしていたが、今回の議題は多く、議論はすべて消化するところまで行かず。
翌日も積み残し議題を片づけるため集まることになる。
通常の実務的議題ではなかったので、項目で箇条書きにまとめるのではなく(また、それが追いつかないので)ほとんど口述筆記のようなことをする。

口述筆記による記録は、当たり前ながら「現代口語演劇」的で、極めて論理的な会話を指向する会議なのにも関わらず、書かれたものを読むと、展開に脈絡がなく、話が色々に飛び交う。
これが、現在の日本語会話のリアルであることを感じる。

チェルフィッチュの作演出家・岡田利規さんは、テープおこしの仕事の経験から、あのようにリアルな現代口語のダイアローグを発想したと聞く。
かつての言文一致体の発生においては、二葉亭四迷が、当時の新技術・速記術による落語の口演筆記を参考にしたという。
この日の会議の口述筆記も、ブラインドタッチのタイピングスピードやパソコンの変換能力がなければとうてい追いつかなかった。

存在する技術や、記録のなされ方によって、リアルの感覚はそれぞれの時代によって変わるのだろうと思う。
自分の肉声の録音再生を客観的に聞くこともなかった江戸時代においての歌舞伎のリアルなどは、またわれわれの感覚とは違ったのではなかろうか?と想像する。

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