何かと思えば、演劇をやめて家業を継ぐことにしたという報告だった。
ちょっと前から都内に通える距離の実家に戻ったりしていたことや、色々の事情・家業の状況を聞くにつけ、遅かれ早かれこういう日がくるのではないかと感じていたので、意外という感はなかった。
家業を継いだほうがいいんではないか?と、冗談と本音の区別なく話したことは何度かあった。
思えば、彼が俳優・演劇を志してほどないころからを見てきていた。
何度もスタッフとして、同じ公演に関わってきた。
団体をつくってみて旗揚げ一回きりだった(そして作・演出家が途中でいなくなるという)公演にも、意を決して入団したら解散になってしまった団体の公演にも、そして今のところ彼が演劇に関わる最後となっている公演にもスタッフで入った。
首都圏には、数限りない劇団が発生しては消え、きっと数え切れない俳優が志なかばで道を変え、あるいは郷里に帰っているだろうことで、こんなことはめずらしいことではない。
身近にも、忘れてしまったり、気づかないくらい数あるだろう。
しかし、くしくも彼の演劇人生の最初から最後までに居合わせたと言えなくもない、と思うと不思議な気分になる。
自分が、偶然にも演劇に関わることを、続けていられる幸運も感じさせる。
しかし、すべての人にとって、何か志を通すことがかならずしも幸福であるかどうかはわからない。
志と引き替えに安定した生活や家庭を手に入れることによって幸福になる人もいるだろうし、彼のように家業を継ぐなどしたことで、今まで見えなかった道が開かれたり、帰るべきところが見つかることもあるだろう。
あるいは、彼くらいの年齢ならまだ若いから、そうした決断ののちに、また演劇の世界に戻ってきて活動を続けているような例だっていくらも見てきた。
もしくは、市民劇団のようなところで、地に足のついた生活と演劇を両立させている人もいるだろう。
それも悪くはない。そうして演劇の層が広がるということもある。
ARBの曲に「さらば相棒」がある。
男の友情・別れを歌った名曲。
ARB解散ライブでの、ゲスト原田芳雄による歌唱が印象深かった。
彼とは、その歌詞にあるような「相棒」でもなく、そんな別れでもなかったが、幸せに暮らせるさと語りかける詞は、いつだって挫折に優しく、彼への心境に近い。