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2008年6月2日

根の深いWS / ガウディの樹

映画の特殊美術製作のための取材で奥多摩へ。
取材っていうか、植物の「根」のイメージのダミーをつくるために、参考になるホンモノの素材を採取するための取材。ある意味ワークショップ(体験的学習、実験)だ。

仕上がったプロトタイプにどうもリアリティがない、と先日の打合せで指摘して、今日の機会を提案した。


自分がリアリティがないと感じている「感覚」が、多分言葉で説明するだけでは他のスタッフに充分に伝わるという気がしなかったから。
自分がそう思う根拠には、子供のころ崖に露出してる太い木の根を手がかりにつかまって遊んだ記憶、芋掘りやその他雑草・立ち木もろもろの根を掘り起こした経験があった。
だから、他のスタッフ、特に実際製作する特殊美術さんに、体験でもって伝えようと思ったのだ。

割と太めの根も必要であるので、崖に根が露出しているような場所を求めて、土地勘のある人間がいた奥多摩へ行くこととなった。

現地は、岩が切り立った谷間。
車でしばらく舗装されてない林道を入ったあたりで、よさそうな場所が出てくる。
山肌が崩れて、岩と土砂がまざったような斜面に、草木が立っている。

子供みたいに喜んで崩れた斜面を登り、ガツガツと根っこを引き抜く。引き抜く。

抜いていると、枝だか根だかわからないような部分も出てくる。
植物は、根でも枝でもリバーシブルにフレキシブルに変化できるのだろうか?
多分、そうとしか思えないのだが、正確な知識ではない。
では、その変化する指示はどこから出ているのか?という疑問が、その場の話で起こった。

多分、細胞一つ一つ、DNAにそのための情報が刷られていて指示を出しているとしか思えない。
つまり部分部分が個別に的確に判断して変化している。
それでいて全体が問題なく機能する。
動物のように、中央集権的(「脳」が指示しないと身体が動かない、とか)でないと言えようか。
WEBの発達によって発生している現象、オープンソースやWikipediaなどの性質は、動物より植物に近いのかもしれない。
これからは植物的社会を目指す時代なのかもしれない。
バックミンスター・フラーの「宇宙船地球号」ではないが、世界が一本の樹(宇宙樹だとか、神話世界の樹の話も数多くあるイメージだが)だとすれば、植物を見ている限り、そういうシステムの社会でうまくいくはず。
しかし、そういう考え方はちょっとしたアナーキズム(無政府主義)に近づく。ちょっと違うとは思うが。


だいぶいい感じに採取できた。
次の段階として、これをスケッチして、どう描くとリアルなのかを発見する、根が持っているフォルムを繰り返し描線を描くことで体に入れる、という段階を踏むつもり。

スケッチのWSに参加する学生スタッフには、「琳派」「村上隆」「南方熊楠」「アントニオ・ガウディ」について調べておくように指示した。
WSの際、話すと予想されることの共有言語として必要だと思ったので。
後で考えたら、「伊藤若沖」「曾我蕭白」とかも入れておくべきだたかもしれない。

ガウディ、と言えば。
もし発想を広げるなら、、、植物よろしく(動物もだが)成長し続けるシステムが生命体だと考えるなら、今もって完成しない、建築を続ける、部分が全体を構成するサグラダ・ファミリアを、ガウディは「生命体」としてわざと完成しないように設計し、世を去ったたのではないか?などと夢想をしてみるのも楽しい。



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