夜はマグネシウムリボンの稽古場に行き、稽古見、打ち合わせ。
難航していた舞台美術プランの突破口が見えた。
現在、王子小劇場の照明ユニット(調光器)・丸茂・ゼムツァーにはNGのチャンネルが発生しているため、ライトピューター・DX1220を増設してその分を補っている。
この増設ユニットに接続した灯体だけ、フェーダーを落としても消えきらない、という問題が発生した。
昨日は問題なかったという。
劇場備品機材に起きている問題なので、何らかの解決策を出すのも劇場スタッフの仕事。
色々試しているうちに、以前別のトラブルでやったのと同じ方法(増設ユニットのブレーカーを落としてから主幹のブレーカーを落とす、主幹ブレーカーを入れてから増設ブレーカーをあげる)を繰り返すうちに問題解消。
その後、状態が再現しないためはっきりとした原因は究明できないが、一応解決。
こういう機械のトラブルは、状態が再現しないと突き止められない。
しかし、正しい手順で、終了・起動を繰り返してみるというのは、パソコンなどのリセットと同じで、機械的トラブル解決の基本かもしれない。
劇場での機材トラブルも解決し、夜マグネシウムリボンの稽古見に西荻窪の区民集会所へ向かう。
正直、前回の劇場下見・稽古見からの課題は解決しておらず、まだ提案できるほどのアイデアがない。
しかし、稽古を見れば何か浮かぶかもしれない。
実際に役者が動いていること、演出家が指示していることの情報量は多く、一人で考えるより突破口になる。
稽古後、作演出の塚本さんに時間のケツがあるということで、軽く1時間だけ打合せ。
実は稽古を見ていても、無駄な装置が必要なく感じられたので思いつくことは何もなかったのだが、時間にケツもあるし、何も提示しないわけいにもいかないから、無理矢理絞り出すように思いつくことを提示する。
役者ならエチュード(即興)に近い、アイデア出し。
ラフスケッチによる「画」だけでなく、思いつくプランやアイデアに、何がしか名前をつけ「言葉」にして並べてみる。
そうこうするうち「落語」というキーワードが塚本さんから出て、舞台美術プランの方向性が見える。
何をつくることも、飾ることも無駄に思えたのはまさに「落語のような』スタンスで書かれ、演出を指向しているからだった。
落語における空間装置としては、これはもう「屏風」(あと、扇子、羽織、手ぬぐい、座布団、演台)だろうということで、舞台美術プランのとっかかりが見えた。
自分にとって「落語」が舞台芸術に対する原体験に近く、遠い存在でないことが、強みになる。
落語における「屏風」に近い形状、果たしている機能に近い機能性を考える。
舞台美術プランに行き詰まったときの突破口は、作家演出家本人も意識せず、重要に思わず、また言語化していなかったようなキーワードにあることが、割にある。
この増設ユニットに接続した灯体だけ、フェーダーを落としても消えきらない、という問題が発生した。
昨日は問題なかったという。
劇場備品機材に起きている問題なので、何らかの解決策を出すのも劇場スタッフの仕事。
色々試しているうちに、以前別のトラブルでやったのと同じ方法(増設ユニットのブレーカーを落としてから主幹のブレーカーを落とす、主幹ブレーカーを入れてから増設ブレーカーをあげる)を繰り返すうちに問題解消。
その後、状態が再現しないためはっきりとした原因は究明できないが、一応解決。
こういう機械のトラブルは、状態が再現しないと突き止められない。
しかし、正しい手順で、終了・起動を繰り返してみるというのは、パソコンなどのリセットと同じで、機械的トラブル解決の基本かもしれない。
劇場での機材トラブルも解決し、夜マグネシウムリボンの稽古見に西荻窪の区民集会所へ向かう。
正直、前回の劇場下見・稽古見からの課題は解決しておらず、まだ提案できるほどのアイデアがない。
しかし、稽古を見れば何か浮かぶかもしれない。
実際に役者が動いていること、演出家が指示していることの情報量は多く、一人で考えるより突破口になる。
稽古後、作演出の塚本さんに時間のケツがあるということで、軽く1時間だけ打合せ。
実は稽古を見ていても、無駄な装置が必要なく感じられたので思いつくことは何もなかったのだが、時間にケツもあるし、何も提示しないわけいにもいかないから、無理矢理絞り出すように思いつくことを提示する。
役者ならエチュード(即興)に近い、アイデア出し。
ラフスケッチによる「画」だけでなく、思いつくプランやアイデアに、何がしか名前をつけ「言葉」にして並べてみる。
そうこうするうち「落語」というキーワードが塚本さんから出て、舞台美術プランの方向性が見える。
何をつくることも、飾ることも無駄に思えたのはまさに「落語のような』スタンスで書かれ、演出を指向しているからだった。
落語における空間装置としては、これはもう「屏風」(あと、扇子、羽織、手ぬぐい、座布団、演台)だろうということで、舞台美術プランのとっかかりが見えた。
自分にとって「落語」が舞台芸術に対する原体験に近く、遠い存在でないことが、強みになる。
落語における「屏風」に近い形状、果たしている機能に近い機能性を考える。
舞台美術プランに行き詰まったときの突破口は、作家演出家本人も意識せず、重要に思わず、また言語化していなかったようなキーワードにあることが、割にある。