舞台美術プランとか劇場スタッフとか、

かつては写真とかもしてきた、松本謙一郎のサイト。


今(2010年〜)はもっぱらツイッター( @thinkhand / ログ )で、ブログとしては更新してませんが。
最近は主にもろもろの告知とアーカイブ、ポータル的編集記事など。

2008年あたりは、割と色々書いてます。






























#アイホールと私 松本の場合

 
 2021年に #アイホールと私 を展開していたとき、書きかけてそのままになっていたのだけど、いよいよ2026年3月末の閉館を前に、公式から「思い出のメッセージ募集」なんてものもあるので、あらためて振り返ってみる。


 しかし、やはり簡単にはまとまらないので、まずはアイホールで観劇したもの。
 仕込み・バラシ(基本、だいたい観劇もしている)増員だったのもの。
 そして、上演は東京で観ていても関わっているもの。
 すべてリストアップしてみる。
 思い出や感想など書けることがあるなしに関わらず、出来るだけすべてリストアップしてみるので、エピソードがあるときもないときもあるけど、あしからず。
 自分が舞台美術プランしたものに関しては、割と画像や図面や解説あり。

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1990/10/25〜28
 伊丹市市制50周年記念公演
・初めてアイホールに行ったのはこのときのはず。まだ学生だった。
 新宿梁山泊は観ていたし、北村想の名前も知ってた(観たことはなかった)から、気になって観に行ったんだと思う。
 このときのこととか色々は以下の記事に詳しく書いている。
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1996/7/5〜7
・チラシ・ポスター写真の撮影と東京公演のゲネで舞台写真撮影、など
 (アイホールには行ってない)
 役者一人一人撮ったのを、宣伝美術さんが合成しているのだけど、まだデジタルの時代じゃないので、明らかに手作業で切り貼りしてるし文字も写植だった。
 チラシの裏面も今改めて見ると、時代が感じられて色々と味わい深い。
 流山児★事務所のチラシ・ポスターはいくつか撮影しているけど、これが最初だった。
 
 
1997/12/26〜28
・舞台写真撮影
 千穐楽の本番前にラストから逆回しに返し稽古しつつ撮って「??」の状態だったのが、先に「大オチ」見てるのに本番観て謎が解ける不思議なことになった。
 バラシも手伝ったので、アイホールの素の空間を初めて知る。
 カメラマンなのにカメラバックから腰道具出してバラシ手伝ってる不思議な人だったから、舞台監督の鈴木田さんに驚かれた。
 確か打ち上げが京橋で、打ち上げ上がりの朝方に江口(恵美)さんがグランシャトーの歌をフルコーラスで唄って踊っていたのは、たぶんこのとき。
 
 
 
・舞台写真撮影
 しかし、なんだかアイホールだったという記憶が希薄。
 その後、流山児★事務所でこの作品を上演したいと頼まれて土田さんとの仲介をした。
 ところどころ改行が崩れたデータでメールが届いたのだが、MONOの作品には「えっ?」「おい」みたいな短い言葉が多く、それだけだったり相手の名前が続いたりするので修正する際にわかりにくく苦労した。
 MONOの作品の中でも特に好きな作品の一つだけど、その後MONOおよび他の団体による再演をいくつも観たり関わったりすることになった。
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1999/10/8〜10
 AI・HALL リージョナルシアター
・舞台写真撮影(東京公演)
 
11/18〜21
 AI・HALL リージョナルシアター
 MONO-初恋
・舞台写真撮影(東京公演)
 

2000/6/2〜4
 AI・HALL提携公演
・舞台写真撮影(東京公演)
 ゲネ終わり、鈴木田さんに
 「若い美術家の将来かかってますんで、ちょっとご協力ください」
と頼まれて舞台美術記録のカットも撮る。
 そして、この作品で柴田隆弘氏、伊藤熹朔賞新人賞受賞。
 


2001/7/6〜8
 AI・HALL提携公演
・舞台写真撮影(東京公演)
 
 
2002/11/29〜12/1
 AI・HALL提携公演
 桃園会「blue film」
・舞台写真撮影(東京公演)。
 東京が先で、撮って観た。自分が関わってる作品だし震災の話だし、ということで神戸の両親をアイホールに招待した。以前、羊団「Jericho」(エリコ)に呼んだら、ちょっとヘビー(難解)すぎたから、これなら桃園会の中では割と軽めでよいかなと思ったのだが。ちょっと演技が芝居くさいという感想の父。なかなか難しい。
 そういう場面もあったけど、あれは意図的なものだからなー。
 江口さんがメガネを外しながら一つの台詞中に過去から現在にフェードチェンジしていく演技(芸)が見事だった。
 舞台美術にある「ピンポイント八百屋」という手法には影響受けて、その後しばしばパクらさせてもらっている。役者曰く「めっちゃ筋肉痛になるけど、立ち姿が美しくなる」らしい。舞台美術が俳優の身体をコントロールするということを、このとき実感した。
 


2003/10/15〜19
 燐光群+グッドフェローズ プロデュース
・東京公演の製作段階で、劇中スライド(フィルム!)の製作(撮影)
(アイホールには行ってない)
 画素数の低い画像データを舞台上で投影出来るようにするために、PCのディスプレイに映してポジフィルムで複写するいう方法をとった(高山広さんの公演でいつもそうしていると聞いていたので)。
 オリジナル(創案)のひとたちが日本にやって来たら「俺たちも同じ方法でやった」と応えたとか。(なら、最初から教えてやれよ。燐光群のひとたち困ってたぞ)
 
 
2004/5/28〜30
・舞台写真撮影(東京公演)
 まだ舞台美術プランをやりはじめたころだったからか、どういうふうに打ち合わせをしてるのかという話を深津さんに聞いたのはこのときだったはず。
 深津さんは基本的に美術家に「お任せ」で、先にオーダー出したり出て来たものにリクエスト重ねるとかはほとんどないとのことだった。ともゆきさんだからこその全幅の信頼か。
 それでドンピシャだったりクオリティーの高いものつくれるっていうのは「誰でも」じゃないだろうから、ある意味あまり参考にはならなかった。
 この作品においては、波板吊るすアイデアと床の布に穴が開いてるのとの2案出てきたのを「両方で」とオーダーしたとか。
 観に来た松本雄吉さんに「こんな汚い舞台美術ないでー!(褒め言葉)」(ラストに向かって、ドアポストからの郵便物がどんどん散らかっていく)と言われたという話をよく覚えている。
 



2009/12/18〜20
・舞台写真撮影(東京公演)
 池田ともゆきさんの舞台美術は桃園会で数々目にして、非常に影響を受けているのだけど、この作品の超シンプルな可動する黒い壁面を見たときの影響は大きく、シンプルで抽象的な傾向に向かっている自分の嗜好(思考)が再認識されて、その後強まっていくことになった。


 





2010/11/5〜7
 AI・HALL提携公演
・東京で緒方晋さんと知り合っていて観に行った。緒方さんは神様(と自称する役)だった。A級MissingLinkには後に王子小劇場で公演してもらうことになる。
 ちょうど、ツイッター黎明期でやや知り合いになっていた小暮宣雄さんがトークゲストの回だった。舞台美術に関わる「テキスト / タイル〜テキスタイル」という言及されていたのを印象深く覚えている。
 
 
・歳は同じだけど学生のときは一つ後輩で、舞台スタッフとしては先輩である舞台美術の西田聖くんに佐藤佐吉賞の賞状を渡した。その舞台美術(壁の花団)も同業として悔し羨ましいものだったけど、この作品の舞台美術もアイホールの空間をダイナミックに使う悔し羨ましいものだった。
 とても印象的な舞台美術で、自分も見たかったから展示代行を任せてもらった「アイホールセノグラフィー2002-2022」では図面を展示させていただいた。
 役者や観客の顔が死人のように見えた場面があって、照明が気になったので、どうなっているのか葛西健一さんに聞いたら、笑顔で「企業秘密です」と言われた。(意図にハマった「客」で嬉しかったんだと思う)

 
2012/10/5〜7
ロロ「LOVE02」の京都公演で帰省がてら関西にいたから、当時スタッフだった王子小劇場にツアーで来る前にアイホールで観た。この作品は先に台本も読みつつ、林さんが前宣伝で色々と雑学の小ネタを広げて来るのを拾いつつ広報支援してた上、後年の再演も含めると多くの回数上演観ることになる。
 ツアーでやって来る作品なら、出来るだけ事前にチェックするし、すべての公演出来る限りの広報・集客支援しようというのは、当時劇場スタッフとしての自分の姿勢だったが、舞台美術プランナーとして作品に関わる際も変わらない。


2014/2/6〜10
・【B】(大熊ねこ・森川万里)キャスト。観劇してバラシ手伝った。
 舞台写真とかググっても出ないので、ざっくりとした記憶になるがアイホールの空間に「野外感」を強く感じた。この印象が後の、優しい劇団の大恋愛Volume伊丹「なるべく終わらないカーテンコール」につながってる気もする。
 確か「俺んちゅ」で打ち上げした。
 自分が東京から関西に移って(戻って)すぐだったので、深津さんにも桃園会の皆さんにも、よい挨拶回りになった。
 
 
2014/2/28〜3/2
・仕込み増員ていうか、押しかけ手伝い(引っ越し挨拶・営業がてら)。実はアイホールの仕込みは、初(バラシしか参戦したことなかった)だった。
 
 
2014/3/8〜9
 伊丹想流私塾 第18期生「三つ目の倚子
・終演後の乾杯みたいな席で、当時アイホールスタッフだった木原さんを紹介していただいた。にもかかわらず、もはや東京の劇場の人でもないし、このときはまだブラブラしている(大道具も舞台美術もしていない!)人だった。
 しかし、後に無名劇団に紹介していただくことになる。顔はつないでおくものだ。
 
 
2014/3/21〜23
 
 
2014/5/9〜12
 本若「駒王路」十周年記念爆走三部作
・仕込みバラシ増員。higeさんがいるので当然のようにバラシの搬出で雨が降った。噂に聞いてはいたが、食らったのはこのときが初。
 本若名物「アスレチックみたいな舞台美術」「八つ墓村(状態)」というワードを知る。
 アイホールで木脚・高台には慣れている平宅亮さんには、努力クラブ誰かが想うよりも私は」で増員に来てもらうことになる。
 
 
2014/5/30〜6/1
 [ break a leg ]
・「おなかごしのリリ」のみ観劇。若旦那さんが人間じゃないものや異星人や死人の役
とか多いのは有名だと思うが、自分にとってはこのときの「登場人物のなかで唯一、実は死んでる人」の役が初だったはず。
 
 
2014/6/7〜8
 [ break a leg ]
・観劇後、座組みのひとびとと「すし楽」に(初めて)行った。
 
2014/7/4〜6
 大阪現代舞台芸術協会プロデュース
 文豪コネクション「坊っちゃん
 
2014/7/11〜14
 sunday友達
 
2014/7/19〜21
・終演後トークに深津篤史さんが出る回を観劇。言葉を交わすことはなかったが、深津さんの姿を見た最後の機会になった。今にして思えば、それがアイホールだったというのは運命的なものを感じる。
 
・バラシ増員
 
2014/9/26〜28
 
2014/10/3〜5
 
2014/10/23〜26
 リスペクト・フォー・マスターズ
 A級MissingLink+竹内銃一郎
 「Moon guitar
 
2015/1/16〜19
 
2015/2/18〜22
 
2015/2/28〜3/1
 伊丹想流私塾 第19期生
 
2015/3/13〜15
・仕込みバラシ増員
 
2015/4/24〜26
 
2015/8/6〜9
 
2015/9/25〜28
 
2015/10/2〜4
 
2015/11/13〜16
 
2016/2/6〜7
 
2016/2/26〜28
 
2016/8/6〜7
 
2016/9/2〜4
 
 
2016/11/11〜13
・実は、この時はじめて観たのだけど、ラストはこの空間で観ること出来て良かった。
 狭い劇場で見る驚きもあると思うが、広さ・高さによる突き抜け感がアイホールの空間ならでは。
 
・観に行ってバラシ手伝った。
 
 
2017/5/26〜28
 [ break a leg ]
・ちょうど、翌週に向けて確認に現調行きたいなー、とスタッフが知り合い(だったら相談、お願いしてお邪魔させてもらう)かどうか調べてたところに、仕込み増員うかがいの連絡が入った。観劇は予定合わなくてかなわず。
 

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2017/6/10〜11
 [ break a leg ]
・舞台美術プラン


 舞台美術プランナーとしては初のアイホール。
 搬入車両はバン(キャラバン)1台だったけど、劇場備品の平台箱馬すべて使い切り!
 予算(作業物量)抑えるためもあり平台箱馬2段階で組んでるところもある。
 あとから見返すと自分で引いた図面なのに、ちゃんと理解するのに10分以上かかる複雑な台組みだった。色んなひとにごめんなさい。

 



 そして装置の番号札(暗号)に数種類の相番(位置番頭と出す順番の番号)と、意味のわからない数字だらけで、これも色んなひとにごめんなさい。
 暗号は「暗号」だから、その意味はあって、解読表があるのだけど、秘密にしないと暗号にならないから劇中で通信(暗号)兵役だった堀内充治さんにしか見せていない。
 ただし、後に「アイホール・セノグラフィー2002-2022」の自分」の展示では、ギリギリ読めないくらいのサイズで紛れ込ませはした。暗号である番号札は劇中終盤、「終戦」の場面で秘匿廃棄される。戦後語られる真実として、よき年数(どのくらい?)経ったら種明かししてもよいのかもしれない。
 

 アイホールの仕込みでネックになることの一つにタッパが高く、照明シュート(フォーカス、灯り合わせ)のためにジニー(高所作業台)を走らせる必要があって、床の昇降をどのタイミングで出来るか?ということがある。
 この時の舞台美術プランは、全体を+400に上げた上でそこ(±0)から−600(劇場0レベルから−200)下げた箇をつくったり、台組みをしたりするものなので、床を昇降しないと舞台美術仕込み作業がまったく進まない。
 そこで、吊り込みの段階で仮シュートするのと、台組みに絡むところを先にジニーシュートしてから少しずつパズルのようにジニーを逃がしていく、というような作戦をとったはず。
 
 アイホールの正方形に対して45°回転させた正方形の台組みに2面客席という変形なので、照明プランナーの檜木さんが一瞬「自分がどこにいるのかわからなくなる」という場面も発生した。トラス(バトン)に正対してない・ひねってるというのは照明としてやりにくかったはず。
 アイホールが正方形をコンセプトにしているのは「正面性を排したかった」と、設計者の歌一洋さんから後にうかがうことになるのだが、このプランするときになんとなくその印象は無意識にあった。
 


 無名劇団さん、初のアイホールを下見したところ「これは誰かに頼まなければ無理だ!」となったらしく、そこで当時のアイホール担当スタッフ・木原さんが自分の名前を挙げてくれたらしい(なぜか)。しかし、木原さんも自分の連絡先知らなかったので、オファーの連絡は団体からツイッターDMで来た。木原さんがなぜ自分を挙げてくれたのか聞いてみようと思いつつ、機会なくそのままである。
 
 当時やっていたのが、東洋企画がっかりアバターだったから、若手の相手するのに向いてるイメージとかあったのだろうか?
 この無名劇団のbreak a legトライだったり、壱劇屋のメイシアタープロデュースや10周年・森ノ宮ピロティというピンポイントだったり、プロトテアトルがウイングから芸創に規模を広げて、KAVC〜break a legへの進んで行く過程だったり、団体が力入れる状況で呼ばれがちではある。
 ずっとつき合うのは疲れるけど、たまに遊ぶと面白いオジサンなのかもしれない。
 なので、ちょっと勝負どころとか何かに初チャレンジな公演の団体さんとか、お気軽にどうぞ。


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2017/12/15〜17
 
2018/1/26〜29
・仕込みバラシ増員
 
2018/6/9〜10
 [ break a leg ]
 
2018/11/9〜11
 
2018/12/7〜9
 
2018/12/14〜16
 
・仕込み増員。バラシてはいないが観劇もした。
 
 
2020/1/17〜19
・演出というべきか舞台美術というべきか、その両方「そうきたか!」と初演関係者(チラシ写真・舞台写真)として楽しかった。映画であの歳であの役出来てる原田知世バケモノだなと思ったけど、紙本明子さんもかなりバケモノだと思った。

 
2020/1/25〜27
 
 
2020/7/10〜13
 
 
 
・仕込み増員
 加えて若者数人手配。それぞれ舞台監督や大道具続けているから、良い機会にしてもらえたんじゃないかという気がする。
 
 
2021/5/21〜23【中止】
・仕込み増員
 増員というか、higeさんと直接話して相談したいことあったから押しかけたんだった。まだまだコロナで暇だったし。
 買ったばかりのコンパクトなレーザー墨出し器を見せびらかしたくて持って行ったら、吊り点出すのにとても役に立った。
 同様、買ったばかりのボッシュ10.8V丸ノコも見せびらかしたくて持って来てたら、切穴のクリアランスを現場で調整カットする事案が発生して役に立った。照明シュート作業盗みつつだったけど、、、
 どちらも「文化庁のん」で買いました。ちゃんと使ってるし活動継続してるから正しいはず。


2021年7月〜8月
 アイホール存続問題が浮上する。
 ZOOMで「作戦会議」を企画したことをきっかけに、情報まとめ記事「アイホールの件」を編集したり「アイホール非公式アーカイブ」をつくり始めることになる。
 このことが後に「アイホール・セノグラフィー2002-2022」や、優しい劇団の大恋愛Volume伊丹「なるべく終わらないカーテンコール」につながることになる。


2021/9/16〜18
・仕込みバラシ増員
 観劇したので、西東三鬼神戸、続神戸」買って読んでみた。
 
2021/12/3〜5
 下鴨車窓プロデュース「舟歌は遠く離れて
・旧知の燐光群制作・古元さんに頼まれて、照明増員手配した。手配(紹介)しただけで仕込みには行ってないが、観劇はした。まだこの頃は、久しぶりだしせっかくだから飲みに、とはいかなかったはず。
 
 
2022/2/26〜27
break a leg、2連戦。努力クラブプロトテアトルで、どう戦うか作戦を立てるため、予習するため、努力クラブの照明をしている渡辺佳奈さんの現場だったので見学に入らさせてもらった。
 いかにトラスを早く飛ばせる状況に出来るか?照明さんの作業を見て(普段は並行して自分らも作業してるから、じっくり観察はしていない)工夫出来るところのヒントを得るために。
 せっかくなので、装置の建て込みも少し手伝った。
 そして、このとき(見学だから余裕あってブラブラしていた)アイホールの3Fが元々はギャラリーとして設計されていることに気がついたので「試作と努力、舞台美術」の企画を思いつくに至る。
 
 
・仕込み増員
 2021年に中止になった公演のリベンジで同じ舞台美術・装置でもあったから、様子わかってるということで今度は普通に発注されての増員。
 都さんが「こんなふうに一緒に仕込むの意外とめずらしいー」て楽しそうだったので、記念に撮っといてみた。



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2022/6/4〜5・6/11〜12
 
 
 最後となる「break a leg」に自分が舞台美術プランしていた2団体が選出。
 両団体ともKAVC FLAG COMPANY(2019-2020)(2020-2021)を経ている。

 実は、この選考をアイホールでやっていたまさにその日、自分は近くにいた。
 そうとも知らずクロスロードカフェで開催されていた「アイホールチラシ・ポスター展」に、チラシを撮りに来ていたのだ。 「アイホール非公式アーカイブ」(これをきっかけに始動)をつくるデータ収集のためである。
 なんなら選考会議終わりの三田村啓示さんも店に立ち寄っている。 スケジュール帳カレンダーの記録によると、どうやら2021年の8月18日だったらしい。
 選考結果を知るのは公式に発表されてからだが、奇縁。
 たくさんの過去チラシ・公演の話題ですごく盛り上がっていた。アイホール存続問題が話題になっていた時期なので取材記者さんも来ていた。興味深い昔の話が展開される2つのテーブルに挟まれて三田村さんが身悶えていた。
 
 この2団体が選ばれたことは9月には発表されていたので心構えしてはいたのだが、なぜか努力クラブからの連絡は公演まで4ヶ月切った頃だった。
 レギュラーでやってる団体とはいえ、今回「も」お願いされるのか、今回「は」無しなのか、声かかってなんぼ。特に舞台美術は予算の都合やなんやかやで、立てる公演もあれば、立てなかったりもしがちカットされがちだし。
 こちらから聞きにくかったりもする。特に努力クラブはなんもなくても「やりそう・やれそう」だし、やってるし。
 
 皆さん(世の中のたくさんの劇団・公演主催者)連絡はお早めに!
 (あと、レギュラーの外注スタッフいる場合は、それぞれの都合聞いてから公演日程検討しましょう!)
 色々「決まってない」とか「台本が出来てない(構想も定まらない)」とか気にすることありません。自分の場合だと、最低限どこの劇場ということさえあればゼロではなく、わずかでも舞台美術プランはスタート出来たりします。早めにわかっていれば(安くで)用意出来る物や可能になることが発生したりもします。隙間時間に考えたり調べたりが積み重ねられるから、同じプラン料でもお買い得です。
 
 というわけで、2団体共同作戦の立ち上げは遅いスタートでなかなかにバタバタとしたのだが「試作と努力、舞台美術」という展示企画+ファイナルということで、過去「break a leg」チラシ・舞台写真とサインパネルの設置、「break a leg ステッカー」製作、幟(のぼり)やターポリン看板の設置、などを決行することになる。



 (まず、ここで山口さんを巻き込んでしまった!)

 舞台美術が両方自分なので、2団体分まとめて搬入しまとめて搬出するという「お互い様」協力で車両費を抑える、というのが発想の原点で、2団体の間に空いてる1日のうち1日と半日を自分が毎年やってる舞台美術WSをするために(個人的に)借りて、残り半日を後半のプロトテアトルが前乗り稽古利用で借りる、ということで「2週間居っ放し」を企んだ。
 
 「2週間、装置が置いておけるんなら、2週間展示出来るんじゃないか?」
 
 と、思いついたこと「どう思います?」と、higeさんに相談してみたら
 「全部やったらええんちゃいます?」て言われた。
 
 2団体の作・演出2人がそろってアイホールに来るし、ホールも空いてるっていうので、チラシ写真撮影の日に自分も立ち会って、その後いっしょに劇場下見した。
 この時点で、努力クラブのほうは「すり鉢階段状の台組み」と「トラスタッパ下げ目」でいく方向性、プロトテアトルのほうは「基礎床を下げる」のと初演を踏まえたラストシーンの方向性、はなんとなく見えていたんだったと思う。しかし、ついでなんでトラスも床も色々に上げ下げ試して見てみることはした。
 却下になったけど、ことのとき試したトラスタッパが段違いになってるヤツは個人的にはなかなか楽しそうだった。
 
 素の空間を演出家といっしょに下見して、あれこれ話すという時間は舞台美術プランする上でとても大事で貴重。いつも必ずしも出来るとは限らないし、ゆっくり時間かけれれるとも限らないが。それだけに、スケジュール調整には最大限努力したい。
 
 下見の後3人で、純白そば月山で飯食って帰りの電車もいっしょだから、色々と話した。何を話したかは覚えてないけど、それぞれの今回の作品とか打ち合わせ的なことはわずかで、なにか演劇の話だったはずだとは思う。
 飯食いながら、この機会にKAVCでやったようなことを今回もやりたいなあと思ったのだけど、すでに色々とやり過ぎてしまってたから最終的に無理だった。
 3年後、劇団 ユニットWOW!! のときも出来ず、優しい劇団のときにやっと出来た。

 >「アイホール周辺の「非公式」オススメ・2026/1/4 選ばれし勇者たちに捧ぐ Ver」(劇場近辺オススメ飲食店などリスト・マップ)

 こういうの、すべての劇場でやればよいのに、とずっと思っているし機会と余裕があればまたやりたい。
 劇場のひとは、劇場近くのよい店・おいしい店を知っているはず。
 扇町ミュージアムスクエアの吉田さんや、三鷹芸術文化センターの森元さんが、リストやマップを楽屋に貼ってくれてたのは有名だと思う。確かシアターBRAVA!でも見かけた気がする。
 そして、別にオープンにして悪い情報じゃないんだから共有すればいい。
 公立ホールだとなかなかそうもいかないと聞く。
 なるほど、ならば「非公式」でつくればよいのだ。
 
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2022/6/4〜12
  >1F・ホワイエ入口 山口良太インスタレーション作品「2002/2022

・企画・プロデュース
 3つとも、とてもやりたかったこと。


  


 3Fが本来ギャラリーとして設計されていたということに気がついたとき、さてでは何を展示するのかといえば、アイホールでの過去の舞台美術をふり返っておく、というのは今しか出来ないだろうと考えた。
 アイホールが閉館するなら、その最後に舞台写真だったりチラシだったりの展示でふり返る展示が行われる可能性はある。しかし「舞台美術」」に特化したものはきっと行われないだろう。
 そもそも「舞台美術展」がそんなに行われていないが、必要だとも思った。
 過去といっても初期の公演のスタッフクレジットまでは「アイホール非公式アーカイブ」でも拾えていないので、ちょうど山口良太さんの作品「2002/2022」にも合わせて、切りよく2002年〜の20年という括りにしてリサーチ。最終的に出展いただけた方+数名の方に連絡をとった。

 
 出来るだけ多くの方に出展して欲しかったので、当日現地で展示作業出来ない方もこちらでやります、なんなら過去図面の掘り起こし(アイホールに残る打ち合わせ資料から)〜展示まですべてお任せの展示するOKだけでもください、という相談もした。
 この展示準備〜展示作業に加え、なんせホール内の舞台美術タタキ〜仕込みが同時並行でもあるので、自分自身の展示はあまり時間をかけて手を凝らしたものに出来なかった。
 まあ、皆さん一定限られたスペース(壁面900✕1800程度分)で等分しているなか、自分は1Fホワイエで存分に装置現物とかも展示してるから、その時点でズルいことにはなってるのだが。
 
 アイホールの空間を色々な舞台美術家がどのように使ってきたか?という展示を、これまで知る限りギャラリーとして使われて来なかった3Fで行うのなら、ぜひアイホールを設計した歌一洋歌一洋建築研究所)さんに見ていただきたくてお声がけして来訪がかなった。


 アイホールを設計した際に考えたことなど以前から聞いてみたかったというのもある。
 言葉少なにいくらか話していただいたが、竣工当時に雑誌に載せたものに詳しく書いてあるとのことで貴重な切り抜きをいただいた。

「アイホールが、仕掛人=プロデューサーの力を借りなくても、多くの人びとに私たちの想像以上の使われ方、演出のされ方で日常的に稼働されることを念願している。」

-「新建築」1989年2月号、アイホール設計者・歌一洋 [wiki] 氏のテキストより-

 記念写真に写ってる「アイホール・セノグラフィー2002-2022」の「看板」ぽいもののベース(面材)は自分が塗装作業するときに養生ベニヤとして使い続けているもので、アクションペインティングの抽象画みたいになっている。その後、実際に舞台美術・装置として使いたいという団体が現れて貸し出したこともある。
 看板製作〜一日目の展示作業色々はサカイヒロトさんにお願いした。
 
 1Fホワイエで上演中2団体の舞台美術展をするというのは、舞台美術に興味を持ってもらい3Fの展示へのフックにするというのと、上演中作品の模型を展示するというのは見かけるけど「模型じゃなんだかなあ」という思いが自分にあったので、両団体の装置で残してあるもので空間をつくった。
 
 公演のない日の昼間、通りがかり親子連れの子供が箱馬を積み上げては「ばあーん!」て崩して「これ、積み木やでー」と言って遊んでいた。正しい。
 そもそも「ノクターン」の作品・舞台美術コンセプトは、まさに「それ」だった!
 



 もちろん上演中作品の図面は展示して、努力クラブ誰かが想うよりも私は」の方は模型つくっていたので、それも並べた。「ノクターン」の模型や装置の積み木と共に、これもやはり子供が遊んでいた。
 どちらもよくある感じの舞台美術模型ではなく、木でつくった荒々しくて丈夫なものなので触って遊んでもらってよい。
 努力クラブのほうは、今回慣れない段差の立体的な空間なんで動きのシミュレーション(と一部装置の検討)に使ってもらおうと人形も併せて大きめにつくった模型だったのだが、ちょっと遊んだだけで、実際にはそんなに使われなかった。
 プロトテアトルのほうは、カラーリングした箱馬の構成配置や移動の検討に使ってもらおうと思ってつくったのだけど、やはりそんなに使われず、将棋崩しみたいなことして遊んで終わった。
 子供もオトナもやることはあまり変わりがないのであった。
 


 

 山口良太さんの作品「2002」は、「2002 / 2020」の後、自分の手元で保管している装置(インスタレーション作品)なのだが、2週間程度展示可能な場所とタイミングと「ついでの(搬入出車両が出る)チャンス」を待っていた。まさに、この時である。
 「架空の舞台美術」というコンセプトのこの作品は今回の企画にもハマるし、ポップで目立つ黄色がよい入口になる。中学高校時代の山口さんにとって演劇の入口に惑星ピスタチオがあって、その一連でアイホールにも訪れていたというストーリーも熱い。(「2002」の前日譚!)

 アイホールの件が出てから、市民からの認知度のことを考えるとき、入口が開放感という点で弱いと思っていた。KAVCで「2002 / 2020」やってみて、あの1Fの開放的な状況を知ると尚更。
 ならば、これをやってみたらよいのでは?と思った。
 「2002」はただそこに建てるだけでなく、山口さんが在廊したりもしつつ、毎回なんらかのイベントを企画している、そういうの込みの作品になっている。今回は、毎日ツイッター「スペース」を「2002」の中で公開放送のようにやりつつ、外にも少し音を流すというのをやってみた。
 音響に関してはBGYさんにご協力いただいた。加えて「INDIPENDENT(最強の一人芝居フェスティバル)」のインターバルDJもやっているので展示オープン中流す会場BGM「2002〜2020」MIXつくってくれた。
 せっかくなのでカセットテープに入れて「ノクターン」の舞台装置「掘り出されたラジカセ」(舞台美術でエイジングかけた)で流した。
 

 さて、実際に平日も展示をオープンし、入口に「2002/2022」を配してみた結果、それなりに演劇に縁がなさそうな市民の方にも来訪いただけた手応えはあった。
 あと、この時の手応えとして感じたのは「幟(のぼり)」の効果である。
 これは色々な相談をストレンジシードで経験豊富な山口良太さんにしていて「ベタだけど効果的」とのことだったからやってみた。
 実際の効果は道行く人を見ての「肌感」でしかわからないけど、それだけでなくやっていて「楽しい」というのも大きかった。だから、 優しい劇団の大恋愛Volume伊丹
 「なるべく終わらないカーテンコール」では、どうしてもまたやりたくて、たくさんつくった。




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2022/6/4〜5
 [ break a leg ]
 努力クラブ誰かが想うよりも私は
・舞台美術プラン
 アイホールの床昇降を利用した山の上に(地形を利用した)城を建てるような建て込み。
 すり鉢状・階段状の台組み。基本コンセプトは演出オーダー。
 相変わらず?劇場備品平台箱馬ほぼ使い切り。
 平台・箱馬はむき出しに、木脚は赤く塗装。背景に少しアールのホリゾントパネル。
 
 
 作品の中で起きるドラマは具体的な指定が少ない複数の場所がどんどん入れ替わり進む。
 どういう舞台美術・空間にするか?というヒントは物語の中には少なく、作・演出の無意識的なイメージにあった「植田正治の一枚の写真」から植田正治の数々の作品に広げて着想し、軽くアールがかかった背景パネルを加えた。このあたりのことは、三田村啓示氏による稽古場レポート https://www.aihall.com/2022b-a-l-keikobareport_doryoku/ でも少し触れられている。



 「試作と努力、舞台美術」の展示仕込みと並行ということで、3Fの「アイホール・セノグラフィー2002-2022」はサカイヒロトさんにお任せしつつも、様子を見に行ったりしながらの仕込み。
 照明・音響にホール内渡したら、ホワイエで「試作と努力、舞台美術」建てたり。
 山口良太さんも色々なサインづくりやbreak a legを振り返るボード展示に走り回ってくれたり、なかなかの文化祭状態だった。

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2022/6/6
・企画・進行
 いつもなら、各グループ別れてのプラン〜実作業の際も全体進行にまわっているのだけど、この時は久しぶりにグループを担当したくて後半の全体進行をhigeさんにお願いした。
 アイホールはこのワークショップ続けてる中では過去一広かったので、いつもより参加者多く募集して、グループワークも一つ増やした4チームにした。
 いつもは全体の進行をするのだが、今回はチームも一つ多いしすでに勝手がわかっているhigeさんさんに後半の進行をお願いして、1チームの創作・製作を担当できたのは久しぶりで楽しかった。
 ナビゲーターにはアイホールでの舞台美術プラン経験ある人たちばかりに加え、劇場の技術管理メンバーである谷本誠さんにも入ってもらった。
 アイホールだったら、ショーイングで搬入口開けるグループ発生するかな?と思ったら、やはり一つありました。管理の人に参加してもらっててよかった!

 参加者、いつも以上に小劇場で活躍してる役者さんとか(アイホールの舞台立ったことある人も)多かったのは、きっとアイホールゆえ。
 このワークショップ続けてて、舞台(美術や大道具、舞台監督)スタッフになったという人はわずかだけど、演出家や俳優・ダンサー・色々な人が経験してみる機会というのは意味があると思っている。

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2022/6/11〜12
 [ break a leg ]
・舞台美術プラン
 努力クラブと対照的に、舞台上に台組みは一切なし。
 昇降床を下げるのと周りを上げるので四角く下がった空間をつくる。
 上空に4500✕4500(につないだ)パネル(厚み見込みあり)を3次元的に傾斜させて吊る。この吊り点とワイヤーの長さの調整がキモなのだけど、図面上計算と最小限の調整でいけた。本当は、そのためにトラス下げての詳細な現調したかったのだけど、もろもろやり過ぎていたのでその余裕なし。


 パネルは一発物で製作〜搬入とかもちろん無理なだけでなく、2公演まとめて満載テトリスな積み込みのせいもあって、劇場入りしてからつないで目地を埋めるところ数カ所。吊る前に可能な範囲は、前日の半日「WSの片付け」で借りてるのと、もう半日稽古で借りてる傍らで作業。この手を使わないと無理な舞台美術だった。そのつもりでプランしたけど。
 
 この作品で照明の幸野英哲氏が日本照明家協会新人賞を受賞。
 こんなに照明にとって邪魔になる巨大な物体が上空にある舞台美術だというのに!
 
 
 上空の最大の舞台装置は、黒いので劇中場面での舞台写真にはほぼ「写っていない」
 われながら自分の舞台美術プランは、自分で撮っても満足に記録するの難しいことが多い。河西沙織さんからも「撮りやすかったことは、、、ないですね」と、お墨付きだ。
 

 ほら、プラン段階で下書き図面切ったり折ったりした「ちょー雑な模型」のほうがわかりやすい。(この段階では傾きが逆だけど) 自分はこういうインスタントな模型っぽいもので試てプランすることが多い。早いし安いし簡単にやり直せるし稽古見ながら出来る。あんまり精巧なのを一生懸命つくってしまうと、「違う」ということになってもスクラップアンドビルドしにくい。

 舞台面を下げるという美術・演出だったのだが「見える」ためにも、また演出イメージ的にも見下ろしが必須。割と傾斜・段差つけた客席設計をしたのだが、break a legが共催企画だからということで段の奥行きを1200に広げる指定があり、なかなか複雑でヘビーな客席組みになった。幸い木脚類は努力クラブで使った物を一部カットしたりで流用可能という、今回ならではの作戦。
 
 出演者が多いプロトテアトルのほうが後だったし、「試作と努力、舞台美術」も併せてになったバラシは祭の最後感。2トンロングトラック、ギリギリの満載(時間も)で完了。
 まだコロナのこともあって打ち上げはしなかったけど、一部の人々だけで少しだけ「すし楽」に寄った。
 
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2023/3/3〜5
・篠山マラソンの現場から帰り途、電車内で間に合うと気づいて駅降りて、当日券。伊丹って福知山線だったんだ!と強く実感した。
 

2023/6/24〜25
 パールデンブルームエンターテイメント「煙が目にしみる
・仕込みバラシ増員。上演は観ていない。
 
 
2025/4/21
・終わり近くに参加してバラシも手伝った。優しい劇団に向けての下見にもなったし、考えていたことの答え合わせになったりヒントになったりしたと思う。
 「なるべく終わらないカーテンコール」で意図した、野外らしさやアイホールの空間特性とこの催しは根底で同じところがあると思ってる。
 
 
2025/10/3〜5
 Y,s演劇研究所 ミュージカル「病的船団
・仕込み増員
 手持ちの差金を定規に工夫して、割とな数のケコミ幅修正「細割き」するという割と面倒なミッションが発生。


 その後「折り畳める丸鋸定規」を見つけて携行するようになった。
 残念ながら?幸いにして?まだ使う機会は発生していない。

 自分プラン現場直前だったので少しだけ「ついでの」現調も出来た。
 しかし、作業しに早く帰ろうと思っていたものの「良いタイミング?」で劇場スタッフさんと「ついでの」打ち合わせになって時間とられた。まあ、当日限られた時間の中で「?」となるよりは、前もって詰められることは詰めておいたほうがよい。


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・舞台美術プラン
 団体としては10周年公演で念願のアイホール。それに対して高橋恵さんが団体にあてがきするように「晴れ舞台」の楽屋で展開するドラマを書いた。
 普通に喜劇として上演するならリアリズムな空間をつくるのかもしれないが、それでは面白くないし予算も厳しい。リアルだと部屋の広さに対してアイホールの空間も広すぎる。そこで見え方や動きに対して「機能する」ことと、ビシっと仕上がった床だけで芝居を成立させることを考えた。


 自分の舞台美術プランではアイホールに限らず「初めて」ホリ幕を使った。
 つまり、アイホールでの舞台美術プランは4回目だが、初めてホリ幕を外さなかった!
 基本は大黒幕状態から、終盤一部場面でのみホリを使った!
 ホリ(ホリゾント)幕嫌いなのです。
 その理由を語るには、また別記事が一つ必要になる。演劇の歴史を踏まえつつ、まずは100年前の話からしないといけないから。


 しかし、この作品においては「ホリ幕であるべき」場面・必要があったのだ。
 いわゆる「会館・ホール」で行われているような舞踊の発表会で踊る場面。序盤の打ち合わせ段階で、演出家・照明家とも一緒に「あえてベタ」にすることの意味や効果についても詰められたのはよかった。それ(ベタなホリ)をここぞというところで使う。
 アイホールの大黒(割幕・電動)が半分開閉出来るというのはこのとき初めて知った。


 

 そして、自分プランでは初めて割と普通に組んだ(正面づかい、すべて客席プラットフォームで+200段差ピッチ)客席。あんまりひねらない客席。それでもアイホールの方々が慣れている「普通の」組み方ではなかったので「面倒くさいことしますね」と言われたけど、これまでもっと「面倒くさいこと」しかして来てないのだった。
 自分にしてはシンプルというか、手を抜いたわけではないのだが予算的にも時間的にも凝った(こだわった)客席にする余裕はなかったのでかなり楽をした。
 アイホールの設計コンセプトとしては変幻で自由な空間をつくれる、というのはあったはずなのだけど、定式とかあると人間は頼ってしまうものですね。
 

 自分の考え方としては自由に客席を組んだり仮設したりするときの客席設計は、舞台美術プランナーが演出や制作(公演主催)それぞれの要求に応えて設計・提案し、舞台監督ふくめた3者の承認をもって決定するものだと考えている。
 当然「見切れ」の計算やそれに応じた客席の配置で要求客席数設置出来るようにプランするのも舞台美術プランナーがすべきことだと思ってる。客席構造が決まっている条件下で「見切れ」に対する解決を出した舞台設計をするのも同様。
 この作品は戯曲が指定する条件と、演出家が求める立ち位置・動き・見え方をクリアしようとすると、色々とシビアな「見切れ」計算の嵐になった。
 いつもするけど、いつも以上に。

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12/3〜4
 コトリ会議 きいの会「桃と夜の車
 


2026/1/4
 優しい劇団の大恋愛Volume伊丹
 「なるべく終わらないカーテンコール
・プロデュース・セノグラフィー
 

 つい先日のことだけど書きつくせないし、まずは以下の関連記事など参照のこと。
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 1日・1ステージのみ、約240名動員。確認していないけどアイホールの演劇公演1ステージ集客数としては過去最大だったりしないだろうか?


 優しい劇団は関西に呼びたかったし、このタイミングでアイホールに呼べたのはよかった。これがどういう意味を持つのか?ここから何が始まったのか?はもうちょっと時間が経ってから振り返ることになるのだろう。
 色々な意味でアイホールという「空間 / 場所」に対する自分なりの一つの答を示せたとは思う。


舞台写真: 道岡真憂子優しい劇団


・仕込み増員
 

2026/2/26〜3/1
 アイホール まちかど広場
・仕込みバラシ増員
 そして初日と最終日、丸2日かけて「アイホール非公式アーカイブ」のためのデータ採集(チラシ・ポスターをすべて撮る!)した。撮るのとチェックにいっぱいいっぱいで、色んな人来てたのにほとんど話せなかったし気付かなかった。
 ゆっくり楽しめてないように見えるかもしれないが、これはこれで細部まで楽しみ尽くせてるとも思う。
 試行錯誤入りながら、劇場の色々な人もワイワイしながらする仕込みは文化祭みたいで楽しかった。
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・アイホール・アーカイブス(いたみ文化・スポーツ財団 公式)
 
・アイホール 非公式 アーカイブ
https://aihallarchive.blogspot.com/
 
・アイホールの件(存続問題についての情報まとめ記事)
https://thinkinghand.blogspot.com/p/blog-page_25.html

・演劇ホール跡利活用事業 公募型プロポーザルの実施について(伊丹市サイト)
 
 



「舞台美術家になるには3」或いは「アンディのこと、2ndのこと、それから」

 ずいぶん前に書いた「舞台美術家になるには」という記事が意外と読まれている。

 そこで、

 「舞台美術家になるには2」或いは「ゴトーさんのこと、フジタさんのこと、それから」
 と題して、どのようにして舞台美術プランをするようになったか?という経緯を書いた。
 ただ、これはあくまで超個人的な自分の場合の成り行きに過ぎなくて、そのまま活かせる話ではないだろう。
 ここで、もう一つ若い人や舞台美術とか始めてみようという人に簡単に活かせそうな話とか「その後」とかプランを立てて実現するプロセスについて、自分の経験を書いてみる。


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 どうやって、舞台美術(舞台監督でも、他のスタッフワークでも)を頼まれるようになるか?
 自分のスタートは、自分が参加している公演で、必要にかられて見様見真似でやっているうちに頼まれるようになった、というところだったけど、このやり方だと自分でどこかに参加するとか自分で公演をするとかしないといけない。
 そのやり方もあるし、アリ。
 自分が心底参加したいような劇団に入るとか、組みたいと思える才能と組んで団体をつくるとか。
 団体でなくても自分がつくりたい舞台美術をつくるために単発の公演を立ち上げるとか。
 かつて、島次郎さんはそんな感じでキャリアをスタートしたと聞いたことがあるし、身近では竹内良亮氏がそんなことをしていたし、なんなら今も近いこと(自分がつくりたい空間をつくるために企画を立ち上げる)を続けている。

 しかし、それ以外のやり方もある。

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 2013年に王子小劇場を辞めて、2014年に関西に移ったときの自分は、食い扶持としての仕事も決まってなかったし、どうやって演劇に関わっていくかもわからなかった。決めていなかった。
 数カ月はブラブラしてられたので、関西の状況を知りたいと思って、たくさんの公演を観て周った。
 そんな中で観たうちの一つが、がっかりアバターの「あくまのとなり。」(2014年5月)だった。
 団体の名前は、それ以前に「俺ライドオン天使」のチラシを見たことがあって知っていた。なんか、関西にもバナナ学園みたいなノリの団体が出現しているなーという印象だった。
 その「あくまのとなり。」とても面白かった。
 どんでん返しや、不幸のどん底に突き進むのをコミカルに描くところとかがものすごく好みだった。
 観たのが千穐楽で、舞台監督や大道具担当が知り合いだったので、飛び入りでバラシに参戦した。いわゆる「殴り込みバラシ」である。
 (この「殴り込みバラシ」=千穐楽観に行った芝居に、増員とか頼まれたのでもなく、観バラシでもなく、飛び入りで参戦することを言う。確か照明家の松本大介氏が言ってたので自分はそう呼んでるけど、どのくらい浸透してるのかは不明)

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※増員:正式にギャラが発生して、チーフや公演通したスタッフとしてではなく、仕込みやバラシなどの人員として、発注されてる人。公共ホールなんかの利用でも必要あると発生して人件費かかることがある。

※観バラシ:増員でも、ギャラが発生しないお手伝い・ボランティアでも、千穐楽の芝居を無料で観てバラシに参加すること。公立ホールなんかの主催公演では、この概念自体が存在しなかったりするというのを、ある時知った。小劇場には多い。かつて東京の舞台芸術学院卒業生の旗揚げ劇団では、後輩の舞芸生がものすごい数「観バラシ」で参戦しているようなことが頻繁に見られた。

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 自分は知り合いが関わってるような公演の千穐楽を観に行くようなときには、だいたいは最低限装備の軽い腰道具は忍ばせている。日常が大道具現場なんで、現場帰りにフル装備だったりすることもある。観て、「面白くて」「人手がいると助かりそう」だったら(あと、その後の予定とか色々が許せば)参戦する。
 だから、千穐楽観に来たのに参戦しなかったからといって「面白くなかった」ということでは必ずしもない。
 「面白かったら」というのは、その作品に敬意を持つから手伝おうっていうのもあるし、そのまま打ち上げなんかに誘われて(誘われたら基本的に断らない主義)その席で感想聞かれて答えに困るようだったらいけないから、っていうのもある。
 自分は、面白くなかったら正直そう言ってしまうし、そこでウソをつくことが苦手だし嫌いだ。まあ、オトナだし面白くなくても、それとなく流すことは出来る(出来てるのか?)し、するようにはしてるけど。きっとそういうのは伝わる。
 少なくとも、面白くなかったものを「面白かった!」と言うことはしないし、出来ない。
 以前、面白くなかったのに営業トークとして「面白かった!」と絶賛して話してる(直後、本音では酷評していた)同業者を目にして心底軽蔑したことがある。
 面白くなくても傷つけずに、なんなら少し興味深い視点で語れる人は、「上手いなあ」と感心するけど。
 たくさん演劇を観ているうちには、面白くない作品にも「興味を持てる」糸口を見つけたり、楽しみ方を見つけたりは出来るようになるものだ。
 SNSとかにわざわざ発信しないまでも、実際に話したら「面白くなかった」ことについて共有するのが盛り上がるトークなんかもめずらしくない。

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 ともかく「あくまのとなり。」は、まあ、面白かったのだ。
 なので「殴り込みバラシ」参戦した。
 自分は割とこういうことするし、それが知られているから、千穐楽に観に来ているのを発見した舞台スタッフに「これは、バラシ1P増えるかも?!」と実は期待されてた、ということもあった。
 これ、自分はスタッフや俳優にも知り合いが多いから出来ることで、若い人やビギナーには難しそうに思えるかもしれないが、若ければ若いほど「勉強のためにお手伝いさせてください」と言って(事前に連絡して)飛び込める場合は多いと思う。
 もちろん、安全面やその責任にかかわるのでお断りされることもあるだろうけど。
 小劇場だとかなり大丈夫だと思う。

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 そして「あくまのとなり。」では、打ち上げにも誘われた。
 誘われたら断らないし、途中で帰らない主義。
 この打ち上げが、まあなかなかの騒ぎ(カオス)だった。団体・座組みんな若いし。
 オトナは照明の牟田さんと、当時應典院のスタッフだった森山さんくらいか。
 主人公が不幸のどん底に突き進むような作品で、やや暴力的な演技も入る、俳優に負荷がかかる作品だったせいもあって、そこから解放されてハジけた打ち上げだった。
 2次会へ向かう路上でも座り込んで叫び騒いでいた人々の姿が、今でも難波のあのあたり歩くと思い出される。
 2次会はカラオケボックスに入ったのだけど、もはや騒ぎ疲れて酔っ払って潰れている人多数で歌うとかそういうんじゃなかった。
 作・演出の坂本アンディほか、潰れてない人々に自分も混ざり色々な話をした。
 何の話をしたのかは、ほとんど覚えていないけど、ずっと演劇の話をしていた。
 王子小劇場にいて目撃したり経験していたポツドールバナナ学園の話はしたと思う。
 この前後、関西に移ってしばらくの間出会った色々な関西の演劇人と話してみて、東京では当たり前に知られているこのポツドールのことなども、まったく知らない人もいるということがあった。
 東京のことや最新のことや当然の文脈となってることも、興味がない・知らない人がいる。今ではけっこう多いんじゃないかとすら思っている。それはもしかしたら東京でも色々な界隈があって、全体の人口ボリュームが大きいから「一部」がとても大きく見えているだけかもしれない、と今は考えるようになった。
 東京にいた頃の自分は、比較的コアに小劇場の文脈の中にある界隈にいたにすぎない。
 
 しかし、アンディたちは違った。
 若くて勢いあるけど、それだけではなく、古いことから新しいことまで、東京の演劇についてもよく勉強していた。
それだけ「演劇」が好きだということなんだと思う。

 もちろんこの作品「あくまのとなり。」のことも話した。
 主人公が不幸のどん底に走っていく場面と、対照的なファンタジーなミュージカルシーンという構成に、山本直樹ありがとう」のある場面を指摘したのだが、アンディは「これ、わかる人いるとは思わなかった!」とビンゴで、喜んでいた。
 こっそりパクったものは指摘されるとツラいが、オマージュして込めたものは伝わると嬉しいもの。実は、その「ありがとう」のある場面も、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のオマージュに違いない、と自分はにらんでいる。
 「あくまのとなり。」の場合は、この不幸のどん底に走る主人公による現実逃避世界であるミュージカルシーンの登場人物たちも現実世界で不幸に堕ちていくという、メタ構造にブーストがかかっているのが冴えていた。

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 翌日、この公演に出演していて、打ち上げで朝まで語らった東洋企画の小島東洋氏からメールが来る。次の公演の舞台美術をお願いしたい、と。
 自分がどんな舞台美術をつくるのかも知らないはず(このサイトにちょっと画像載せてはいるものの)、観たことないのによいのか?ということを聞いたら
「あんなに演劇のことを話せたのは初めてだった。だから信頼出来ると思った」と言われた。

 こうして、自分の「関西小劇場」での舞台美術のキャリアがスタートするわけだが、往々にしてあるように、そうやって出来た縁みたいなものがつながっていく。東洋企画でご一緒した縁で大熊隆太郎氏からご指名いただき、メイシアター(プロデュース)×壱劇屋人恋歌〜晶子と鉄幹」の舞台美術をやることになったり。


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 もちろん、そもそものがっかりアバターのほうも東洋企画での創作過程の話などがアンディに伝わり、2015年6月 「この町で、僕はバスを降りた」 (以下、僕バス)で舞台美術を依頼されるに至った。

 打ち合わせは、まだ台本がない段階、あらすじや構想だけのところから始まった。
 ラストに向けての展開みたいなところは、最初なかなか表現出来ない感じだったので、まずは物語の舞台として想定される「町」のディテールから入った。
 架空のイメージとしての町で、芝居の中では何か具体的なことは語られない。
 「もし、存在するとしたら例えばどこ?」とか実際の風景とか、そこは詰めた上で抽象的にしていく。観る人の「なんか、わかる」を塗り込めていくような感じ。
 この段階でリサーチした数々の町のイメージになる画像とかディテールで最終的に舞台装置に直接反映されるのはわずかだが。

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 このときは自分がよくやる方法として、作品のイメージに重なるYoutube動画、だいたいはPVやライヴテイクを参照にしてヘビロテして着想を得るということは、やはりやった。
 アンディとも話して出たのが、たとえばWhiteberry「夏祭り」とか。



 作品中とても重要なストーリーのイメージに対してあまりにも直接的なんで、これを実際に劇中でかけるか?といったら、まず一番になしだろう(結果、客入れでは流してたはず)と話した。これ、作劇においても重要なことだと思う。あまりに「伝えたいこと」として簡単に言語化されてしまう言葉はNGワードになる。というのは、ある劇作家から聞いたことがある。

 ZONE「secret base 〜君がくれたもの〜」も色々とイメージが重なった。」



 PV映像にあるバスだったり、それを降りる町だったり、少年二人だったり。町にある鉄塔だったり。
 僕バスの舞台美術プランのメインステージになるエリアは直径2700mmの盆舞台になったのだが、この盆の舞台の床面仕上がりが板張り風になったのは、このPV映像のバスの床からっていうのが半分ある。
 もう半分は、この作品のラストが二人の「別れ」を描くもので「銀河鉄道の夜」を連想したのだが、さらに連想して劇中で「銀河鉄道の夜」が出てくる映画「幕が上がる」の、ももクロによる「走れ!」の美術室のイメージ。


 なんとなくそういうイメージ、ってことだっただけで、見返してみるとスクエアの木タイルで「板張り」てことはないが。「銀河鉄道の夜」が、また「銀河鉄道999」のイメージが、やはり車両の床が板張りイメージもあるし、美術室の床に板張りイメージしてたのは、単純に自分の小学校の校舎の床の記憶にも引っ張られている。
 「銀河鉄道の夜」自体は本当は、こういう話もあるみたいだが。


 シークレットベースがちょっとベタな感じもあったので、そこから連想して、
 SCANDAL 「夜明けの流星群」


 なんかも少し参照して、電球を吊ることにした。
 これは、たぶん演出家=アンディにも、なんで電球なのか話してなかったと思う。演出家に説明すること、しないこと。しかし、なんでなん?て聞かれたときに答えられるようにしておくことは常に必要。このときは、
 「最後に電球吊るしたの出すとか、どう?」
 「ああ、良いっすねえ」
 くらいだったと思う。理由は言わなくても仕上がるものに演出家がOKならば、それでOK。
 まったく考えてなかったけど、今見返すとZONE「secret base 〜君がくれたもの〜」PVにもホタルの光がいっぱいとか、割と重なる。そこまでは考えてなかったけどイメージというのはシンクロしてくるもの。


「僕バス」舞台美術全体のイメージとして一番大きく参照したのは、これ



 フジファブリック 「若者のすべて」のPV。単純に上空の吊り物っていうことだけじゃなくて、この曲の歌詞やメロディーにあるものが「僕バス」の作品に重なる。
 この曲や、このPVのセノグラフィーは、「僕バス」の登場人物たちが抱える「別れ」と、その背後にある「終わり」(それは、時代とかこの世界とか大きなもの)につながる背景があるように思った。
 何かの終わりが迫りくる、世紀末的な落ちてくるイメージ。
 ここでも、やはりアンディとの出会いで話題にした山本直樹作品から「世界最後の日々」からも着想した。

 上空の「面」(としか呼びようがないもの。天井、ではない)は、会場であるシアトリカル應典院が円形の劇場であり本堂であったし、メインステージが円形だから、円形に。それを効果的に斜めに歪ませて吊るために、長経3600・短径1800の楕円にした。客席から見えるように、そしてより落ちてくるように感じさせるように後ろを下げた斜めに、客席に対しても斜めに、片側を下げる、3次元的にひねった吊り方。
 厚みは100mmの見込みをつけた。

 
 
 

 この、3600×1800×100、の物体(最終的には円盤とか呼ばれていたが)、面もエッジも、もちろん継ぎ目なく仕上げた状態で(分割せず)搬入したい。
 6.0尺×12.0尺のパネルと変わらないと思えば、積み込みはまず問題ない。
 果たして應典院のホールまでの動線通るのか?という検証は現調・実測し作戦が見えた。
 パっと見、入口から階段も広そうなのだが、ホールのホワイエにトラップとなるような柱があり、もっとも狭くて幅740mmになる箇所があったが取り回しは可能だった。
 そして、この頃はインディペンデントシアター2nd(初代)の2Fが空いているときタタキ(舞台装置制作)作業として使わせていただいていたのだが、この2Fから搬出出来るのか?
 ご存知の方なら覚えていることだろうことだが、この初代2ndの2Fへの階段そしてドアは割と狭くて傾斜もある。
 考えてみるまでもなく、仮のもので試してみたら無理だった。
 相内さんに相談したところ
 「むかし、ヨーロッパ企画がけっこう大きな物とかつくってたし、大丈夫なんじゃないかなー?楽屋まで入れられて窓全開したら、だいたいなんとかなるでしょう」
とのこと。
 確認(実測)してみたところ、楽屋の窓は対角1800以上ある。100mmの厚みぶんみても十分クリアしていた。

 ベニヤなどの面材は基本900×1800程度(通称3.0尺×6.0尺ということからサブロクと呼ばれる。シハチと呼ばれる1200×2400程度、みたいのもあるが、基本はサブロク)なので1800×3600の楕円を一発でつくろうとするとベニヤの継ぎ目が発生する。
 その継ぎ目をなくす、見えないようにするには、パテ埋めしてサンダーがけをして、さらに塗装(塗料の選び方、塗り方でも継ぎ目を隠せる)して、面を仕上げる。
 このパテ埋め作業なんかをしているときツイッターの手伝い募集で来ていた高校生が、後に「べろべろガンキュウ女」を旗揚げする、小山くんだった。熱心な興味持ってくれる高校生だなあ、と思っていたら、がっかりアバター・坂本アンディのファンだったのだ。
 この後も折々、今も舞台美術・装置製作作業するときには作業手伝いを「ゆる募」することがあるのだけど、その劇団のファンの方が来るということは多い。

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 さて、そうやって完成した装置を積み込むというときになって。
 窓から、この「円盤」を出そうとしたところ、、、そこに電柱があった!
 当初こういう取り回しで出せると計算していたようにはいかない。
 楽屋の窓の外の立てるところに立ったり、トラックの荷台の箱の上にも乗ったりして、かなりトリッキーな取り回しでなんとか出して、降ろした。
 たしか雨も降っていた。
 たしかに「なんとか」はなった。
 アンディが面白がって様子を動画に撮ろうとして舞台監督の中嶋さんに叱られてたけど、今思うと撮っといたらよかったかもしれない。
 (ちなみに、このこととはまったく関係ないが、相内さんは2代目2ndを建てる際には、邪魔な位置にある電柱をコストかけて移動させている!)

 搬出積み込みさえ出来てしまえば、搬入は計算どおり!だし、公演が終わってしまえばバラせば(解体すれば)よいだけなので、荷返しも問題なくこの公演は終わった。
 2400高の高台に登る役者もいたけど事故なく終わったのは無事に、と言ってよいだろう。
 がっかりアバター、この前の公演では、本番中のアクションが過剰になりすぎてケガした役者だっていたので、事故やケガがなかったのは上々。






 ところが、この次のがっかりアバター「THE KING OF THEATER」(2016年5月)ではさらに数々の事件が起きるのである。
 この公演は、それまで舞台監督をしていた中嶋さおりさんができないピンチヒッターで塚本修さんがすることになった。団体としては今回の作品は大掛かりな仕掛けを必要としている構想なので、舞台監督がやりやすい人に舞台装置も頼もうと相談していた結果、前回やっているんだからそのままで良いんじゃないか?と判断した塚本さんの方から話が来た。

 大掛かりな仕掛けのというのは、いわゆる「屋台崩し」である。
 アンディからのフワッとした相談の結果は、塚本さんの認識だとドリフみたいに二階建てが崩れる、みたいなイメージだったようだ。
 ただし、まだ台本もできてないので、どういう屋台崩しなのかは一旦ゼロベースで考えたほうがいいんじゃないか?というところから打ち合わせを始めた。
 台本はないけど、フワッとしたイメージはもちろんあって、完成台本のト書きでそれは

 「世界が崩壊する」みたいな壮大なことになっていた。

 本当にドリフの二階建てみたいなリアリズムな装置でダイナミックに崩したら、それはそれで大掛かりでインパクトあるものにはなるだろうけど「世界の崩壊」にはならないだろう。
 もっと(予算的にも)シンプルな装置での屋台崩しで「世界の崩壊」は表現し得ると思った。
 最終的な舞台美術プランとしては、複数のアクティングエリアとなる台をそれぞれ違う方法や形で複雑に崩すものとなった。思い描いたのは1995年に実地で目にした阪神・淡路大震災の光景、特に阪神高速が横倒しになっているところなどだった。
 自分が実際に経験している。

 
 


 台本がまだない状況でもう一つはっきりと決まっていたことがある。
最後に見上げると「THE KING OF THEATER」という文字が光っている、ということ。
 自分の中ではなんとなく「ストリート・オブ・ファイヤー」がイメージされて。ちょっと古めかしい、電球チャンネル文字看板。
 主人公が、良いこと・良いところがまったくない高校生男子、とやはり不幸に遭う高校生女子のヒロイン、てことがそこにもつながった。
 いや、「ストリート・オブ・ファイヤー」のマイケル・パレは格好良く暴れて活躍するけど、がっかりアバターだから、そんなことはまったくなくてよいのだ。
 このあたりはアンディにも話してなかったこと。
 今、思い返したら、松下あゆみのヒロインと長谷川桂太のヤクザが踊る場面とか、ダイアン・レインとウィレム・デフォーに思えなくもない。


 この時の装置製作作業は前回より物量・作業量・作業日数もあったので、劇団員にも作業手伝いに来てもらっていた。小道具も担当しているいぬいさんは細かい作業が得意だったし、長谷川圭太は今どき貴重な割と大道具作業が出来る俳優男子だったし、割と役割分担出来てるのは劇団として良かったんじゃないかな、と思う。
 長谷川圭太はその後、壱劇屋に入って新人のとき、10周年記念公演「TABOO」でも同じく2nd2Fでの作業に参加してくれたり、劇場入ってからは演出部さんかと思わんばかりに舞台(美術)のメンテ作業してくれた。



 さて、そんな劇団員が作業手伝い来てくれてるところ、松下さんが来てくれてるときのこと。
 実は、この公演、その時までに2人の降板者が出ていた。一人は音信普通の劇団員(なので理由はわからない)、一人は厳格な家庭の高校生女子だったのだけど一度OKを出していた親御さんが「がっかりアバター」がどういう作品をつくっているのか察知したことによりNG。
 まだ早い段階だったので、台本を変更したり、代打(役とか色々変えてるので、代役ではない)の出演者を入れて稽古は進行していた。
 そこに来て、作業中に携帯が鳴って出た松下さんの顔色が変わった。

 「すみません!3人目の降板者が出そうなので、稽古場に行きます!」

 これは松下さんが稽古場に急行したことも報われてか、幸い回避される。




 そんな装置製作作業も終盤、今度は装置完成がピンチになる事件が発生する。
この「THE KING OF THEATER」という文字数の電球チャンネル文字看板、当然?100個強の電球になる。
 電球は、照明家で(裸)電球といえばこの人!で、たくさん所持していて過去にも何回か借りていた松本永さんに借りるということで送ってもらっていた。
 ソケットのほうは、過去にやはりそうやって永さんに電球を借りた「LOVE」「LOVE2」を上演したロロが引き取っていたソケットを借りようと連絡していた。

 ところが、なかなかソケットが届かない。
 それでもこのチャンネル文字、コストを抑えるため、とても面倒くさい手作業木工でつくっていてためそれなりに時間がかかるから、しばらくは急がなかった。
 ソケットは主宰・作・演出の三浦直之の手元に保管されているとのことだったが、どうやら実家にあって探すのに時間がかかっているという。
 何度か劇団制作の坂本ももさんとやりとりしているうち、もうそろそろチャンネル文字看板の木工も仕上げまで出来て、照明の牟田さんがソケット取り付け〜配線の作業しに来るのが迫ったある日、三浦くんから、泣きながら電話がかかってきた。

 実は、手元にあるはずだけどどこにあるのかわからず、探せない状態になっていて、実家にあって云々、すべて言い訳だったとのこと、、、
 「そば屋の出前」みたいなことになっていたのだ。

 そこから、ソケットをどうやって確保するか?というミッションが発生した。100個強のソケット、簡単に数が揃わない。作業場にしていた2ndがある日本橋は電気街だけど、ほとんどパソコン〜フィギュア・ホビー・グッズ街に変貌していて、電材店は限られている。小さな店舗がほとんどで、数はない。
 大阪中のホームセンターとか周ればある程度の数が手に入るかもしれないが、問い合わせするのも周るのも時間が限られる。
 通販は、確実届きそうで数あるところを探すのに手がかかる。
 ということで、ロロのほうでも東京で確実に入手した数を確実に届く方法で発送する、というフォローに動いてくれて、そもそもタダで借りるところだったのが、買って送ってもらう補償みたいな不思議なことになってしまっていた。
 それでもなんとかかんとか作業日までに数を揃えることが出来て、ことなきを得た。

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 そんなタタキ(舞台装置)製作作業も最終盤、舞台監督の塚本さんが作業中に様子を見に来た。これは、どうであるのが当たり前だとか常識だとかはわからないのだけど、塚本さんにしても何回かご一緒したゼン(久保克司)さんにしても、関西のベテラン舞台監督さんはどちらも一度は作業には顔を出してくれる。
 そして、積み込みにも必ず立ち会うか、そもそも自分で運転するかするし、自分の車でスタンバイしたりもする。
 自分が東京で舞台美術しはじめてしばらくは、周りの環境として(小劇場規模では)そういうこと(人によっては顔を出すだけでなく作業に参加する)は割と当たり前の基本だと思っていた。
 ところが、いつの頃からか東西を問わず、特に一定世代以下では、当たり前でもなくなっていくのにも遭遇してきた。
 予算や時間、まあ色々な事情もあるではあろうが。

 ともかく、このときは搬入車両の手配から運行・運転も塚本さんにお願いしていたので、道具帳(装置の詳細がわかる図面)は送ってはいるけど、実際の現物や作業進行状況も確認に来たのだと思う。
 自分はある時期から、舞台美術を請けるとき、車両費と廃棄代は美術予算(これが「プランナーギャラ、装置製作費=人件費・材料費ほか」まるっといくらになってることが小劇場では多いが、もちろん個別に交渉すべきものでもある)から別にしてもらっていて、車両関係の手配も時々で相談している。
 というのは、ドライバーやレンタカーの融通、廃棄の工夫は団体の才量と判断で安く出来る余地があるからだ。
 自分に投げられたら、それなりに楽で高くつく方法に落ち着くかもしれない。
 しかし、小劇場規模では予算は限られているのだから、そこの判断は団体に任せたいし、そこの予算的リスクを負えるほどの美術予算では(基本的に)ない。
 小劇場だと、音響・照明混載のことも多いし、そもそも「舞台(装置)」の面倒を見るのが舞台監督の仕事の範疇に入っているので、舞台監督手配になることも多い。

 さて、そうして仕込み前夜、舞台美術装置積み込みのために塚本さんが平トラックを運転してやってきた。公演会場であるHEP HALLの搬入口は地下にあって、その天井は低く普通の箱車(アルミバン)では入れないのだ。高さクリアするレアな箱車はレンタルも高くつくらしい。
 他から借りてきた平台を積んでやってきた塚本さんは、ちょっと笑いながら言った。

 「なかなかのもんでしょ?(物量が)」

 いやいやいや、出来るだけ劇場の平台使い切って安くしようという図面出したとき、劇場平台と持ち込みが混ざってるところに関して

 「(サイズが違うから合わせるのが)面倒だし、借りましょう。◯◯さんところのん安いし」

 て言うたの、塚本さんなのに!
 見た瞬間、

 「あ、これ無理やな(積み切れない)」

 と思った。
 車両に関しては塚本さんにお願いしていたし、図面も全部送ってるし作業場にも見に来てて何も言わないから、何も考えず問題ないと思っていた。
 積み込みに四苦八苦してると、塚本さんが呑気な感じで

 「どうします〜?」
 と言った。

 これはキャッチしてはいけないボールだと思って、曖昧な返事で黙々と積み込みテトリスしていると

 「これ、僕の軽(バン)持ってきたら積める思うんやけど。けっこう積めますよ〜僕のん。誰か運転してくれたら」
 と塚本さんが言った。

 いやいやいや、この積み切れなさ加減はそんなもんじゃ無理でしょ?て思ってたら、積み込みに来てた出演者の一人(実家で運転して車庫入れ失敗で破損するくらいのスキルのひと)が

 「私、運転します!」
 と言った。

 「ほんなら、車とりに行ってきますわー」
 と、塚本さんが軽バンに乗って帰って来て、積んでみるのだが、、、

 これが積み切れたのだ!
 絶対無理やろと思ってたけど。
 塚本さんは顔色も変えず平然としていた。声を荒げることもない。
 きっとこんなピンチはいくつも経験して来たのだろう。
 自分もひとの現場や雇われの道具会社の現場では「積みきれない」事態に遭遇したことは何度かあるが、所詮他人事。
 いざ自分事になるとなかなかに冷や汗が出るものである。



 では、これでこの公演に関する事件が終わったのかというと、そんなことはない。
 事件はタタキ場でも起きるだけじゃない、もちろん現場で起きる。
 とにかく、まあ、ゲネ(通しリハーサル)が出来なかったのである。
 自分がチーフ(舞台美術プランナーとしても、かつてやっていた舞台監督としても)として関わる現場で、ゲネがトんだのはかなり久しぶりのことだった。
 仕込み初日に、舞台美術(装置)はすべて建っていた。
 たしか上空の仕掛けや吊り物で建込みに関わらないもの・照明に関わらないものは二日目に先延ばししていた記憶。
 仕掛けとしては、装置の建込みに関わるものとして

1)台組みの屋台崩し
2)壁面パネル(複数)が倒れる

 というものがあった。
 壁面パネルを倒すのは、元々ちょっと前屈みにしておいたのをワイヤーで引いて立たせて、それをリリースして倒すというもの。
 これは、仕掛けまでやってしまわないと自立しないものなので初日に片付けている。
 それとは別に、

3)落下物の仕掛け(1点)
4)人吊りの仕掛け(1箇所)
5)電球チャンネル文字看板の吊り上げ
6)舞台上から上空へ引っ張ったワイヤーのリリース(12点)

 というのがあった。

 ここまでで、1)・2)・3)・4)が演出オーダーによるもの。屋台崩しの方法は美術提案。
 落下物と人吊りは、台本上・演出上欠かせない。
 5)は具体的ではない演出オーダーに対して、イメージを広げた美術提案。
 6)は美術側からの提案で、屋台崩しだけではト書き・演出オーダーにある「世界の崩壊」は表現し切れないだろうということで出した。演出OKは出たけど
 「でも、舞台監督さんがOKしてくれたらね」
ということで、塚本さんに相談。

 「いいんじゃないですか?」
 「でも、仕掛け導線とか綱元どうします(すでにパネルと落下物だけで7点!)?」
 「照明から縦バトン全部もらいましょう」
 「!(大丈夫か?それ、、、)」

 ところが、照明の牟田さんは出来る範囲でやってくれちゃう人なので意外と平気だった?よく許してくれたとは思う。
 まあ、屋台崩しするところに平気でスタンド立てたりもしてたけど。

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 仕込み二日目。
 確か、それぞれの仕掛けプリセットにセットアップまではしておいて、場当たりに突っ込んだんだった思う。調整は場合でやってみてから。屋台崩しとかはさすがにテストしてたはずだけど。
 落下物や人吊りは劇中中盤。
 ラストで一気に「パネル倒れる〜屋台崩し〜ワイヤーリリース〜電球チャンネル文字看板の吊り上げ」と続けて発動する。

 果たして、やってみると「電球チャンネル文字看板」が上がらない。
 塚本さんは当初、すべて繋げて一気に途切れず上げたかったようなのだけど、袖中から(疲れで体調崩したのか)ガラガラになった塚本さんの声が響いた。
「ちょっと来てくれ、これ重すぎて一人じゃ上がらんわ!」
 ということで

 「THE KING」
 「OF 」
 「THEATER」

 と3行個別に分けて吊ることになる。


 場当たりで一度は成功したワイヤーリリース(引き栓)12点の仕掛けも、本番に向けてのプリセットは手探りでなかなか上手くいかなかった。
 HEPHALLのバトンタッパがメモリー効かないことでの対応(長メジャーかけてタッパの数字を確実にすればよかった)とか、ワイヤー個別のマーキング(位置によって長さが変わるので本当なら必須)などが、時間なくて追いついていなかったのだ。
 まあ、今にして思えば、仕掛けは舞台監督マターとはいえ、自分のほうでも早い段階で気にして出来ることはあったかもしれない。
 初日開いてから翌日に、より調整幅ある大きめのターンバックルを買い足して入れたりもして、なんとかしのいだ。
 こういうことがあって、手持ちの金物は増える。

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 そうこうして、とりあえず最後まで場当たりを終えて、ゲネは出来ずに初日開演が迫る。
 「電球チャンネル文字看板の吊り上げ」
 は、やってみると電球の塊なので、慎重に介錯しないと安全に行うことが難しかった。
 場当たりでは、仕込み増員で来ていた河村都さんを率先に出番ではない出演者(ほとんど)全員でフォローする。
(これは、客席からも少し見えてしまうのだが、結果的に登場人物達が力を合わせているようにも見えて結果オーライ)
 都さんが叫んだ。

 「塚本さん、これ私おらんかったら、ケガ人出るで!予定空いてるけど、雇う?!どうする!」
 「お、おう、わかった、、、団体に聞いてみるわ」

 ということで、本番直前に本番付き(演出部?大道具?)追加決定。
 20分遅れで開演。



 初日打ち上げは「やり切った感」の感慨と疲れか、なんか静かに落ち着いていた。
 千穐楽行ってみると、仕掛けが一つ増えていた。屋台崩しと共に、ドラム缶が倒れる。
(写真は初日本番のものなので、倒れていない)
 バラシ後の打ち上げは、やっと初日が開けたかのように盛り上がった。
 むかし、偉い人は言ったという
 「初日は楽日のように、楽日は初日のように」


 結果的に公演は成功裏に終わったと言って良かっただろう。
 実はこの公演、劇団としてはステップアップする中での勝負をかけたHEP HALLかつては、関西の小劇場劇団がステップアップする上で重要な目標になっていた)である上に、投げ銭公演だったのだ。
 動員×平均投げ銭額(どっちかが想定より少なく、どっちかが想定より多かった、はず)は団体が立てた予算どおりだったと聞く。

 2026年1月4日、自分も無料カンパ制で公演をプロデュースすることになるなんて、このときは思いもしなかったけど

(この無料カンパ制は、優しい劇団では以前からやり続けていた)




 ただ、今思い返してこの時のがっかりアバターが本当に大勝負だったと思うのは、一週間規模で劇場を借りて、照明・音響・舞台美術とフルスペックでやっていたことだ。
 しかも、舞台美術(屋台崩し・仕掛け山盛り)に関して言うと、まあ自分が楽しくなって予算以上にやり過ぎてしまったところはあるにせよ、この劇場で公演する小劇場劇団としては、かなりまとも(安くはない)な予算が出ていた。
 トンがっててパンクなイメージのあるがっかりアバターではあるが、

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※ 当時のツイートに「匿名劇壇ストーンズなら、がっかりアバターピストルズ」というのがあった。その後、近松祐貴氏と飲んでいた際「ならば壱劇屋ヴァン・ヘイレン」と言ったらおおいに賛意を得たものだが。
 後年、メイシアタープロデュースで壱劇屋の舞台美術を担当した際、まだ台本がない段階では 「ヴァン・ヘイレンな壱劇屋でタイトルが「人恋歌」ならこれだ!」
 

 
とイメトレしていたものの、そういう作品でもなかった。
 そのことを打ち上げで大熊さんに話したら「まったく、わからん!」と言われたものの「Jump」PV
 


のアレックスは、やはり大熊さんに似てるとは思う。エディ=竹村さんと思えなくもない?)

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 とてもちゃんとしていた。というか劇団としての覚悟が出来ていた思う。
 当時の関西小劇場の双六としては、應典院のスペドラからHEP HALLにステップアップしたので、そのうち登竜門と見られてたセレクション企画、アイホールbreak a legもきっと間違いないだろうという段階だったと思う。

 しかし、がっかりアバターはこの後2回の公演をもって、2017年に突如解散する。

 この2つの公演どちらも舞台美術プランナーは立てておらず、自分が関わったのは「THE KING OF THEATER」までなので、解散に至る理由は知らない。
 たぶん色々あるのだろうけど、若くして頭角を現し評価を得て駆け登っていた感あるだけに「走り抜けてしまった」んだろうと思っている。
 最初に会ったときの印象どおりに、演劇が好きで実は勉強家でもあるアンディは、当時アイホールでやっていた世界演劇講座にも通って古典への教養を深めることにも意欲的だったし、その広い視点と探究心のために劇団として継続した先の「行き詰まり」まで見えてしまったんじゃないだろうか。

 小劇場演劇ってヌルっと続けることはそこそこ可能でも、一定段階成長した先で商業的に稼いだり大きな規模の公演をするということでもなく、公立劇場や公共の企画に乗っかることでもなく、さらなる上を目指しつつ満足出来る継続の仕方や位置を探る行く途が、きっと
 「ないではないけど多様すぎて正解がない」

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 その後2020年、インディペンデントシアター2ndの「初代」が一度閉館する際の配信イベントでゲストトークに参加した自分は、初代2ndの「思い出」として、これら「がっかりアバター」の公演で起こった、窓から搬出した話や積みきれなかった話などしをした。
 このとき、自分と共にトークしたゲストは魔人ハンターミツルギ氏(超人予備校)。
 相内さんは、どう考えてこの組み合わせにしたのだろうか?
 関西に引っ越して(戻って)からの自分にとってミツルギさんは、よく観に行った芝居で遭遇する人だった。

 2014年〜2016年くらいは、関西の状況を知りたかったので、かなりたくさんの公演を観に行ってたので、きっとミツルギさんはじめ多くの人にとって、自分も客席でよく見かける 顔(観劇おじさん)であったには違いない。
 同様、よく遭遇する人の一人に舞台監督の塚本さんもいる。
 塚本さんは劇場で顔を合わせると、
 「最近、何か面白いの、観ました?」
と話しかけてくるのが常だった。
 舞台監督と舞台美術家なんだから、仕事の話の一つもないのか?、、、なかった。
 HEP HALLがっかりアバターだけである。
 完全に観劇仲間だとしか思ってないようだった。
 最近、観劇に行った際、大学の先輩でもある「MONO / 壁の花団」の水沼(健)さんに会った。やはり「松本くん、最近なんか面白い若手とか観た?」て聞かれた。もはや、そういうパブリックイメージになっているということか。
 ミツルギさんとはそういう話をしたことなかったが、そうやって劇場で見かける顔なじみの一人だった。

 しかし、自分とミツルギさんの出会いはもっと前にあった。
 かつて関西で発行されていた演劇情報誌「じゃむち」の東京取材カメラマンの仕事をしていた関係で、いつからか自分は遊気舎の東京公演に出入りするようになっていた。
 当時、遊気舎の魔瑠さんが「じゃむち」の編集部にいたのである。
 1990年代後半のこと。
 その頃自分は作品として、マミヤプレスという超アナログな旧いカメラにポラロイドバックを付けて、ポラロイド・タイプ665という「ポジのプリントとネガのフィルムを同時に生成する」パッケージを使って、本番直前の楽屋に紛れ込んでは、鏡前の役者を「勝手に」撮影するということをしていた。
 ドキュメンタリー的に被写体に関わらず第三者的に描写というのではなく、被写体がこっちを意識してくれるのを待って、関係性を持って対峙するような撮影の仕方をしていた。基本、こちらから声はかけずに相手のアクションを待って目線をもらう。
 今考えると、よくあんな芸当が出来たなと思う。
 座組み(プロダクション)に参加してもおらず、ふらっと伝手を頼っては入り込んで、まったく公演に関係ない立場でやっていたのだ。
 今のように上演作品の中身に関わる立場を知ってしまうと、とてもは出来ない。
 また、その立場でやるとしても出来たとしても、自分の心持ちが違い過ぎて、とてもやれない。

 スマフォで誰でも簡単に撮れる時代になったから、そういうオフショットはいくらでも撮れる時代なんだけど、簡単に出来るようになったらなかなかしないものだ。すべての人がカメラを手にしていたとしても、そこでシャッターを切るか?切れるか?というのは、その位置にいる人にしか出来ない。
 これは、物理的にというだけではなくて、関係性や心理としての位置として。シュートを打つにはボールが来る位置にいなければいけない。

 シャッターを切ること、つまり「撮影」は英語で言うと「シュート、シューティング」となる。即ち「狩り」だ。「狩り」ならば獲物に静かに近づくことは大事だ。
 この話を自分は、ゴトーさんから教わった。ゴトーさんは6歳のアメリカ人の少女から「シューティング」と呼ぶことを教えられたという。
 舞台美術プランナーとして公演に関わるようになった自分は、たぶん被写体に接近し過ぎたため逆に良い位置にはいない。
 自分自身のことを記録し続けるのは、存外に難しい。余裕がない。
 そう考えると、演劇に対して「近くて外側」の記録者として居た当時の自分の位置にも意味があったのかもしれないと思える。

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 舞台美術プランナーとしての自分の本番直前(基本的には初日)は、だいたいギリギリまで何かしてるか?ブラブラしているか?のどっちかだ。

 ゲネプロ(通しリハーサル)を見て、どこか直したいところがあったら、そしてそれが出来ることだったら、開場ギリギリまでに何とかする。
 ほとんどの場合の多くの舞台装置は、開場中の30分は確実に「誰も触らない」ので、それで可能になることもある。たとえばちょっとしたタッチアップ(塗装補修)とか。
 あるいはゲネ直前まで何か粘っていた場合、工具や資材など色々と片付けきれてない物が往々にしてあるので、それを開演前に整理してたりすることもある。

 逆に、もう直すところ・直せるところ(これは作業内容的にだったり予算資材的にだったりの可能不可能による)がない場合、本番のオペレーションに関わらない舞台美術プランナーというのは、もう気楽に本番を見守るだけの人になる。
 そういうとき、自分はだいたい劇場の周りをブラブラとうろついたり、なんだったら一杯引っかけたりして、ほどほどに客席が埋まってからの頃合いに、それとなく入場する。
 (※ 2009年の記事「一人ジェンガの街

 ギリギリまで粘って完成度を追求するのも悪くないが、そうならないような進行が仕事としてはスマートではあるし(そうであるべきかどうかは、ケース・バイ・ケース)、その劇場がある街や駅前から馴染んで観客に近い状態にシンクロしてから客席に着く。
 観客を含めた上演も、その場所(街から劇場)も、全体を眺めることで、舞台美術プラン=「セノグラフィー」の完成が確認出来ると思っている。
 確認することが、デザイナーとしての責任だと思う。

 だから、自分にとっては、本番を一回も観ることが出来ない状況で舞台美術プランを請けるということはあり得ないことだし、それは出来るだけ初日が望ましいし、もちろん場当たりやゲネまでつき合って変更への対応やブラッシュアップ出来るようにありたい。
 なかなか予算的なことで自分の予定確保が出来ず、ということは小劇場規模だとあるのだけど。
 プラン料が、仕込み初日〜本番初日までの日数自分の予定を確保出来る(1日日当分)予算でない場合は、日常を現場大道具さんとして暮らしている自分は、二日目以降は現場予定入ったらそっちを入れさせてもらっている。(その条件交渉を最初に確認する)

 街や劇場が変われば、そのセノグラフィーは変わるのだから、一度つくった作品のツアーでもそれはその行く先々それぞれでそうあるべきと考えている。
 ただ、こううい考え方は一般的ではないのか、かなり予算規模があるツアーでも、本番オペレーションに必要のない舞台美術プランナーがツアーに帯同してない(予算が出てなかったり、スケジュールアウトだったりするんだろう)のは見かける。
 しかし、きっと演劇よりも予算規模が大きいツアーものの展示イベント、たとえば漫画・アニメ系だ作者やデザイナーの最終チェックはツアー先でも普通にある。
 これはつまるところ、お金(時間)と心意気の話になるんだろう。
 自分は、心意気を大事にしたい。
 自分の舞台美術プランでツアーがあったのことあるのは、ロロにおいて2作品・3公演だけなのだが、旅費など出ないものの帰省と観光にかこつけて無理やり参加してた。

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 さて、話をミツルギさんとの出会いに戻すと、初めて遊気舎の本公演を観たときにミツルギさんを見ているはずだけど、自分がいつ楽屋に潜り込むようになって、いつミツルギさんと接触したのかは正確には思い出せない。
 ただ、いつの何(作品・上演)だったかも、もう思い出せないプリントが残っている。
 このとき現場で生成されたポジのポラロイド(印画紙)は、今はミツルギさんの手元にはないそうで、きっと他の二人のうちどちらかが(残していれば)持っているのかもしれない。



 2ndの配信イベントは2020年のこと。コロナ禍真っ只中で公演もなくなり、劇場でミツルギさんと遭遇することもなくなっていた時期だ。
 しかしその後、観劇の機会は減っても、「文化庁のん」や「アイホールの件」で自分が企画したリモートミーティングで話す機会は増えた。
 アイホールに関しては、ミツルギさんも出演の経歴や関わりが多くあったし。

 「アイホールでの出演作を振りかえってみた~遊気舎とトリオ天満宮チラシ集~」


 コロナ禍から徐々に公演が再開していっても、自分の観劇はそれをきっかけに絞られて減ったため、以前ほど劇場でミツルギさんを見かける機会は少なくなっていた。
 わずか30名弱の客席である。
 優しい劇団は、まだ関西で無名なのに!
 そして、終演後の様子も満足そうであったし、良い反応の感想ツイートもいただいた。


 翌日さっそく尾﨑さんとミーティングしたところ
 「ぜひ、出ていただきましょう!」

ということで、すぐに「優しい劇団の大恋愛 Volume 伊丹」への出演オファーをして、快諾いただいた。

 「優しい劇団の大恋愛Volume伊丹『なるべく終わらないカーテンコール』をよろしく~」


 「優しい劇団の大恋愛Volume伊丹『なるべく終わらないカーテンコール』随分前に終わってました」

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 この公演で、主宰・作・演出の尾﨑さんに提案する出演オファーの選択は、もうとても多くの人をお薦めしたくて出ていただきたくて、絞るのに困った。
 そこで尾﨑さんに求める基準を聞いたところ
 「こういう企画にリスペクトを持ってもらえる人、面白がってもらえる人」
とのこと。
 なんせ、この段階で「優しい劇団」は関西でまったく無名である。
 実際い観たというひとにいたっては、東京や名古屋まで行ったことあるような人は数名、先日の一人芝居にして30名弱。
 わずか観客30名弱の公演に来てくれたミツルギさん同様、客席で頻繁に出会う、きっと演劇大好きであるに違いない俳優がもう一人いた。思い当たった。



 ウイングフィールドインディペンデントシアター應典院、とマチネ・ソワレの公演が重なったある日、日本橋の交差点あたりで一日に二度三度行き合わせたこともあった。
 ステージタイガーや谷屋さん自身は、それほどに多くアイホールに縁があるわけではない。
 しかし、今回の企画、ぜひそういう人にも出て欲しかった。
 縁が深い劇団や個人には、何がしか機会があるだろうから。
 ということで、出演オファーをして、決定となった。

 (その後、お二人の演劇愛・アイホール愛からか、二人ともこの時は決まっていなかった「アイホール・ショーケース」に参加となるのだが)

 谷屋さんというと「#美味しいポテトサラダを探しています」のハッシュタグで知られているように、居酒屋には一家言ある方である。
 聞いてから、自分もその教えを守るようにしている。
 「初めて行く店ではポテトサラダを頼め。その店の力量がわかる」
 今回のことで話していて、アイホール近くにあるここ「つるつるいっぱい」も初めて知った。JR伊丹駅、アイホールと反対側。脇の階段を降りた先。知らないとなかなか見つけることはない店。
 残念ながら1月4日には営業していなかったが、1月4日向けたアイホール近辺のオススメ飲食店記事には入れて紹介した。

 

  谷屋さんのオススメだけあって、もちろんポテトサラダは美味くてボリュームあった!

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 こうして、悩みながら出演オファーや出演募集を絞ったりして、1年近くの公演準備期間をかけた、優しい劇団の大恋愛 Volume 伊丹「なるべく終わらないカーテンコール」であるけど、早い段階から出て欲しかった人がいる。


 かつての「がっかりアバター・坂本アンディ」である。


舞台写真: 道岡真憂子優しい劇団

 

 色々な経緯で今回アイホールの舞台に立つ人がいる中、団体として活動を続けていれば、きっと公演していただろう人。
 笑福亭喬龍=坂本アンディ、は今や売れっ子の若手落語家である。
 1月2日に高座があっての、1月4日。その後は18連勤とのことだった。


 この記事は実は、当初1月4日公演直前までアップしようと書いたものの間に合わなくて、その後加筆推敲色々したものである。

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 さて、最初の出会いの話に戻して「殴り込みバラシ」だけど、今もそんなことをしているのかというと、今回やはり参加いただく坂口修一さんが出演しているマシュマロテントの公演を千穐楽に観て、面白かったので参戦した。
 今回こ゚縁がある坂口さんが出てるから、というのもあるけど面白そうだったから観に行った。

 関係があるから、知り合いが出てるから観に行く、それもまああるのだけど、直近で関わる人が関わっている(出演だけでなく演出とかも)となれば、自分が関わる作品に通じるヒントが何かあるかもしれないし共通の話題や体験が大事だとも思うから、観る優先度は高くなる。

 直近で関わる演出家が作品の参考に挙げたり面白いとか興味深い感想を述べているのなら映画も観に行くし、小説も読むようにする。可能な限り。
 映画だと過去作ならDVDなどサクっと見られることが多いので助かるものの、小説とかだとちょっと時間がかかって大変だが。ロロ三浦(直之)くんなんかは膨大な読書量で、自分が知らない参考文献が多くて大変だったけど、とても勉強になったし面白いものにもたくさん出会えた。

 ネットの評判や感想はもちろんだが、流れてくる舞台写真(美術)がちょっと格好良いなと思ったら、これも観に行く優先度は上がる。逆なら下がる。スタッフが誰か?会場が気になる場所か?ということも作用する。

 「観に行ってやったのに観に来ない」と嘆く演劇関係者のツイートを見たことがあるが、とんだ了見違いだと思う。われわれがやっているのは、そんな手垢がついたチープでインスタントな内輪の「政治」みたいなことではないはずだ。


 マシュマロテントの作品は面白かったので、久しぶりに殴り込み参戦してみた。
 そしたら、知人である舞台監督の佐野さんから増員の仕事を2現場(2日)いただいた。
 3時間くらい働いて、2日分の営業!