舞台美術プランとか劇場スタッフとか、

かつては写真とかもしてきた、松本謙一郎のサイト。


今(2010年〜)はもっぱらツイッター( @thinkhand / ログ )で、ブログとしては更新してませんが。
最近は主にもろもろの告知とアーカイブ、ポータル的編集記事など。

2008年あたりは、割と色々書いてます。






























「舞台美術家になるには3」或いは「アンディのこと、2ndのこと、それから」

 「舞台美術家になるには2」或いは「ゴトーさんのこと、フジタさんのこと、それから」

 と題して、どのようにして舞台美術プランをするようになったか?という経緯を書いた。
 ただ、これはあくまで超個人的な自分の場合の成り行きに過ぎなくて、そのまま活かせる話ではないだろう。
 ここで、もう一つ若い人や舞台美術とか始めてみようという人に簡単に活かせそうな話と「その後」について書いてみる。


 どうやって、舞台美術(舞台監督でも、他のスタッフワークでも)を頼まれるようになるか?
 自分のスタートは、自分が参加している公演で、必要にかられて見様見真似でやっているうちに頼まれるようになった、というところだったけど、このやり方だと自分でどこかに参加するとか自分で公演をするとかしないといけない。
 そのやり方もあるし、アリ。
 自分が心底参加したいような劇団に入るとか、組みたいと思える才能と組んで団体をつくるとか。
 劇団に入るとか、つくるとか、なんか面倒くさいですね。
しかし、それ以外のやり方もある。


 2013年に王子小劇場を辞めて、2014年に関西に移ったときの自分は、食い扶持としての仕事も決まってなかったし、どうやって演劇に関わっていくかもわからなかった。決めていなかった。
 数カ月はブラブラしてられたので、関西の状況を知りたいと思って、たくさんの公演を観て周った。
 そんな中で観たうちの一つが、がっかりアバターの「あくまのとなり。」だった。
 団体の名前は、それ以前に「俺ライドオン天使」のチラシを見たことがあって知っていた。なんか、関西にもバナナ学園みたいなノリの団体が出現しているなーという印象だった。
 その「あくまのとなり。」、とても面白かった。
 どんでん返しや、不幸のどん底に突き進むのをコミカルに描くところとかがものすごく好みだった。
 観たのが千穐楽で、舞台監督や大道具担当が知り合いだったので、バラシに参戦した。
いわゆる「殴り込みバラシ」である。
 (この「殴り込みバラシ」=千穐楽観に行った芝居に、増員とか頼まれたのでもなく、観バラシでもなく、飛び入りで参戦することを言う。確か照明家の松本大介氏が言ってたので自分はそう呼んでるけど、どのくらい浸透してるのかは不明)

※増員:正式にギャラが発生して、チーフや公演通したスタッフとしてではなく、仕込みやバラシなどの人員として、発注されてる人。公共ホールなんかの利用でも必要あると発生して人件費かかることがある。

※観バラシ:増員でも、ギャラが発生しないお手伝い・ボランティアでも、千穐楽の芝居を無料で観てバラシに参加すること。公立ホールなんかの主催公演では、この概念自体が存在しなかったりするというのを、ある時知った。小劇場には多い。かつて東京の舞台芸術学院卒業生の旗揚げ劇団では、後輩の舞芸生がものすごい数「観バラシ」で参戦しているようなことが頻繁に見られた。

 自分は知り合いが関わってるような公演の千穐楽を観に行くようなときには、だいたいは最低限装備の軽い腰道具は忍ばせている。日常が大道具現場なんで、現場帰りにフル装備だったりすることもある。観て、「面白くて」「人手がいると助かりそう」だったら(あと、その後の予定とか色々が許せば)参戦する。
 だから、千穐楽観に来たのに参戦しなかったからといって「面白くなかった」ということでは必ずしもない。
 「面白かったら」というのは、その作品に敬意を持つから手伝おうっていうのもあるし、そのまま打ち上げなんかに誘われて(誘われたら基本的に断らない主義)その席で感想聞かれて答えに困るようだったらいけないから、っていうのもある。
 自分は、面白くなかったら正直そう言ってしまうし、そこでウソをつくことが苦手だし嫌いだ。
 まあ、オトナだし面白くなくても、それとなく流すことは出来る(出来てるのか?)し、するけど。
 少なくとも、面白くなかったものを「面白かった!」と言うことはしないし、出来ない。
 以前、面白くなかったのに営業トークとして「面白かった!」と絶賛して話してる(直後、本音では酷評していた)同業者を目にして心底軽蔑したことがある。
 n面白くなくても傷つけずに、なんなら少し興味深い視点で語れる人は、「上手いなあ」と感心するけど。
 たくさん演劇を観ているうちには、面白くない作品にも「興味を持てる」糸口を見つけたり、楽しみ方を見つけたりは出来るようになるものだ。
 SNSとかにわざわざ発信しないまでも、実際に話したら「面白くなかった」ことについて共有するのに盛り上がるトークなんかもめずらしくない。

 ともかく「あくまのとなり。」は、まあ、面白かったのだ。
 なので「殴り込みバラシ」参戦した。
 自分は割とこういうことするし、それが知られているので、千穐楽に観に来ている姿を客席モニターで発見した舞台スタッフが「これは、バラシ1P増えるかも?!」となってた、ということもあった。
 これ、自分はスタッフや俳優にも知り合いが多いから出来ることで、若い人やビギナーには難しそうに思えるかもしれないが、若ければ若いほど「勉強のためにお手伝いさせてください」と言って飛び込める場合は多いと思う。
 もちろん、安全面やその責任にかかわるのでお断りされることもあるだろうけど。
 小劇場だとかなり大丈夫だと思う。

 そして「あくまのとなり。」では、打ち上げにも誘われた。
 誘われたら断らないし、途中で帰らない主義。
 この打ち上げが、まあなかなかの騒ぎだった。団体・座組みんな若いし。
 オトナは照明の牟田さんと、当時應典院のスタッフだった森山さんくらいか。
 主人公が不幸のどん底に突き進むような作品で、やや暴力的な演技も入る、俳優に負荷がかかる作品だったせいもあって、そこから解放されて、弾けていた打ち上げだった。
 2次会へ向かう路上でも座り込んで叫び騒いでいた人々の姿が、今でも難波のあのあたり歩くと思い出される。
 2次会はカラオケボックスに入ったのだけど、もはや騒ぎ疲れて酔っ払って潰れている人多数で歌うとかそういうんじゃなかった。
 作・演出の坂本アンディほか、潰れてない人々に自分も混ざり色々な話をした。
 何の話をしたのかは、ほとんど覚えていないけど、ずっと演劇の話をしていた。
 王子小劇場にいて目撃したり経験していたポツドールやバナナ学園の話はしたと思う。
 この前後、関西に移ってしばらくの間出会った色々な関西の演劇人と話してみて、東京では当たり前に知られている、このポツドールのことなども、まったく知らない人もいるということがあった。
 東京のことや最新のこと当然の文脈となってることも、興味がない・知らない人がいる。
 今ではけっこう多いんじゃないかとすら思っている。それはもしかしたら東京でも色々な界隈があって、全体の人口ボリュームが大きいから「一部」がとても大きく見えているだけかもしれない、と今は考えるようになった。」
 
 しかし、アンディたちは違った。
 若くて勢いあるけど、それだけではなく、古いことから新しいことまで、東京の演劇についてもよく勉強していた。
それだけ「演劇」が好きだということなんだと思う。

 もちろんこの作品「あくまのとなり。」のことも話した。
 主人公が不幸のどん底に走っていく場面と、対照的なファンタジーなミュージカルシーンという構成に、山本直樹「ありがとう」のある場面を指摘したのだが、アンディは「これ、わかる人いるとは思わなかった!」とビンゴで、喜んでいた。
 こっそりパクったものは指摘されるとツラいが、オマージュして込めたものは伝わると嬉しいもの。実は、その「ありがとう」のある場面も、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のオマージュに違いない、と自分は思っているが。
 「あくまのとなり。」の場合は、この不幸のどん底に走る主人公による現実逃避世界であるミュージカルシーンの登場人物たちも現実世界で不幸に堕ちていくという、メタ構造にブーストがかかっているのが冴えていた。

 翌日、この公演に出演していて、打ち上げで朝まで語らった東洋企画の東洋氏からメールが来る。次の公演の舞台美術をお願いしたい、と。
 自分がどんな舞台美術をつくるのかも知らない、観たことないのによいのか?ということを聞いたら「あんなに演劇のことを話せたのは初めてだった。だから信頼出来ると思った」と言われた。

 こうして、自分の「関西小劇場」での舞台美術作品のキャリアがスタートするわけだが、往々にしてあるように、そうやって出来た縁みたいなものがつながっていく。東洋企画でご一緒した縁で大熊隆太郎氏から指名いただき、メイシアター(プロデュース)×壱劇屋「人恋歌〜晶子と鉄幹」の舞台美術をやることになったり。


 もちろんそもそもの、がっかりアバターのほうもアンディが東洋企画での創作過程の話などを耳にしたことで、2015年6月の 「この町で、僕はバスを降りた」 (以下、僕バス)で依頼され、舞台美術をすることになった。

 打ち合わせは、まだ台本がない段階、あらすじや構想だけのところから始まった。
 ラストに向けての展開みたいなところは、最初なかなか表現出来ない感じだったので、まずは物語の舞台として想定される「町」のディテールから入った。
 架空の町で、イメージとしての町で、芝居の中では何か具体的なことは語られないのだ。
 「もし、存在するとしたら例えばどこ?」とか実際の風景とか、そこは詰めた上で抽象的にしていく。観る人の「なんか、わかる」を塗り込めていくような感じ。
 この段階でリサーチした数々の(町のイメージになる画像とか)ディテールが最終的に舞台装置に直接反映されるのはわずかだが。

 このときは自分がよくやる方法として、作品のイメージに重なるYoutube動画、だいたいはPVやライヴテイクを参照にしてヘビロテするということは、やはりやった。
アンディとも話して出たのが、たとえばWhiteberry「夏祭り」とか。



 作品中とても重要なストーリーのイメージに対してあまりにも直接的なんで、これを実際に劇中でかけるか?といったら、まず一番になしだろう(結果、客入れでかけたはず)と話していた。これ、作劇においても重要なことだと思う。あまりに「伝えたいこと」として簡単に言語化sれてしまう言葉はNGワードになる。というのは、ある劇作家から聞いたことがある。

 ZONE「secret base 〜君がくれたもの〜」も色々とイメージが重なった。」



 PV映像にあるバスだったり、それを降りる町だったり、少年二人だったり。町にある鉄塔だったり。
 僕バスの舞台美術プランのメインステージになるエリアは直径2700mmの盆舞台になったのだが、lこの盆の舞台の床面仕上がりが板張り風になったのは、このPV映像のバスの床からっていうのが半分ある。
 もう半分は、この作品のラストが二人の「別れ」を描くもので「銀河鉄道の夜」を連想したのだが、さらに連想して劇中で「銀河鉄道の夜」が出てくる映画「幕が上がる」の、ももクロによる「走れ!」の美術室のイメージ。



 なんとなくそういうイメージ、ってことだっただけで見返してみると、そんなに「板張り」てことはないが。「銀河鉄道の夜」が、また「銀河鉄道999」のイメージが、やはり車両の床が板張りイメージあるし、美術室の床に板張りイメージしてたのは、単純に自分の小学校の校舎の床の記憶に引っ張られている。
 「銀河鉄道の夜」は本当は、こういう話もあるみたいだが。


 シークレットベースがちょっとベタな感じもあったので、そこから連想して、
 SCANDAL 「夜明けの流星群」


 も少し参照して、電球を吊ることにした。
 (これは、たぶん演出家=アンディにも、なんで電球なんか話してなかったと思う。演出家に説明すること、しないこと。しかし、なんでなん?て聞かれたときに答えられるようにしておくことは常に必要)
 まったく考えてなかったけど、今見返すとZONE「secret base 〜君がくれたもの〜」PVにもホタルの光がいっぱいとか、割と重なる。


「僕バス」舞台美術全体のイメージとして一番大きく参照したのは、これ



 フジファブリック 「若者のすべて」のPV。単純に上空の吊り物っていうことだけじゃなくて、この曲の歌詞やメロディーにあるものが「僕バス」の作品に重なる。
 この曲や、このPVのセノグラフィーや、「僕バス」には登場人物たちが抱える「別れ」と、その背後にある「終わり」それは、時代とかこの世界とか大きなものにつながる背景があるように思った。何かの終わりが迫りくる、世紀末的な落ちてくるイメージ

 上空の「面」(としか呼びようがないもの。天井、ではない)は、会場であるシアトリカル應典院が円形の劇場であり本堂であったし、メインステージが円形だから、円形に。それを効果的に斜めに歪ませて吊るために、長経3600・短径1800の楕円にした。客席から見えるように、そしてより落ちてくるように感じさせるように後ろを下げた斜めに、客席に対しても斜めに、片側を下げる、3次元的にひねった吊り方。
 厚みは100mmの見込みをつけた。

 この、3600×1800×100、の物体(最終的には円盤とか呼ばれていたが)、面もエッジも、もちろん継ぎ目なく仕上げた状態で(分割せず)搬入したい。
 6.0尺×12.0尺のパネルと変わらないと思えば、積み込みはまず問題ない。
 果たして應典院のホールまでの動線通るのか?という検証は現調・実測し作戦が見えた。
 パっと見、入口から階段も広そうなのだが、ホールのホワイエにトラップとなるような柱があって、もっとも狭くてW740になる箇所があったが、取り回しは可能だった。
 そして、この頃はインディペンデントシアター2nd(初代)の2Fが空いているとき、タタキ(舞台装置制作)作業として使わせていただいていた。この2Fから搬出出来るのか?
 ご存知の方なら覚えていることだろうことだが、この初代2ndの2Fへの階段そしてドアは割と狭くて傾斜もある。
 考えてみるまでもなく、試してみたら無理だった。
 相内さんに相談したところ
 「むかし、ヨーロッパ企画がけっこう大きな物とかつくってたし、大丈夫なんじゃないかなー?楽屋まで入れられるんなら、楽屋の窓全開したら、だいたいなんとかなるでしょう」
とのこと。
 確認(実測)してみたところ、楽屋の窓全開したら対角1800以上ある。100mmの厚みぶんみても十分クリアしていた。

 ベニヤなどの面材は基本900×1800程度(通称3.0尺×6.0尺ということからサブロクと呼ばれる。シハチと呼ばれる1200×2400程度、みたいのもあるが、基本はサブロク)なので1800×3600の楕円を一発でつくろうとするとベニヤの継ぎ目が発生する。
 その継ぎ目をなくす、見えないようにするには、パテ埋めしてサンダーがけをして、さらに塗装(塗料の選び方、塗り方でも継ぎ目を隠せる)して、面を仕上げる。
 このパテ埋め作業なんかをしているとき(確かこの時だったはず)ツイッターの手伝い募集で来ていた高校生が、後に「べろべろガンキュウ女」旗揚げする、小山くんだった。
演劇に熱心な、興味持ってくれる高校生だなあ、と思っていたら、がっかりアバター・坂本アンディのファンだったのだ。
 この後も折々、今も、舞台美術・装置製作作業するときには、作業手伝いを「ゆる募」するのだけど、来るのはその劇団のファンということは多い。

 さて、そうやって完成した装置を積み込むというときになって。
 窓から、この「円盤」を出そうとしたところ、、、そこに電柱があった!
 当初こういう取り回しで出せると計算していたようにはいかない。
 楽屋の窓の外の立てるところに立ったり、トラックの荷台の箱の上にも乗ったりして支え、かなりトリッキーな取り回しでなんとか出して、降ろした。
 たしか雨も降っていた。
 たしかに「なんとか」はなった。

 搬出積み込みさえ出来てしまえば、搬入は計算どおり!だし、公演が終わってしまえばバラせば(解体すれば)よいだけなので、荷返しも問題なくこの公演は終わった。
 2400高の高台に登る役者もいたけど事故なく終わったのは無事に、と言ってよいだろう。
 がっかりアバター、この前の公演では、本番中のアクションが過剰になりすぎてケガした役者だっていたので、上々。


 ところが、この次のがっかりアバター「THE KING OF THEATER」では数々の事件が起きるのである。
 この公演は、それまで舞台監督をしていた中嶋さおりさんができなかったので、塚本修さんがすることになった。団体としては今回の作品は大掛かりな仕掛けを必要としている構想なので、舞台監督がやりやすい人に舞台装置も頼もうと相談していた結果、前回やっているんだから自分が良いんじゃないか?と思われ塚本さんから話が来た。
 そのタイミングではすでにチラシは刷られていたので、そこに自分の名前はない。

 大掛かりな仕掛けのというのは、いわゆる「屋台崩し」である。
 アンディからのフワッとした相談の結果は、塚本さんの認識だとドリフみたいに二階建てが崩れる、みたいなイメージだったようだ。
 ただし、まだ台本もできてないので、どういう屋台崩しなのかは一旦ゼロベースで考えたほうがいいんじゃないか?というところから打ち合わせを始めた。
 台本はないけど、フワッとしたイメージはもちろんあって、完成台本のト書きでそれは

 「世界が崩壊する」みたいな壮大なことになっていた。

 本当にドリフの二階建てみたいなリアリズムな装置でダイナミックに崩したら、それはそれで大掛かりでインパクトあるものにはなるだろうけど「世界の崩壊」にはならないだろう。
 もっと(予算的にも)シンプルな装置での屋台崩しで「世界の崩壊」は表現し得ると思った。
 最終的な舞台美術プランとしては、複数のアクティングエリアとなる台をそれぞれ違う方法や形で複雑に崩すものとなった。思い描いたのは1995年に実地で目にした阪神・淡路大震災の光景、特に阪神高速が横倒しになっているところなどだった。
 自分が実際に経験している。

 台本がまだない状況でもう一つはっきりと決まっていたことがある。
最後に見上げると「THE KING OF THEATER」という文字が光っている、ということ。
 自分の中ではなんとなく「ストリート・オブ・ファイヤー」がイメージされて。ちょっと古めかしい、電球チャンネル文字看板。
 主人公が、良いこと・良いところがまったくない高校生男子、とやはり不幸に遭う高校生女子のヒロイン、てことがそこにもつながった。
 いや、「ストリート・オブ・ファイヤー」のマイケル・パレは格好良く暴れて活躍するけど、がっかりアバターだから、そんなことはまったくなくてよいのだ。
 このあたりはアンディにも話してなかったこと。
 今、思い返したら、松下あゆみのヒロインと長谷川桂太のヤクザが踊る場面とか、ダイアン・レインとウィレム・デフォーに思えなくもない。

 この時の装置製作作業は前回より物量・作業量・作業日数もあったので、劇団員にも作業手伝いに来てもらっていた。いぬいさんは細かい作業が得意だったし、長谷川圭太は今どき貴重な割と大道具作業が出来る俳優男子だったし、割と役割分担出来てるの劇団として良かったんじゃないかな、と思う。
 長谷川圭太はその後、壱劇屋に入って新人のとき、10周年記念公演「TABOO」で、同じ2nd2Fでの作業に参加してくれたり、劇場入っては演出部さんかと思わんばかりに舞台(美術)のメンテ作業してくれた。
 さて、そんな劇団員が作業手伝い来てくれてるところ、松下さんが来てくれてるときのことをよく覚えている。
 実は、この公演、その時までに2人の降板者が出ていた。一人は音信普通の劇団員(なので理由はわからない)、一人は厳格な家庭の高校生女子だったのだけどOKを出していた親御さんが「がっかりアバター」がどういう作品をつくっているのか察知したことによりNG。
 まだ早い段階だったので、台本を変更したり、代打(役とか色々変えてるので、代役ではない)の出演者を入れて稽古は進行していた。
 そこに来て、作業中に携帯が鳴って出た松下さんの顔色が変わった。

 「すみません!3人目の降板者が出そうなので、稽古場に行きます!」

 これは松下さんが稽古場に急行したことも報われてか、幸い回避される。


 そんな装置製作作業も終盤、今度は装置完成がピンチになる事件が発生する。
この「THE KING OF THEATER」という文字数の電球チャンネル文字看板、当然?100個強の電球になる。
 電球は、照明家で(裸)電球といえばこの人!で、たくさん所持していて、過去にも何回か借りていた松本永さんに借りるということで送ってもらっていた。
 ソケットのほうは、過去にやはりそうやって永さんに電球を借りた、自分の代表作の一つといえる「LOVE」「LOVE2」を上演したロロが引き取っていたソケットを借りようと連絡していた。
 ところが、なかなかソケットが届かない。
 それでもこのチャンネル文字、コストを抑えるために、とても面倒くさい手作業木工でつくっていてそれなりに時間がかかるため、しばらくは急がなかった。
 ソケットは主宰・作・演出の三浦直之の手元に保管されているとのことだったが、どうやら実家にあって探すのに時間がかかっているという。
 何度か劇団制作の坂本ももさんとやりとりしているうち、もうそろそろチャンネル文字看板の木工も仕上げまで出来て、照明の牟田さんがソケット取り付け〜配線の作業しに来るのが迫ったある日、三浦くん(に対しては「くん」と書かないと、なんかニュアンスが出ない)から、泣きながら電話がかかってきた。

 実は、手元にあるはずだけどどこにあるのかわからなく、探せない状態になっていて、実家にあって云々、すべて言い訳だったとのこと、、、

 「そば屋の出前」みたいなことになっていたのだ。
 そこから、ソケットをどうやって確保するか?というミッションが発生した。100個強のソケット、簡単に数が揃わない。作業場にしていた2ndがある日本橋は電気街だけど、ほとんどパソコン〜フィギュア・ホビー・グッズ街に変貌していて、電材店は限られている。小さな店舗がほとんどで、数はない。
 大阪中のホームセンターとか周ればある程度の数が手に入るかもしれないが、問い合わせするのも周るのも時間が限られる。
 通販は、確実届きそうで数あるところを探すのに手がかかる。
 ということで、ロロのほうでも東京で確実に入手した数を確実に届く方法で発送する、というフォローに動いてくれて、そもそもタダで借りるところだったのが、買って送ってもらう補償みたいな不思議なことになってしまっていた。
 それでもなんとかかんとか作業日までに数を揃えることが出来て、ことなきを得た。


 そんなタタキ(舞台装置)製作作業も終盤、舞台監督の塚本さんが作業中に様子を見に来た。これは、どうであるのが当たり前だとか常識だとかはわからないのだけど、塚本さんにしても何回かご一緒したゼン(久保克司)さんにしても、関西のベテラン舞台監督さんはどちらも一度は作業には顔を出してくれる。
 そして、積み込みにも必ず立ち会うか、そもそも自分で運転するかするし、自分の車でスタンバイしたりもする。
 自分が東京で舞台監督から舞台美術にシフトするなかで、誰によってか?どういうことでか?わからないが周りの環境として(小劇場規模では)そういうことは割と当たり前の基本だと思っていた。
 ところが、いつの頃からか東西を問わず、特に一定世代以下では、当たり前でもないのにも遭遇してきた。
 予算や時間、まあ色々な事情もあるではあろうが。

 ともかく、このときは搬入車両の手配から運行・運転も塚本さんにお願いしていたので、道具帳(装置の詳細がわかる図面)は送ってはいるけど、実際の現物や作業進行状況も確認に来たのだと思う。
 自分はある時期から、舞台美術を請けるとき、車両費と廃棄代は美術予算(これが「プランナーギャラ、装置製作費=人件費・材料費ほか」まるっといくらになってることが小劇場では多いが、もちろん個別に交渉すべきものでもある)から別にしてもらっていて、車両関係の手配も時々で相談している。
 というのは、ドライバーやレンタカーの融通、廃棄の工夫は団体の才量と判断で安く出来る余地があるからだ。
 自分に投げられたら、それなりに楽で高くつく方法に落ち着くかもしれない。
 しかし、小劇場規模では予算は限られているのだから、そこの判断は団体に任せたいし、そこの予算的リスクを負えるほどの美術予算では(基本的に)ない。
 小劇場だと、音響・照明混載のことも多いし、そもそも「舞台(装置)」の面倒を見るのが舞台監督の仕事の範疇に入っているので、舞台監督手配になることも多い。

 さて、そうして仕込み前夜、舞台美術装置積み込みのために塚本さんが平トラックを運転してやってきた。公演会場であるHEP HALLの搬入口は地下にあって、その天井は低いので普通の箱車(アルミバン)では入れないのだ。高さクリアするレアな箱車はレンタルも高くつくらしい。
 他から借りてきた平台を積んでやってきた塚本さんは、ちょっと笑いながら言った。

 「なかなかのもんでしょ?(物量が)」

 いやいやいや、出来るだけ劇場の平台使い切って安くしようという図面出したとき、劇場平台と持ち込みが混ざってるところに関して

 「(サイズが違うから合わせるのが)面倒だし、借りましょう。◯◯さんところのん安いし」

 て言うたの、塚本さんなのに!
 見た瞬間、

 「あ、これ無理やな(積み切れない)」

 と思った。
 車両に関しては塚本さんにお願いしていたし、図面も全部送ってるし作業場にも見に来てて何も言わないから、何も考えず問題ないと思っていた。
 積み込みに四苦八苦してると、塚本さんが呑気な感じで

 「どうします〜?」
 と言った。

 これは受けてはいけないボールだと思って、曖昧な返事をして黙々とテトリスしていると

 「これ、僕の軽(バン)持ってきたら積める思うんやけど。けっこう積めますよ〜僕のん。誰か運転してくれたら」
 と塚本さんが言った。

 いやいやいや、この積み切れなさ加減はそんなもんじゃ無理でしょ?て思ってたら、積み込みに来てた出演者の一人(実家で運転して車庫入れ失敗で破損するくらいのスキルのひと)が

 「私、運転します!」
 と言った。

 「ほんなら、車とりに行ってきますわー」
 と、塚本さんが軽バンに乗って帰って来て、積んでみるのだが、、、

 これが積み切れたのだ!
 絶対無理やろと思ってたけど。
 塚本さんは顔色も変えず平然としていた。
 声を荒げることもない。
 きっとこんなピンチはいくつも経験して来たのだろう。
 自分もひとの現場や雇われの道具会社の現場では「積みきれない」事態に遭遇したことは何度かあるが、所詮他人事。
 いざ自分事になるとなかなかに冷や汗が出るものである。


 では、これでこの公演に関する事件が終わったのかというと、そんなことはない。
 とにかく、まあ、ゲネ(通しリハーサル)が出来なかったのである。
 自分がチーフ(舞台美術プランナーとしても、かつてやっていた舞台監督としても)として関わる現場で、ゲネが飛んだのはかなり久しぶりのことだった。
 仕込み初日に、舞台美術(装置)はすべて建っていた。
 たしか上空の仕掛けや吊り物で、建込みに関わらないものは二日目に先延ばしされていた記憶。
 仕掛けとしては、装置の建込みに関わるものとして

1)台組みの屋台崩し
2)壁面パネル(複数)が倒れる

 というものがあった。
 壁面パネルを倒すのは、元々ちょっと前屈みにしておいたのをワイヤーで引いて立たせて、それをリリースして倒すというもの。
 これは、仕掛けまでやってしまわないと自立しないものなので初日に片付けている。
 それとは別に、

3)電球チャンネル文字看板の吊り上げ
4)落下物の仕掛け(1点)
5)人吊りの仕掛け(1箇所)
6)舞台上から上空へ引っ張ったワイヤのリリース(12点)

 というのがあった。

 ここまでで、1)・2)は、まあ演出オーダーで屋台崩ししたいと言われたら、そこそこオーソドックスなところ。

4)・5)が完全に台本・演出上のオーダー。
3)・6) が美術側からの提案で、ワイヤーは普通の屋台崩しだけではト書き・演出オーダーにある「世界の崩壊」は表現し切れないだろうということで出した。演出OKは出たけど「でも、舞台監督さんがOKしてくれたらね」ということで、塚本さんに相談。

 「いいんじゃないですか?」
 「でも、仕掛け導線とか綱元どうします?」
 「照明から縦バトン全部もらいましょう」
 「!(大丈夫か?それ)」

 ところが、照明の牟田さんは出来る範囲でやってくれちゃう人なので意外と平気だった。
 まあ、屋台崩しするところにも平気でスタンド立てたりもしてたけど。

 それぞれの仕掛けに時間は食っていたのだろうけど、まず最初に思い通りにいかなかったのは、
 「電球チャンネル文字看板の吊り上げ」
だった。

 塚本さんは、すべて繋げて一気に途切れず上げたかったようなのだけど、袖中から(疲れからか)ガラガラになった塚本さんの声が響いた。
「ちょっと来てくれ、これ重すぎて一人じゃ上がらんわ!」
 ということで

 「THE KING 
  OF 
 THEATER」

 と3行に分けて吊ることになる。

 思い出すと、自分は仕込み2日目の途中で抜けて、夜に戻って、また本番初日の昼くらいから戻ってみたいにしてたんだったと思う。だから、どのように場当たりが予定よりオしていったのかは正確には把握してないが、なんせワイヤーリリース(引き栓)の仕掛けには苦戦していた。
 HEPHALLのバトンタッパがメモリー効かないことでの対応とか、ワイヤー個別のマーキングなどが、時間なくて追いついていなかったのだ。まあ、今にして思えば、仕掛けは舞台監督マターとはいえ、自分のほうでも早い段階で気にして出来ることはあったのだが。
 そもそも、場当たりが最後までいってないので、仕掛けのテストを繰り返すような余裕もなかった。
 より、調整幅ある大きめのターンバックルを買い足して入れたりもして、なんとかしのいだ。
 こういうことがあって、手持ちの金物は増える。

 そうこうして、とりあえず最後まで場当たりを終えて、ゲネは出来ずに初日開演が迫る。
 ラストシーン、屋台崩しにワイヤーリリース、と目白押しの仕掛けが続いた後に行う
 「電球チャンネル文字看板の吊り上げ」
 は、やってみると電球の塊なので、慎重に介錯しないと安全に行うことが難しかった。
 場当たりでは、仕込み増員で来ていた河村都さんを率先に出番ではない出演者(ほとんど)全員でフォローする。
(これは、客席からも少し見えてしまうのだが、結果的に登場人物達が力を合わせているようにも見えて結果オーライ)
 都さんが叫んだ。

 「塚本さん、これ私おらんかったら、ケガ人出るで!予定空いてるけど、雇う?!どうする!」
 「お、おう、わかった、、、団体に聞いてみるわ」

 ということで、本番直前に本番付き(大道具)追加決定。


 初日打ち上げは「やり切った感」の感慨と疲れか、なんか静かに落ち着いていた。
千穐楽行ってみると、仕掛けが一つ増えていた。
 屋台崩しと共に、ドラム缶が倒れる。
 バラシ後の打ち上げは、やっと初日が開けたかのように盛り上がった。
 むかし偉い人は言ったという
 「初日は楽日のように、楽日は初日のように」


 結果的に公演は成功裏に終わったと言って良かっただろう。
 実はこの公演、劇団としてはステップアップする中での勝負をかけたHEP HALL(かつては、関西の小劇場劇団がステップアップする上で重要な目標になっていた)である上に、投げ銭公演だったのだ。
 動員×平均投げ銭額(どっちかが想定より少なく、どっちかが想定より多かった、はず)は団体が立てた予算どおりだった。
 2026年1月4日、自分も無料カンパ制で公演をプロデュースすることになったわけだけど

(この、無料カンパ制は優しい劇団がある時期からやっていた)

 ただ、今思い返してこの時のがっかりアバターが本当に大勝負だったと思うのは、一週間規模で劇場を借りて、照明・音響・舞台美術とフルスペックでやっていたことだ。
 しかも、舞台美術(屋台崩し・仕掛け山盛り)に関して言うと、まあ自分が楽しくなって予算以上にやり過ぎてしまったところはあるにせよ、この劇場で公演する小劇場劇団としては、かなりまとも(安くはない)な予算が出ていた。
 トンがっててパンクなイメージのあるがっかりアバターではあるが


(当時、ツイートで「匿名劇壇がストーンズなら、がっかりアバターはピストルズ」というのがあった。その後、近松祐貴氏と飲んでいた際「ならば壱劇屋はヴァン・ヘイレン」と言ったらおおいに賛意を得たものだが。後年、メイシアタープロデュースで壱劇屋の舞台美術を担当した際、まだ台本がない段階では「ヴァン・ヘイレンな壱劇屋でタイトルが「人恋歌」ならこれだ!」



とイメトレしていたら、まったくそうではなかったのだが。そのことを打ち上げで大熊さんに話したら「まったく、わからん!」と言われたものの「Jump」PV



のアレックスは大熊さんに似てるとは思う)


 とてもちゃんとしていた、というか劇団としての覚悟が出来ていた思う。
 当時の関西小劇場の双六としては、應典院のスペドラからHEP HALLにステップアップしたのなら、そのうちアイホールのbreak a legもきっと間違いないだろうという段階に、来ていたと思う。

 しかし、がっかりアバターはこの後2回の公演をもって、突如解散する。

 どちらの公演も舞台美術プランナーはたてておらず、自分が関わったのは、このHEP HALLまでで、解散に至る理由は知らない。
 たぶん、色々あるのだろうけど、若くして頭角を現し評価を得て駆け登っていた感あるだけに「走り抜けてしまった」んだろうと思っている。
 最初に会ったときの印象どおりに、演劇が好きで実は勉強家でもあるアンディは、アイホールの世界演劇講座にも通って古典への教養を深めることにも意欲的だったが、その広い視点と探究心のために、劇団として継続した先に「行き詰まり」まで見えてしまったんじゃないだろうか。
 小劇場演劇ってヌルっと続けることはそこそこ可能でも、一定段階成長した先で商業的に稼いだり大きな規模の公演をするということでもなく、公立劇場や公共の企画に乗っかることでもなく、さらなる上を目指しつつ満足出来る継続の仕方や位置を探る行く途が、きっとないではないけど多様すぎて正解がない。


 さて、その後インディペンデントシアター2ndの「初代」が一度閉館する際に配信イベントでゲストトークに参加した自分は、初代2ndの「思い出」として、これらの「がっかりアバター」の公演で起こった、窓から搬出した話や積みきれなかった話などしをした。
 このとき、自分と共にトークしたゲストは魔神ハンターミツルギ氏。
 相内さんは、どう考えてこの組み合わせにしたのだろうか?
 関西に引っ越して(戻って)からの自分にとってミツルギさんは、よく観に行った芝居で遭遇する人だった。
 2014年〜2016年くらいは、関西の状況を知りたかったので、かなりたくさんの公演を観に行ってたので、ミツルギさんももちろんけっこう多くの人にとって、自分も観劇しに行った先でよく見かける人であったには、きっと違いない。
 同様、よく遭遇する人の一人に舞台監督の塚本さんもいる。
 塚本さんは劇場で顔を合わせると、
 「最近、何か面白いの、観ました?」
 と話しかけてくるのが常だった。
 舞台監督と舞台美術家なんだから、仕事の話の一つもないのか?、、、なかった。
 HEP HALLのがっかりアバターだけである。
 完全に観劇仲間だとしか思ってないようだった。
 最近、観劇に行った際、大学の先輩でもある「MONO / 壁の花団」の水沼さんに会った。
 やはり「松本くん、最近なんか面白い若手とか観た?」て聞かれた。
 もはや、そういうパブリックイメージになっているということか。
 ミツルギさんとはそういう話はしたことなかったが、そうやって劇場で見かける顔なじみの一人だった。

 しかし、自分とミツルギさんの出会いはもっと前にある。
 「じゃむち」の東京取材カメラマンの仕事をしていた関係で、いつからか自分は遊気舎の東京公演に出入りするようになっていた。
 1990年代後半のことである。
 その頃自分は作品として、マミヤプレスという超アナログな旧いカメラにポラロイドバックを付けて、ポラロイド・タイプ665という「ポジのプリントとネガのフィルムを同時に生成する」パッケージを使って、本番直前の楽屋に紛れ込んでは、鏡前の役者を勝手に撮影するということをしていた。
 ドキュメンタリー的に被写体に関わらず、第三者的に描写というのではなく、被写体がこっちを意識してくれるのを待って、関係性を持って対峙するような撮影の仕方をしていた。
今考えると、よくあんな芸当が出来たなと思う。
 座組み(プロダクション)に属してもおらず、ふらっと伝手を頼っては入り込んで、まったく公演に関係ない立場でやっていた。
 今のように上演作品の中身に関わる立場を知ってしまうと、とてもは出来ない。
 また、その立場でやるとしても出来たとしても、自分の心持ちが違い過ぎて、とてもやれない。
 スマフォで誰でも簡単に撮れる時代になったから、そういうオフショットはいくらでも撮れる時代なんだけど、簡単に出来るようになったらなかなかしないものだ。すべての人がカメラを手にしていたとしても、そこでシャッターを切るか?切れるか?というのは、その位置にいる人にしか出来ない。これは、物理的にというだけではなくて、関係性や心理としての位置として。シュートを打つにはボールが来る位置にいなければいけない。
 シャッターを切ること、つまり「撮影」は英語で言うと「シュート、シューティング」となる。即ち「狩り」だ。「狩り」ならば獲物に静かに近づくことは大事だ。
 この話を自分は、ゴトーさんから教わった。ゴトーさんは6歳のアメリカ人の少女から「シューティング」と呼ぶことを教えられたという。
 舞台美術プランナーとして公演に関わる自分は、たぶん被写体に接近し過ぎて、逆にもう良い位置にはいない。
 自分のことを記録し続けるのは、なかなか難しい。余裕がない。
 そう考えると、演劇に対して記録者として居た当時の自分の位置にも意味があったのかもしれないと思える。


 舞台美術プランナーとしての自分の本番直前(基本的には初日)は、だいたいギリギリまで何かしてるか?ブラブラしているか?のどっちかだ。
 ゲネプロ(通しリハーサル)を見て、どこか直したいところがあったら、そしてそれが出来ることだったら、開場ギリギリまでに何とかする。
 ほとんどの場合の多くの舞台装置は、開場中の30分は確実に「誰も触らない」ので、それで可能になることもある。
 あるいはゲネ直前まで何か粘っていた場合、工具や資材など色々と片付けきれてない物が往々にしてあるので、それを開演前に整理してたりもする。
 逆に、もう直すところ・直せるところ(これは作業内容的にだったり予算資材的にだったりの可能不可能による)がない場合、本番のオペレーションに関わらない舞台美術プランナーというのは、もう気楽に本番を見守るだけの人になる。
 そういうとき、自分はだいたい劇場の周りをブラブラとうろついたり、なんだったら一杯引っかけたりして、ほどほどに客席が埋まってからの頃合いに、それとなく入場する。
 ギリギリまで粘ってやり切るのも悪くはないが、そうならないような進行が仕事としてはスマート(そうであるべきかどうかは、ケース・バイ・ケース)だし、その劇場がある街や駅前から馴染んで観客に近い状態にシンクロしてから客席に着く。観客も上演も、その場所(街から劇場)も、全体を眺めることで、舞台美術プラン(セノグラフィー)の完成が確認出来ると思っている。
 確認することが、デザイナーとしての責任だと思う。
 だから、自分にとっては、本番を一回も観ることが出来ない状況で舞台美術プランを請けるということはあり得ないことだし、それは出来るだけ初日が望ましいし、もちろん場当たりやゲネまでつき合って変更への対応やブラッシュアップ出来るようにありたい。なかなか予算的なことで自分の予定確保が出来ず、ということは小劇場規模だとあるのだけど。
 プラン料が、仕込み初日〜本番初日までの日数自分の予定を確保出来る(1日日当分)予算でない場合は、日常を現場大道具さんとして暮らしている自分は、二日目以降は現場入ったらそっちの予定を入れさせてもらっている。(その条件交渉を最初に確認する)
 街や劇場が変われば、そのセノグラフィーは変わるのだから、一度つくった作品のツアーでもそれはその行く先々それぞれでそうあるべきと考えている。

 ただ、こううい考え方は一般的ではないのか、かなり予算規模があるツアーでも、本番オペレーションに必要のない舞台美術プランナーがツアーに帯同してない(予算が出てなかったり、スケジュールアウトだったりするんだろう)のは見かける。
 しかし、きっと演劇よりも予算規模が大きいツアーものの展示イベントだと、漫画・アニメ系だと作者だとかメーカーや著作権元の最終チェックは普通にある。
 これはつまるところ、お金(時間)と心意気の話になるんだろう。
 自分は、心意気を大事にしたい。


 さて、話をミツルギさんとの出会いに戻すと、初めて遊気舎の本公演を観たときにミツルギさんを見てはいるはずだけど、自分がいつ楽屋に潜り込むようになって、いつミツルギさんと接触したのかは正確には思い出せない。
 ただ、いつの何(作品・上演)だったかも、もう思い出せないプリントは残っている。
このとき現場で生成されたポジのポラロイド(印画紙)は、今はミツルギさんの手元にはないそうで、きっと他の二人のうちどちらかが(残していれば)持っているのかもしれない。
 2ndの配信イベントは2020年のこと。コロナ禍真っ只中で公演もなくなり、劇場でミツルギさんと遭遇することもなくなっていた時期。
 しかしその後、観劇の機会は減っても、「文化庁のん」や「アイホールの件」で自分が企画したリモートミーティングで話す機会は増えた。
 アイホールに関しては、ミツルギさんも出演の経歴や関わりが多くあったし。

 アイホールでの出演作を振りかえってみた~遊気舎とトリオ天満宮チラシ集~


 コロナ禍から徐々に公演が再開していっても、自分の観劇はそれをきっかけに絞られたものになっていたので、以前ほど劇場でミツルギさんを見かける機会は少なくなっていた。
 しかし、自分が企画・プロデュースした、優しい劇団の大恋愛 Volume 伊丹「なるべく終わらないカーテンコール」に先駆けて行った、尾﨑優人一人芝居「北極星のがなりマイク」@扇町ミュージアムキューブ CUBE05、をミツルギさんが観に来てくれた。
 わずか30名弱の客席である。
 終演後の様子も満足そうであったし、良い反応の感想ツイートもいただいた。
 ということで翌日さっそく尾﨑さんとミーティングしたところ

 「ぜひ、出ていただきましょう!」

 ということで「優しい劇団の大恋愛 Volume 伊丹」への出演オファーをして、成就した。

 優しい劇団の大恋愛Volume伊丹『なるべく終わらないカーテンコール』をよろしく~

 この公演で、主宰・作・演出の尾﨑さんに提案する出演オファーの選択は、もうとても多くの人をお薦めしたくて、出ていただきたくて、絞るのに困った。
 そこで尾﨑さんに求める基準を聞いたところ「こういう企画にリスペクトを持ってもらえる人、面白がってもらえる人」とのこと。
 なんせ、この段階で「優しい劇団」は関西でまったく無名である。
 そういうことであれば、、、わずか観客30名弱の公演に来てくれたミツルギさん同様、客席で頻繁に出会う、きっと演劇大好きであるに違いない俳優がもう一人いた。
 ステージタイガーの谷屋俊輔さんだ。
 ウイングフィールド、インディペンデントシアター、應典院、とマチネ・ソワレの公演がある中で、日本橋あたりで一日に二度三度行き合わせたこともあった。
 ステージタイガーや谷屋俊輔さんは、そんなにアイホールに縁があるわけではない。
 しかし、今回の企画、ぜひそういう人にも出て欲しかった。
 縁が深い劇団や個人には、何がしか機会があるだろうから。
 ということで、出演オファーをして、決定となった。
 谷屋さんというと「#美味しいポテトサラダを探しています」のハッシュタグで知られているように、居酒屋には一家言ある方である。
 聞いてから、自分もその教えを守るようにしている。「初めて行く店ではポテトサラダを頼め。その店の力量がわかる」
 今回のことで話していて、アイホール近くにあるここも初めて知った。



残念ながら、1月4日には営業していなかったが、記事には入れた。

アイホール周辺の「非公式」オススメ・2026/1/4 選ばれし勇者たちに捧ぐ Ver


 さて、
 こうして、悩みながら出演オファーや出演募集を絞ったりして、公演準備期間をかけた、優しい劇団の大恋愛 Volume 伊丹「なるべく終わらないカーテンコール」であるけど、はやい段階から出て欲しかった人がいる。

 笑福亭喬龍、

 かつてのがっかりアバター・坂本アンディである。

 

 色々な経緯で今回アイホールの舞台に立つ人がいる中、団体として活動を続けていれば、きっと公演していただろう人。
 笑福亭喬龍=坂本アンディ、は今や売れっ子の若手落語家である。
1月2日に高座があっての、1月4日。その後は18連勤とのこと。


 さて、最初の出会いの話に戻すと「殴り込みバラシ」だけど、今もそんなことをしているのかというと、今回やはり参加いただく坂口修一さんが出演しているマシュマロテントの公演を千穐楽に観て、面白かったので参戦した。
 今回こ゚縁がある坂口さんが出てるから、というのもあるけど面白そうだったから観に行った。

 関係があるから、知り合いが出てるから観に行く、それはまああるのだけど、直近で関わる人が関わっている(出演だけでなく演出とかも)となれば、自分が関わる作品に通じるヒントが何かあるかもしれないとも思うから観る優先度は高くなる。直近で関わる演出家が面白いとか興味深い感想を述べているのなら映画も観に行くし、小説も読むようにする。可能な限り。
 ネットで流れて来る舞台写真(美術)がちょっと格好良いな、と思ったら観に行く優先度が上がる。逆なら下がる。だからといって、それを流さないでいれば集客が伸びるわけではなかろう。自信があるものをつくるしかない。
 
 観に行ってやったのに、観に来ないと嘆く劇団主宰のツイートを見たことがあるが、とんだ了見違いだと思う。
 われわれがやっているのは、そんな手垢がついたインスタントば「政治」みたいなことではないはずだ。

 マシュマロテントの作品は面白かったので、久しぶりに参戦してみた。
そしたら、知人である舞台監督の佐野さんから、増員の仕事を2現場(2日)いただいた。
ラッキー!