舞台美術プランとか劇場スタッフとか、

かつては写真とかもしてきた、松本謙一郎のサイト。


今(2010年〜)はもっぱらツイッター( @thinkhand / ログ )で、ブログとしては更新してませんが。
最近は主にもろもろの告知とアーカイブ、ポータル的編集記事など。

2008年あたりは、割と色々書いてます。






























作品





 ロロ「ボーイ・ミーツ・ガール」 2010年 @王子小劇場

    (佐藤佐吉演劇祭2010 参加)
    (佐藤佐吉演劇賞2010最優秀舞台美術賞受賞)






がっかりアバター「THE KING OF THEATER」 
                  2016年 @HEP HALL




プロトテアトル「レディカンヴァセイション」
                2019年 @大阪市立芸術創造館






Trigger Line「F」 2010年 @シアターイワト




努力クラブ「救うか殺すかしてくれ」
     2021年 @神戸アートビレッジセンター
     (KAVC FLAG COMPANY 2020-2021 参加)






無名劇団「無名稿 侵入者」 2017年 @伊丹AI・HALL




努力クラブ「少年少女」 2018年 @人間座スタジオ





シンクロ少女「ファニー・ガール」 
            2013年 @三鷹市文化芸術センター・星のホール







フナレ「モンスター」 2009年 @ウエストエンドスタジオ





東洋企画「偽曲 薮の中」
         2015年 @大阪大学21世紀懐徳堂スタジオ





マグネシウムリボン「賞味期限の切れた毒薬」
                  2013年 @d-倉庫





ロロ「LOVE02」 2012年 @こまばアゴラ劇場 
          @元立誠小学校・講堂
          (京都国際舞台芸術祭 fringe参加)
          @エルパーク仙台・スタジオホール




       http://youtu.be/sSA6pX7-egk

ロロ「ダンスナンバー・時をかける少女」(劇中舞台美術)
                2013年 三浦直之監督映画





キコ qui-co.はなよめのまち」 2010年 @王子小劇場




       http://youtu.be/rs5WA_5_eBs

ZOKKY 新型のぞき穴システム「ゾッキーシールド」
                      2013年






ロロ父母姉僕弟君」 2012年 @王子小劇場
          (佐藤佐吉演劇祭2012 参加)






パセリス「届かないことだってある」
              2010年 @OFF OFFシアター



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[ 作品 / 履歴 ]


最近の更新・告知

【更新・編集中】

劇場(設計/施工)一覧 2026/4/16:1劇場追加
アイホール非公式アーカイブ 2026/4/16:1公演詳細情報追加
関西学生劇団リスト 2026/3/29:活動終了情報追加
優しい劇団の大恋愛 Volume 伊丹:「上演記録画像」アップ
関西(京阪神)の劇場リスト 2026/3/27:閉館情報追加
 
・「プロジェクト・ナビ」(アイホール非公式アーカイブ 内まとめ記事)2026/3/12:一部追加
 
京阪神のホームセンター情報 2026/3/9:マップの店舗追加
 
アイホールの件 2026/2/27:一部追記
非公式シリーズ 2026/1/2:一記事、追加

 

「俺の家の話」あるいは「火葬と推しのライブ」

 「俺の家の話」といっても、以前やっていたドラマの話ではない。
 ちょうどこのドラマが放映されていた頃、自分の母方の祖母が死去した。
 そのときのことはいつか忘れないように書き残したいと思っていたのだけど、急がなくてもホントに書くべきことなんだったら、いつか書くタイミングが来るだろうとそのままにしていた。
 訃報を聞いたとき駆けつけるのなら一風呂浴びといたほうがよいかな?と思って、銭湯に行った。しかし、風呂からあがったら時間ももう遅かったし必要もないので翌日にした。
 そして、なんかこのことを誰かに話しておいたら忘れないかな?と思ってSNS上にいた知り合いをつかまえて話をした。だから、忘れずにいて今書けるのだと思う。


 先日、「嵐のラストライブと通夜」が話題になっていたので考えた。
 話の要点は、
 「推し」である嵐のラストライブが実父の通夜と重なって、しかし「推し」を優先するかどうか?という議論。
 そこに、兄が意を受け入れず通夜+葬儀の日程を強行したとか、さらに夫がそれをSNSに発信したとかという話。
 「炎上」という議論になったのは「親族(親)の通夜(あるいは葬儀と言ってもよいかもしれない)と推し(あるいは仕事でもなんでも自分が大事にするもの)のどちらを優先するのか?」ということだったと思う。
 シンプルに考えると。
 そこで「個人が大事にするものを優先する派」と「従来からの儀式や家族的関係性を優先する派」が見える化した。

 一番感じたのは、どちらも万人に絶対ではないにしても、兄や夫という近い関係性のひとに「推し」を優先するということをまったく理解されていなかったという不幸だ。
 世の中そんなもんなのか?と、自分の身に振り返ってみたところ、自分は両親も健在で伴侶もいないのでこういう経験はないし、幸いなことに両親と自分にこういう価値観の違いがないのでまったく参考にならなかった。
 「お前はどうやねん?」と問われたら、葬式や儀礼を重視しないめっちゃラディカル少数派であったのでどちら側の驚きもあまり新鮮なものではなくて、むしろ驚いているということに驚いた。
 直近の自分の親族の死、それがこの母方の祖母のときだったが、そもそも通夜も葬儀すらもなかったのだ。
 まったく一般論としての参考にならない。


 自分は母方の実家に同居するかたちで育った。母方の家系は「普通に」なのか?少し「熱心に」なのか?昭和の日本的に信心あるほうだったと思う。家には仏壇も神棚もあるし、◯回忌もちゃんとしていた。幼少期は法事が多かったが、無邪気に親戚が集まるのが楽しかった。
 祖母は仏事神事に特にこだわりある人ではなかったが、同居している祖母の叔母(であり義理の姉でもある)は仏事にも神事にも少し熱心だけどややオリジナルに解釈した偏った「しきたり」みたいなものを大事にするし、親類を戦地で亡くしているからとはいえ毎年遠路靖国神社にも通う熱心な人だった。
 だからといってそれに影響されることもなく、祖母は叔母の行動につき合いつつも面倒なことはしたくない性分で、母はさらに色々なこと万事さっぱりした人だ。祖母の叔母が病床に伏すようになると徐々に、他界するとさらに色々なことは簡素化されていった。

 父は寺の長男に生まれたけど継ぐこともせず、実家(寺)を訪れても仏壇に線香の一本も手を合わせることもしないくらい信心や儀礼にぞんざいな人だ。
 「自分の葬式は要らない」と子供のころからずっと言われてきた。
 「そもそも、釈迦だって葬儀はなかった」と言う。
 信心はないけど寺に育ったので知識はあるというのが面倒くさい人だ。
 「ヒマラヤに骨撒いてくれたらいい」とか言うが、それは余計に面倒くさいからせめて淀川(の近くが父にとって故郷)くらいで許してほしい。いや、それも違法だが。がんばって散骨しようとしたら映画「ビッグ・リボウスキ」みたいなことになるのを連想したが、意外なことに母はこの映画の場面を知っていて笑った。


 父が寺の長男に生まれたのにも関わらず何故そうなってしまったのかはわからないのだけど、多感な10歳くらいで終戦をむかえて価値観の大転換を経験したことはいくらか関係あるんじゃなかろうか?とは思っている。不仲ではないが親への反発みたいのもあっただろうけど。

 曽祖父は日露戦争において(たぶん永沼挺身隊に参加して)金鵄勲章もらったような豪傑だったのだが、父は幼少期戦時(祖父出征不在)中に影響を多大に受けて育ったものだと思われる。そこそこ普通に軍国少年でもあっただろう。自分の幼少期にも「なつメロ」として戦時中の軍歌を聴いていたりすることがあった。しかし、同時に戦後の民主主義教育を多感な時期に鮮烈に受けて育ったアンビバレンツなところもある。世代としてギリギリで60年安保を、たぶんやや距離をおいてスルーしている。

 祖父は普通に徴兵されたが幹部候補生を経て野砲兵連隊の士官となり、中国から最後は南方ブーゲンビル島の死地から幸い生還している。そして戦後は、聞くところや自分の印象だと檀家や地域から慕われる、まあ人徳者の住職として人生をまっとうした。僧侶としてはあまり旧いしきたりにこだわらない進歩的な人だったらしい。
 家族には怒ると激しい面もあったらしいが、治外法権的にかわいがられていた孫の自分は直面したことがなかった。

 そんな祖父との記憶は家族や親類といっしょにいる中での、わずかな印象みたいなものばかりだけど一度だけ二人きりで出かけたことがある。
 自分が10歳くらいのころ、なぜか一緒に伏見城に行った。たぶん祖父によるその行き先選択は、自分が歴史とくに戦国時代ものに興味を示していたからというのはあったのかもしれないが、同時に伏見桃山陵にも行った。
 祖父は、無言で深々と礼をしたけど、自分にそれをしろということも、そこが何なのか力説することもなかった。それが明治天皇陵だということを再認識するのは後年だいぶしてからのことで、そのときはよくわからない広いところを歩いた記憶でしかない。
 明治の終わりに生まれ、南方の壮絶であろう戦地から生きて帰った祖父が何を思っていたのかは、もう今ではわからないが、祖父も同じように何もわからず曽祖父に連れて来られたことがあったのかもしれない。

 その祖父は自分が15歳のときに他界した。
 さすがに信心や儀礼に否定的な父も自分を連れて葬儀に参加した。
 この場合「喪主」はどうだったんだろうか?
 住職を継ぐ叔父(父の弟)が「もちろん」というべきか主役な感じがしていたし、父は長男ではあるが「喪主」としてなにかしていた様子の記憶はない。どうかしたら本人すら覚えていないらしい。個人の葬儀というより、あくまで寺の住職の葬儀という面が強かったようだ。
 祖父は遺言として、出来るだけ質素に樒(しきみ)はいらないと言っていたが、寺の住職なんでまったくというわけにはいかず一つだけあったのを覚えている。
 住職を継ぐ叔父と本山から来た坊さん(主賓?きっと偉い)だけが色鮮やかな衣だけど、数十人の墨染めの衣の坊さん(そりゃ縁あるひとが集まるとそうなるんだろうけど)による読経がゴスペルのような迫力だったのを鮮烈に覚えている。
 この経験は自分にとって舞台美術・舞台空間を捉えるうえで多大な影響になっているんじゃないかとは思う。


 自分にとって親族の葬儀の記憶はこれが最後だ。
 いや、同居している母方の祖母の叔母の葬儀があったはずなのだが、どういうわけかまったく記憶がない。
 そのあと父方の祖母のときは、もう遠方(東京)に暮らしていた自分に対して父から「わざわざ帰って来なくてよい」と連絡があった。そのかわり病床で先が見えた頃に連絡があって面会した。
 「生きてる間に会っておいたほうがよい(それに意味がある、葬式はどうでもよい)」というのが父の考え方だ。その時点でもう祖母は自分のことを認識出来ているのかわからないし意思表示も出来ない状態ではあったが。

 葬儀というものの経験と記憶は、母方の祖父のときが最初でそれはまだ物心つかないころだったが、実家の6畳1間と4畳半1間をつなげた広間にして会食していた光景が記憶にある。遺産争いなんてしてないものの、映画「犬神家の一族」の印象と重なり、子供の眼から見た記憶はすごい人数と奥行きなのだけど、そんなはずはない。
 この記憶から、自分にとって葬儀といえば「精進落とし」というイメージはある。
 しかし父方の祖父のときに、この記憶がない。
 葬儀はたくさんの坊さんが集まっていたのが盛大だったけど、身内はさっぱりして儀礼を廃していたのかもしれない。仕事として葬儀に関わっている家だから逆に身内では裏方感覚になるのかもしれない。そもそも自分だって本堂の祭壇の裏表を行き来して遊んだりしていたのだから、入口が舞台裏だった。そう考えると今、比喩でなく「裏方」の世界にいるのは自然なことのようにも思える。
 母方の祖父のときは「精進落とし」だけでなく火葬場に行った記憶もある。
 火葬場で骨拾いする光景。
 これは後年、舞台美術する上で経験的知識として活きた。


 東山青少年活動センターで行われている「演劇ビギナーズユニット」の舞台美術アドバイザーを過去5回やっているのだがその3回目、2019年の26期・劇団えだまめ「硝子のサーカス」(作・太田省吾、1976年初演)のとき。
https://higashiyamacenter.seesaa.net/article/468521649.html

 「硝子のサーカス」は主人公である女性の火葬の最初と終わりの場面に挟まれて、その一生が回想されるような作品。冒頭に棺桶が運ばれ、ラストは骨拾いで終わる。
 ビギナーズユニットの舞台美術アドバイザーというのは、受講生(俳優とスタッフワークの両方をやる演劇初心者である参加者)が舞台美術プランをする手助けをし、そのプランが実現できるように製作作業の指示・アドバイスするのと、受講生には難しい作業をする仕事だ。
 公演直前の舞台美術(装置)製作作業は色々とギリギリで、受講生ではなく自分にアイデアから実作業まで引き受けざるをえない部分も発生するのが毎度。
 このときの演出、大原渉平氏は劇中必須アイテムである棺桶や遺骨に関して「出来るだでリアルに」(演出家はよくこういうことを言う)というオーダーを出した。
 棺桶は手慣れた木工だし、まあ頑張る(戯曲指定の動きや演出上、リアルといっても本物では成立しないのだが)としても、リアルな遺骨?て。受講生が他の小道具でつくっていたパーツがうまくハマりそうだったので流用しつつ、仕上げは自分の記憶やイメージだけを頼りに描画というかエイジング(汚し塗装)の要領で仕上げてみた。ググってもなかなか参考画像なんか出て来ないし、便利なAIもまだなかったし、めっちゃリアリズムではなくちょっと抽象化しつつ。そのほうが芝居全体や他の小道具にも合うので。
 果たして大原氏は仕上がりに満足しつつもよりアクセントを求めた。演出補の松岡さんが見た瞬間の反応は「グロ!」舞台監督の下野さんは「ああ、おばあちゃんこんな感じやったわー」という回顧をしていたので、きっとミッションクリアしていたと思う。
 大原氏の演出ではこの女性が一生を終えていく瞬間(それは上演時間そのものでもあるが)に美空ひばりの「川の流れのように」を重ねていた。特に不死鳥のイメージ。それは舞台美術と演技演出で川をイメージする部分をつくり込んだり、全体に赤を基調とすることでも反映されて、かなり作品の核になった。


 余談ながら、自分が葬儀のことをまったく記憶していなかった「母方の祖母の叔母」は奇しくも美空ひばりと近い日に他界していた、らしい。



 さて、ここでやっと時系列として「俺の家の話」放映時点(2021年3月)での母方の祖母の話。本題である。
 母方の祖母は100歳をこえて長生きしていた。
 若い頃の盲腸意外、歳をとって入院したこともない。
 もちろん加齢によって衰えはするが通院するような病気もない。特に悪いところもないけど晩年は寝ていることがほとんどにはなっていた。外を出歩くこともないせいかコロナにもかからなかった。
 だから、ほんとうに何の前ぶれもなく、ある日突然死んだ。
 最後の言葉は「晩御飯食べる?」に対して「食べる」と応える一言だった。
 しばらくすると息がなかったという。
 だから、連絡は突然で父方の祖母のときのように「今のうちに会っておけ」とかなかった。
 むしろコロナ禍中で会わないようにしていた。

 連絡があったとき、自分は観劇中だった。
 終演後、実家から着信履歴があったので返したら訃報だった。
 着信を見たときには、正直祖母よりも持病で入院などがあるし、コロナだって油断できない父母のことを先に想像したくらいだった。

 観ていたのは、演劇ユニットおかゆ「極楽薬」(作・演出:合田団地)@アカルスタジオ
https://akaru-project.co.jp/schedule/4037/
 俳優は初心者ばかりだけど、合田さんの劇作演出によって拙さも逆手に取っていると思える作品だった。出演者という素材の活かし方がバツグンに上手い。初心者や社会人を集めたりするようなプロジェクトはもっと合田さんを起用したらよいのにと思った。
 物語としては、合田作品に「あるある」な要素はいくつかあって目新しくはないのだけどそれもまたよし。
 物語の主軸はみだらな色恋。そしてその果てに主人公の男女二人が「これからたぶん死ぬ」のだろうと思わせる流れで、二人並んで列車に乗っている画で終わる。たぶん偶然の産物だとは思うのだが、この二人が向いている方向がリアルな地理として「西」だった。それが西方浄土のようにも思えた。
 そもそも大阪の地理、そして難波という土地を考えたときに西方浄土ということの意味は大きい。
 (詳しく話すと長くなるので「大阪アースダイバー」読んでください)
 なあんて深読みを観劇後に合田さんにも話して別れた。

 そこに入った訃報である。
 この何十分間かのドラマとそのラストになんだか祖母の死出が重なった。

 21時はまわっている。実家(母方の、である。両親は祖父が他界して男手がなくなってから母方の実家に同居して、自分はそこに育った)には帰ることが出来なくはないが急いでそうする必要もなかった。
 しかし、もし帰るなら身体を清める(あ、逆か?)というわけでもないが、まずは風呂には入っておこうと思った。いや、その前に本屋に寄り道して、新訳のベケット全集「ゴドーを待ちながら / エンドゲーム」(白水社)を買ったのだった。


 そうして銭湯を出たらもう実家には帰れない時間だったし、SNSでつかまえた(確実にその時間に起きている)知り合いに電話したのである。


 翌日、実家に帰ってみると、父の行きつけの医院紹介で葬儀屋が入って出棺・火葬までの段取りはなされていた。火葬は2日後。祖母の遺言どおり葬式も通夜もなく、出来る限り一番シンプル(安いとも言う)な「かけそば」みたいなプランになっていたが、母が骨壺だけ祖母好みそうなデザインの1ランク上(2番目に安い)を選んでいた。
 葬式はなくても棺に最低限の花とか草鞋はセットになっていた。
 草鞋?あ、それ必須アイテムなんだ。
 副葬品として、祖母のベットから出てきた雑誌の切り抜きを入れた。フライデーに掲載された木村拓哉の記事である。
 なんでキムタクやねん?!
 だが、大正2年(1913年)生まれ、女学校出の文学少女だった祖母は年老いてまで割と少女趣味なところがあり、ほとんどテレビも見えなくなってるはずの最晩年でも紅白に出ているジャニーズ系は把握している様子だった。
 すごい若手はともかく、嵐のことなど確実に知っていたと思う。
 祖母ならば実子が通夜ではなく嵐のラストライブに行っても「推し」を理解して許したんじゃないかと思える。
 「硝子のサーカス」の主人公のようなことも「極楽薬」のようなことも人生においてなかったはずだけど、晩年までその心のうちにどういうトキメキがあったのかはもはや知るすべもない。

 棺と花、副葬品はあるが、葬儀はなかった。
 遠方の親戚も来なかった。そもそも祖母にとっての実子である母の兄弟二人は先に他界していた。
 参列したのは向かいのご近所さん数人のみ。
 式のような段取りもなく、僧侶はもちろんいない。読経もなく、祖母が好んでいた「アヴェ・マリア」を流したり、やや仏教寄りなチベットの民族音楽的なのを流したりという無宗教ぶりだった。
 コロナ禍で簡素化が進んでいるとはいえ、シンプル過ぎて葬儀屋もやや戸惑っているように見えた。

 火葬には年老いた父母は行かず自分一人が行くことになったのだが、その際の車をどうするか相談してくれと言われていた。
 葬儀屋にはタクシー手配どうしますか?言われたが、自分一人が移動するのにわざわざタクシーも勿体ないし、ちょうど実家の近くに親しい友人と言ってよいスタッフ仲間の舞台監督 higeさんが住んでいたので相談した。
 「20分ほど車乗っけてくれへん?」と。
 ちょうどなんとかなるタイミングだったのでお越しいただいのだが、様子見に来たついでに出棺を手伝ってもらうことなってしまった。人手なんて年老いた父母二人以外には葬儀屋さんとドライバーさんと自分しかいなかったし。なんなら、入れるときは玄関から入れられたのに出棺するには縁側の引き戸外さないと無理(想定してなかったぽいから葬儀屋の計算ミスと思われる)でバタバタしていたし。

 「葬儀屋の仕事って、舞台監督に似てるよね」
 などとhigeさんは言う。
 「火葬場などと日時調整して、必要な物揃えて、現調して棺桶出し入れして、祭壇設営して式を滞りなく進行するように段取りして、人手配して、、、」

 higeさんとは、自分が東京は王子小劇場のスタッフだった頃、関西からツアー公演しに来た「悪い芝居」の舞台監督だったので知り合った。飲みに行って意気投合はしたのだけど、まあ普通はなんかないとそれで終わるところ。
 ところが、しばらくしてFacebookに現れたhigeさんのプロフィールを見ると、なんと自分の実家とすぐ近所だった。そして、1978年生まれの関西大学卒。つまり自分が大ファンである矢井田瞳と同期ではないか!
 という2点で盛り上がって、東京に居ても帰郷するタイミングで飲みに行くような近づきになったのだった。
 この関係性が生まれてなければ、自分が関西に戻って来ることもなかったかもしれない。

 この火葬が始まって終わるまでの数時間、自分は火葬場で待った(このタイミングで「精進落とし」を食べる場合もあるらしい)のだが、そういう人は少ないのかちょっと珍しいような反応だった。higeさんには片道しかお願いしてないし、歩いて一度帰宅往復するには遠い。そして火葬場は近くに何もない山の上だったし。
 そして奇遇にも、この待ち時間の後半はちょうど矢井田瞳がインスタライブをやっている時間だった。
 そこで、もちろんライブに参加っていうか視聴した。

 果たして最後の曲は何であろうか?
 演劇ビギナーズユニット「硝子のサーカス」における、美空ひばり「川の流れのように」は?




 「Life's like a love song」

 ああー、ラストとしては定番中の定番曲だから意外性はないが、今ここでそうきたかー
 祖母の「人生」とは何も関係ないはずだが、そういうめぐり合わせになるかー

 今後、この曲とこの時間を忘れることはないだろう。


 そして骨上げ。
 「硝子のサーカス」のとき調べても出て来ないしつくるのに苦心した「リアル」
 自分一人しかいないし、係の方が手順どおりやってくれるだけなので儀式感ゼロ。
 骨壺は2番目に安い小さいやつなんでそんなに入らないし、手続きはすぐに終わった。
 
 余裕で手に持てるので、もちろん山の上の火葬場から歩いて帰る。
 確か、母方の祖父のときもこの火葬場だったはず。
 山を下ると道は川沿いに海近くまで続く。
 そうか、祖母にとっての「川の流れのよう」な川は、住吉川だったのか!
 「硝子のサーカス」のときは、演出家・舞台美術担当の受講生と、この川(演出イメージだけでなく戯曲に川の場面がある)は例えば具体的にどこのなに川か?というイメージのすり合わせをしたものだった。それぞれの生まれ育ちでイメージは変わる。それぞれが個人的な経験で持っているものは表現において武器にもなる。
 この地に70年は暮らした祖母の人生の中でこの川がどういうものだったのかはまったくわからないが、少なくない回数川に沿った道を上り下りしたことではあっただろう。
 
 ちなみに1976年初演(執筆)時における「硝子のサーカス」の主人公はその時点で老婆、物語には戦時中の夫や子供も登場するので1913年生まれの祖母は世代として近かったと思われる。
 「千年女優」の千代子、「風立ちぬ」の菜穂子、より少し年上になる祖母の名は須磨子。松井須磨子にあやかって命名されたらしい。



 世の中には通夜のため「推し」のライブに行けなかったひともいるが、通夜も葬儀もせず火葬中に「推し」のライブに行き(インスタライブだけど)骨壺を胸に歩いて帰るひともいるのだ。




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追記:Geiminiさんが掘り当ててくれた初演情報。せっかくなので以下


「硝子のサーカス」
作・演出:太田省吾
初演:1976/5/11~30
初演劇団:転形劇場(転形劇場工房にて上演)
文学賞:1977年、第21回「新劇」岸田戯曲賞(現在の岸田国士戯曲賞)の候補作品に選出。

収録:「太田省吾劇テクスト集(全)」(早月堂書房 / 2007年)
収録:「太田省吾戯曲集」(白水社 / 1978年)


「演劇は流行ってない」
「蓮見、やめてくれ。」
でバズってる岸田戯曲賞!惜しくも逃していたのか。


集英社オンライン「流行ってないのに偉そうにするのはやめましょうよ」岸田戯曲賞同時受賞の蓮見翔×大石恵美が語った“演劇界への本音”と危機感
https://shueisha.online/articles/-/257410

【岸田國士戯曲賞受賞の裏側全て】ダウ90000蓮見が大先生になって帰ってきた!
https://youtu.be/HSzO5fI1EHU?si=rJkT2Z9hDe2VNTFf


第70回岸田國士戯曲賞授賞式
https://www.youtube.com/live/lKPkZXH3VUQ

蓮見、やめてくれ。
https://x.com/fuku_tokumei/status/2054391572599644626


【配役】
女:佐藤和代
女の兄:大杉孝(※後の、大杉漣
夫:李三郎
子(一郎):増田再起
子(千代子):菊池京子
子(二郎):笹島博文
義母:辻上彰二
嫁:中谷実郁子
医者:品川徹
春子さん:永井利枝
チンドンヤ1~3:生沢伸行、狩野芳利、牛山君枝
駅弁売り:津田好一
お茶売り:小野たよ子
掃除人1・2:田中寿一、真砂恵津子
焼場の男1及び電報配達:瀬川哲也
焼場の男2:荒井範昭

【スタッフ】
装置:手塚俊一
制作:高野達也、仙北屋偵子、高木薫

出典:「太田省吾戯曲集」(白水社、1978年刊行)巻末の「初演データ」および戯曲本文の登場人物表


#アイホールと私 松本の場合

 
 2021年に #アイホールと私 を展開していたとき、書きかけてそのままになっていたのだけど、いよいよ2026年3月末の閉館を前に、公式から「思い出のメッセージ募集」なんてものもあるので、あらためて振り返ってみる。


 しかし、やはり簡単にはまとまらないので、まずはアイホールで観劇したもの。
 仕込み・バラシ(基本、だいたい観劇もしている)増員だったのもの。
 そして、上演は東京で観ていても関わっているもの。
 すべてリストアップしてみる。
 思い出や感想など書けることがあるなしに関わらず、出来るだけすべてリストアップしてみるので、エピソードがあるときもないときもあるけど、あしからず。
 自分が舞台美術プランしたものに関しては、割と画像や図面や解説あり。

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1990/10/25〜28
 伊丹市市制50周年記念公演
・初めてアイホールに行ったのはこのときのはず。まだ学生だった。
 新宿梁山泊は観ていたし、北村想の名前も知ってた(観たことはなかった)から、気になって観に行ったんだと思う。
 このときのこととか色々は以下の記事に詳しく書いている。
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1996/7/5〜7
・チラシ・ポスター写真の撮影と東京公演のゲネで舞台写真撮影、など
 (アイホールには行ってない)
 役者一人一人撮ったのを、宣伝美術さんが合成しているのだけど、まだデジタルの時代じゃないので、明らかに手作業で切り貼りしてるし文字も写植だった。
 チラシの裏面も今改めて見ると、時代が感じられて色々と味わい深い。
 流山児★事務所のチラシ・ポスターはいくつか撮影しているけど、これが最初だった。
 
 
1997/12/26〜28
・舞台写真撮影
 千穐楽の本番前にラストから逆回しに返し稽古しつつ撮って「??」の状態だったのが、先に「大オチ」見てるのに本番観て謎が解ける不思議なことになった。
 バラシも手伝ったので、アイホールの素の空間を初めて知る。
 カメラマンなのにカメラバックから腰道具出してバラシ手伝ってる不思議な人だったから、舞台監督の鈴木田さんに驚かれた。
 確か打ち上げが京橋で、打ち上げ上がりの朝方に江口(恵美)さんがグランシャトーの歌をフルコーラスで唄って踊っていたのは、たぶんこのとき。
 
 
 
・舞台写真撮影
 しかし、なんだかアイホールだったという記憶が希薄。
 その後、流山児★事務所でこの作品を上演したいと頼まれて土田さんとの仲介をした。
 ところどころ改行が崩れたデータでメールが届いたのだが、MONOの作品には「えっ?」「おい」みたいな短い言葉が多く、それだけだったり相手の名前が続いたりするので修正する際にわかりにくく苦労した。
 MONOの作品の中でも特に好きな作品の一つだけど、その後MONOおよび他の団体による再演をいくつも観たり関わったりすることになった。
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1999/10/8〜10
 AI・HALL リージョナルシアター
・舞台写真撮影(東京公演)
 
11/18〜21
 AI・HALL リージョナルシアター
 MONO-初恋
・舞台写真撮影(東京公演)
 

2000/6/2〜4
 AI・HALL提携公演
・舞台写真撮影(東京公演)
 ゲネ終わり、鈴木田さんに
 「若い美術家の将来かかってますんで、ちょっとご協力ください」
と頼まれて舞台美術記録のカットも撮る。
 そして、この作品で柴田隆弘氏、伊藤熹朔賞新人賞受賞。
 


2001/7/6〜8
 AI・HALL提携公演
・舞台写真撮影(東京公演)
 
 
2002/11/29〜12/1
 AI・HALL提携公演
 桃園会「blue film」
・舞台写真撮影(東京公演)。
 東京が先で、撮って観た。自分が関わってる作品だし震災の話だし、ということで神戸の両親をアイホールに招待した。以前、羊団「Jericho」(エリコ)に呼んだら、ちょっとヘビー(難解)すぎたから、これなら桃園会の中では割と軽めでよいかなと思ったのだが。ちょっと演技が芝居くさいという感想の父。なかなか難しい。
 そういう場面もあったけど、あれは意図的なものだからなー。
 江口さんがメガネを外しながら一つの台詞中に過去から現在にフェードチェンジしていく演技(芸)が見事だった。
 舞台美術にある「ピンポイント八百屋」という手法には影響受けて、その後しばしばパクらさせてもらっている。役者曰く「めっちゃ筋肉痛になるけど、立ち姿が美しくなる」らしい。舞台美術が俳優の身体をコントロールするということを、このとき実感した。
 


2003/10/15〜19
 燐光群+グッドフェローズ プロデュース
・東京公演の製作段階で、劇中スライド(フィルム!)の製作(撮影)
(アイホールには行ってない)
 画素数の低い画像データを舞台上で投影出来るようにするために、PCのディスプレイに映してポジフィルムで複写するいう方法をとった(高山広さんの公演でいつもそうしていると聞いていたので)。
 オリジナル(創案)のひとたちが日本にやって来たら「俺たちも同じ方法でやった」と応えたとか。(なら、最初から教えてやれよ。燐光群のひとたち困ってたぞ)
 
 
2004/5/28〜30
・舞台写真撮影(東京公演)
 まだ舞台美術プランをやりはじめたころだったからか、どういうふうに打ち合わせをしてるのかという話を深津さんに聞いたのはこのときだったはず。
 深津さんは基本的に美術家に「お任せ」で、先にオーダー出したり出て来たものにリクエスト重ねるとかはほとんどないとのことだった。ともゆきさんだからこその全幅の信頼か。
 それでドンピシャだったりクオリティーの高いものつくれるっていうのは「誰でも」じゃないだろうから、ある意味あまり参考にはならなかった。
 この作品においては、波板吊るすアイデアと床の布に穴が開いてるのとの2案出てきたのを「両方で」とオーダーしたとか。
 観に来た松本雄吉さんに「こんな汚い舞台美術ないでー!(褒め言葉)」(ラストに向かって、ドアポストからの郵便物がどんどん散らかっていく)と言われたという話をよく覚えている。
 



2009/12/18〜20
・舞台写真撮影(東京公演)
 池田ともゆきさんの舞台美術は桃園会で数々目にして、非常に影響を受けているのだけど、この作品の超シンプルな可動する黒い壁面を見たときの影響は大きく、シンプルで抽象的な傾向に向かっている自分の嗜好(思考)が再認識されて、その後強まっていくことになった。


 





2010/11/5〜7
 AI・HALL提携公演
・東京で緒方晋さんと知り合っていて観に行った。緒方さんは神様(と自称する役)だった。A級MissingLinkには後に王子小劇場で公演してもらうことになる。
 ちょうど、ツイッター黎明期でやや知り合いになっていた小暮宣雄さんがトークゲストの回だった。舞台美術に関わる「テキスト / タイル〜テキスタイル」という言及されていたのを印象深く覚えている。
 
 
・歳は同じだけど学生のときは一つ後輩で、舞台スタッフとしては先輩である舞台美術の西田聖くんに佐藤佐吉賞の賞状を渡した。その舞台美術(壁の花団)も同業として悔し羨ましいものだったけど、この作品の舞台美術もアイホールの空間をダイナミックに使う悔し羨ましいものだった。
 とても印象的な舞台美術で、自分も見たかったから展示代行を任せてもらった「アイホールセノグラフィー2002-2022」では図面を展示させていただいた。
 役者や観客の顔が死人のように見えた場面があって、照明が気になったので、どうなっているのか葛西健一さんに聞いたら、笑顔で「企業秘密です」と言われた。(意図にハマった「客」で嬉しかったんだと思う)

 
2012/10/5〜7
ロロ「LOVE02」の京都公演で帰省がてら関西にいたから、当時スタッフだった王子小劇場にツアーで来る前にアイホールで観た。この作品は先に台本も読みつつ、林さんが前宣伝で色々と雑学の小ネタを広げて来るのを拾いつつ広報支援してた上、後年の再演も含めると多くの回数上演観ることになる。
 ツアーでやって来る作品なら、出来るだけ事前にチェックするし、すべての公演出来る限りの広報・集客支援しようというのは、当時劇場スタッフとしての自分の姿勢だったが、舞台美術プランナーとして作品に関わる際も変わらない。


2014/2/6〜10
・【B】(大熊ねこ・森川万里)キャスト。観劇してバラシ手伝った。
 舞台写真とかググっても出ないので、ざっくりとした記憶になるがアイホールの空間に「野外感」を強く感じた。この印象が後の、優しい劇団の大恋愛Volume伊丹「なるべく終わらないカーテンコール」につながってる気もする。
 確か「俺んちゅ」で打ち上げした。
 自分が東京から関西に移って(戻って)すぐだったので、深津さんにも桃園会の皆さんにも、よい挨拶回りになった。
 
 
2014/2/28〜3/2
・仕込み増員ていうか、押しかけ手伝い(引っ越し挨拶・営業がてら)。実はアイホールの仕込みは、初(バラシしか参戦したことなかった)だった。
 
 
2014/3/8〜9
 伊丹想流私塾 第18期生「三つ目の倚子
・終演後の乾杯みたいな席で、当時アイホールスタッフだった木原さんを紹介していただいた。にもかかわらず、もはや東京の劇場の人でもないし、このときはまだブラブラしている(大道具も舞台美術もしていない!)人だった。
 しかし、後に無名劇団に紹介していただくことになる。顔はつないでおくものだ。
 
 
2014/3/21〜23
 
 
2014/5/9〜12
 本若「駒王路」十周年記念爆走三部作
・仕込みバラシ増員。higeさんがいるので当然のようにバラシの搬出で雨が降った。噂に聞いてはいたが、食らったのはこのときが初。
 本若名物「アスレチックみたいな舞台美術」「八つ墓村(状態)」というワードを知る。
 アイホールで木脚・高台には慣れている平宅亮さんには、努力クラブ誰かが想うよりも私は」で増員に来てもらうことになる。
 
 
2014/5/30〜6/1
 [ break a leg ]
・「おなかごしのリリ」のみ観劇。若旦那さんが人間じゃないものや異星人や死人の役
とか多いのは有名だと思うが、自分にとってはこのときの「登場人物のなかで唯一、実は死んでる人」の役が初だったはず。
 
 
2014/6/7〜8
 [ break a leg ]
・観劇後、座組みのひとびとと「すし楽」に(初めて)行った。
 
2014/7/4〜6
 大阪現代舞台芸術協会プロデュース
 文豪コネクション「坊っちゃん
 
2014/7/11〜14
 sunday友達
 
2014/7/19〜21
・終演後トークに深津篤史さんが出る回を観劇。言葉を交わすことはなかったが、深津さんの姿を見た最後の機会になった。今にして思えば、それがアイホールだったというのは運命的なものを感じる。
 
・バラシ増員
 
2014/9/26〜28
 
2014/10/3〜5
 
2014/10/23〜26
 リスペクト・フォー・マスターズ
 A級MissingLink+竹内銃一郎
 「Moon guitar
 
2015/1/16〜19
 
2015/2/18〜22
 
2015/2/28〜3/1
 伊丹想流私塾 第19期生
 
2015/3/13〜15
・仕込みバラシ増員
 
2015/4/24〜26
 
2015/8/6〜9
 
2015/9/25〜28
 
2015/10/2〜4
 
2015/11/13〜16
 
2016/2/6〜7
 
2016/2/26〜28
 
2016/8/6〜7
 
2016/9/2〜4
 
 
2016/11/11〜13
・実は、この時はじめて観たのだけど、ラストはこの空間で観ること出来て良かった。
 狭い劇場で見る驚きもあると思うが、広さ・高さによる突き抜け感がアイホールの空間ならでは。
 
・観に行ってバラシ手伝った。
 
 
2017/5/26〜28
 [ break a leg ]
・ちょうど、翌週に向けて確認に現調行きたいなー、とスタッフが知り合い(だったら相談、お願いしてお邪魔させてもらう)かどうか調べてたところに、仕込み増員うかがいの連絡が入った。観劇は予定合わなくてかなわず。
 

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2017/6/10〜11
 [ break a leg ]
・舞台美術プラン


 舞台美術プランナーとしては初のアイホール。
 搬入車両はバン(キャラバン)1台だったけど、劇場備品の平台箱馬すべて使い切り!
 予算(作業物量)抑えるためもあり平台箱馬2段階で組んでるところもある。
 あとから見返すと自分で引いた図面なのに、ちゃんと理解するのに10分以上かかる複雑な台組みだった。色んなひとにごめんなさい。

 



 そして装置の番号札(暗号)に数種類の相番(位置番頭と出す順番の番号)と、意味のわからない数字だらけで、これも色んなひとにごめんなさい。
 暗号は「暗号」だから、その意味はあって、解読表があるのだけど、秘密にしないと暗号にならないから劇中で通信(暗号)兵役だった堀内充治さんにしか見せていない。
 ただし、後に「アイホール・セノグラフィー2002-2022」の自分」の展示では、ギリギリ読めないくらいのサイズで紛れ込ませはした。暗号である番号札は劇中終盤、「終戦」の場面で秘匿廃棄される。戦後語られる真実として、よき年数(どのくらい?)経ったら種明かししてもよいのかもしれない。
 

 アイホールの仕込みでネックになることの一つにタッパが高く、照明シュート(フォーカス、灯り合わせ)のためにジニー(高所作業台)を走らせる必要があって、床の昇降をどのタイミングで出来るか?ということがある。
 この時の舞台美術プランは、全体を+400に上げた上でそこ(±0)から−600(劇場0レベルから−200)下げた箇をつくったり、台組みをしたりするものなので、床を昇降しないと舞台美術仕込み作業がまったく進まない。
 そこで、吊り込みの段階で仮シュートするのと、台組みに絡むところを先にジニーシュートしてから少しずつパズルのようにジニーを逃がしていく、というような作戦をとったはず。
 
 アイホールの正方形に対して45°回転させた正方形の台組みに2面客席という変形なので、照明プランナーの檜木さんが一瞬「自分がどこにいるのかわからなくなる」という場面も発生した。トラス(バトン)に正対してない・ひねってるというのは照明としてやりにくかったはず。
 アイホールが正方形をコンセプトにしているのは「正面性を排したかった」と、設計者の歌一洋さんから後にうかがうことになるのだが、このプランするときになんとなくその印象は無意識にあった。
 


 無名劇団さん、初のアイホールを下見したところ「これは誰かに頼まなければ無理だ!」となったらしく、そこで当時のアイホール担当スタッフ・木原さんが自分の名前を挙げてくれたらしい(なぜか)。しかし、木原さんも自分の連絡先知らなかったので、オファーの連絡は団体からツイッターDMで来た。木原さんがなぜ自分を挙げてくれたのか聞いてみようと思いつつ、機会なくそのままである。
 
 当時やっていたのが、東洋企画がっかりアバターだったから、若手の相手するのに向いてるイメージとかあったのだろうか?
 この無名劇団のbreak a legトライだったり、壱劇屋のメイシアタープロデュースや10周年・森ノ宮ピロティというピンポイントだったり、プロトテアトルがウイングから芸創に規模を広げて、KAVC〜break a legへの進んで行く過程だったり、団体が力入れる状況で呼ばれがちではある。
 ずっとつき合うのは疲れるけど、たまに遊ぶと面白いオジサンなのかもしれない。
 なので、ちょっと勝負どころとか何かに初チャレンジな公演の団体さんとか、お気軽にどうぞ。


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2017/12/15〜17
 
2018/1/26〜29
・仕込みバラシ増員
 
2018/6/9〜10
 [ break a leg ]
 
2018/11/9〜11
 
2018/12/7〜9
 
2018/12/14〜16
 
・仕込み増員。バラシてはいないが観劇もした。
 
 
2020/1/17〜19
・演出というべきか舞台美術というべきか、その両方「そうきたか!」と初演関係者(チラシ写真・舞台写真)として楽しかった。映画であの歳であの役出来てる原田知世バケモノだなと思ったけど、紙本明子さんもかなりバケモノだと思った。

 
2020/1/25〜27
 
 
2020/7/10〜13
 
 
 
・仕込み増員
 加えて若者数人手配。それぞれ舞台監督や大道具続けているから、良い機会にしてもらえたんじゃないかという気がする。
 
 
2021/5/21〜23【中止】
・仕込み増員
 増員というか、higeさんと直接話して相談したいことあったから押しかけたんだった。まだまだコロナで暇だったし。
 買ったばかりのコンパクトなレーザー墨出し器を見せびらかしたくて持って行ったら、吊り点出すのにとても役に立った。
 同様、買ったばかりのボッシュ10.8V丸ノコも見せびらかしたくて持って来てたら、切穴のクリアランスを現場で調整カットする事案が発生して役に立った。照明シュート作業盗みつつだったけど、、、
 どちらも「文化庁のん」で買いました。ちゃんと使ってるし活動継続してるから正しいはず。


2021年7月〜8月
 アイホール存続問題が浮上する。
 ZOOMで「作戦会議」を企画したことをきっかけに、情報まとめ記事「アイホールの件」を編集したり「アイホール非公式アーカイブ」をつくり始めることになる。
 このことが後に「アイホール・セノグラフィー2002-2022」や、優しい劇団の大恋愛Volume伊丹「なるべく終わらないカーテンコール」につながることになる。


2021/9/16〜18
・仕込みバラシ増員
 観劇したので、西東三鬼神戸、続神戸」買って読んでみた。
 
2021/12/3〜5
 下鴨車窓プロデュース「舟歌は遠く離れて
・旧知の燐光群制作・古元さんに頼まれて、照明増員手配した。手配(紹介)しただけで仕込みには行ってないが、観劇はした。まだこの頃は、久しぶりだしせっかくだから飲みに、とはいかなかったはず。
 
 
2022/2/26〜27
break a leg、2連戦。努力クラブプロトテアトルで、どう戦うか作戦を立てるため、予習するため、努力クラブの照明をしている渡辺佳奈さんの現場だったので見学に入らさせてもらった。
 いかにトラスを早く飛ばせる状況に出来るか?照明さんの作業を見て(普段は並行して自分らも作業してるから、じっくり観察はしていない)工夫出来るところのヒントを得るために。
 せっかくなので、装置の建て込みも少し手伝った。
 そして、このとき(見学だから余裕あってブラブラしていた)アイホールの3Fが元々はギャラリーとして設計されていることに気がついたので「試作と努力、舞台美術」の企画を思いつくに至る。
 
 
・仕込み増員
 2021年に中止になった公演のリベンジで同じ舞台美術・装置でもあったから、様子わかってるということで今度は普通に発注されての増員。
 都さんが「こんなふうに一緒に仕込むの意外とめずらしいー」て楽しそうだったので、記念に撮っといてみた。



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2022/6/4〜5・6/11〜12
 
 
 最後となる「break a leg」に自分が舞台美術プランしていた2団体が選出。
 両団体ともKAVC FLAG COMPANY(2019-2020)(2020-2021)を経ている。

 実は、この選考をアイホールでやっていたまさにその日、自分は近くにいた。
 そうとも知らずクロスロードカフェで開催されていた「アイホールチラシ・ポスター展」に、チラシを撮りに来ていたのだ。 「アイホール非公式アーカイブ」(これをきっかけに始動)をつくるデータ収集のためである。
 なんなら選考会議終わりの三田村啓示さんも店に立ち寄っている。 スケジュール帳カレンダーの記録によると、どうやら2021年の8月18日だったらしい。
 選考結果を知るのは公式に発表されてからだが、奇縁。
 たくさんの過去チラシ・公演の話題ですごく盛り上がっていた。アイホール存続問題が話題になっていた時期なので取材記者さんも来ていた。興味深い昔の話が展開される2つのテーブルに挟まれて三田村さんが身悶えていた。
 
 この2団体が選ばれたことは9月には発表されていたので心構えしてはいたのだが、なぜか努力クラブからの連絡は公演まで4ヶ月切った頃だった。
 レギュラーでやってる団体とはいえ、今回「も」お願いされるのか、今回「は」無しなのか、声かかってなんぼ。特に舞台美術は予算の都合やなんやかやで、立てる公演もあれば、立てなかったりもしがちカットされがちだし。
 こちらから聞きにくかったりもする。特に努力クラブはなんもなくても「やりそう・やれそう」だし、やってるし。
 
 皆さん(世の中のたくさんの劇団・公演主催者)連絡はお早めに!
 (あと、レギュラーの外注スタッフいる場合は、それぞれの都合聞いてから公演日程検討しましょう!)
 色々「決まってない」とか「台本が出来てない(構想も定まらない)」とか気にすることありません。自分の場合だと、最低限どこの劇場ということさえあればゼロではなく、わずかでも舞台美術プランはスタート出来たりします。早めにわかっていれば(安くで)用意出来る物や可能になることが発生したりもします。隙間時間に考えたり調べたりが積み重ねられるから、同じプラン料でもお買い得です。
 
 というわけで、2団体共同作戦の立ち上げは遅いスタートでなかなかにバタバタとしたのだが「試作と努力、舞台美術」という展示企画+ファイナルということで、過去「break a leg」チラシ・舞台写真とサインパネルの設置、「break a leg ステッカー」製作、幟(のぼり)やターポリン看板の設置、などを決行することになる。



 (まず、ここで山口さんを巻き込んでしまった!)

 舞台美術が両方自分なので、2団体分まとめて搬入しまとめて搬出するという「お互い様」協力で車両費を抑える、というのが発想の原点で、2団体の間に空いてる1日のうち1日と半日を自分が毎年やってる舞台美術WSをするために(個人的に)借りて、残り半日を後半のプロトテアトルが前乗り稽古利用で借りる、ということで「2週間居っ放し」を企んだ。
 
 「2週間、装置が置いておけるんなら、2週間展示出来るんじゃないか?」
 
 と、思いついたこと「どう思います?」と、higeさんに相談してみたら
 「全部やったらええんちゃいます?」て言われた。
 
 2団体の作・演出2人がそろってアイホールに来るし、ホールも空いてるっていうので、チラシ写真撮影の日に自分も立ち会って、その後いっしょに劇場下見した。
 この時点で、努力クラブのほうは「すり鉢階段状の台組み」と「トラスタッパ下げ目」でいく方向性、プロトテアトルのほうは「基礎床を下げる」のと初演を踏まえたラストシーンの方向性、はなんとなく見えていたんだったと思う。しかし、ついでなんでトラスも床も色々に上げ下げ試して見てみることはした。
 却下になったけど、ことのとき試したトラスタッパが段違いになってるヤツは個人的にはなかなか楽しそうだった。
 
 素の空間を演出家といっしょに下見して、あれこれ話すという時間は舞台美術プランする上でとても大事で貴重。いつも必ずしも出来るとは限らないし、ゆっくり時間かけれれるとも限らないが。それだけに、スケジュール調整には最大限努力したい。
 
 下見の後3人で、純白そば月山で飯食って帰りの電車もいっしょだから、色々と話した。何を話したかは覚えてないけど、それぞれの今回の作品とか打ち合わせ的なことはわずかで、なにか演劇の話だったはずだとは思う。
 飯食いながら、この機会にKAVCでやったようなことを今回もやりたいなあと思ったのだけど、すでに色々とやり過ぎてしまってたから最終的に無理だった。
 3年後、劇団 ユニットWOW!! のときも出来ず、優しい劇団のときにやっと出来た。

 >「アイホール周辺の「非公式」オススメ・2026/1/4 選ばれし勇者たちに捧ぐ Ver」(劇場近辺オススメ飲食店などリスト・マップ)

 こういうの、すべての劇場でやればよいのに、とずっと思っているし機会と余裕があればまたやりたい。
 劇場のひとは、劇場近くのよい店・おいしい店を知っているはず。
 扇町ミュージアムスクエアの吉田さんや、三鷹芸術文化センターの森元さんが、リストやマップを楽屋に貼ってくれてたのは有名だと思う。確かシアターBRAVA!でも見かけた気がする。
 そして、別にオープンにして悪い情報じゃないんだから共有すればいい。
 公立ホールだとなかなかそうもいかないと聞く。
 なるほど、ならば「非公式」でつくればよいのだ。
 
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2022/6/4〜12
  >1F・ホワイエ入口 山口良太インスタレーション作品「2002/2022

・企画・プロデュース
 3つとも、とてもやりたかったこと。


  


 3Fが本来ギャラリーとして設計されていたということに気がついたとき、さてでは何を展示するのかといえば、アイホールでの過去の舞台美術をふり返っておく、というのは今しか出来ないだろうと考えた。
 アイホールが閉館するなら、その最後に舞台写真だったりチラシだったりの展示でふり返る展示が行われる可能性はある。しかし「舞台美術」」に特化したものはきっと行われないだろう。
 そもそも「舞台美術展」がそんなに行われていないが、必要だとも思った。
 過去といっても初期の公演のスタッフクレジットまでは「アイホール非公式アーカイブ」でも拾えていないので、ちょうど山口良太さんの作品「2002/2022」にも合わせて、切りよく2002年〜の20年という括りにしてリサーチ。最終的に出展いただけた方+数名の方に連絡をとった。

 
 出来るだけ多くの方に出展して欲しかったので、当日現地で展示作業出来ない方もこちらでやります、なんなら過去図面の掘り起こし(アイホールに残る打ち合わせ資料から)〜展示まですべてお任せの展示するOKだけでもください、という相談もした。
 この展示準備〜展示作業に加え、なんせホール内の舞台美術タタキ〜仕込みが同時並行でもあるので、自分自身の展示はあまり時間をかけて手を凝らしたものに出来なかった。
 まあ、皆さん一定限られたスペース(壁面900✕1800程度分)で等分しているなか、自分は1Fホワイエで存分に装置現物とかも展示してるから、その時点でズルいことにはなってるのだが。
 
 アイホールの空間を色々な舞台美術家がどのように使ってきたか?という展示を、これまで知る限りギャラリーとして使われて来なかった3Fで行うのなら、ぜひアイホールを設計した歌一洋歌一洋建築研究所)さんに見ていただきたくてお声がけして来訪がかなった。


 アイホールを設計した際に考えたことなど以前から聞いてみたかったというのもある。
 言葉少なにいくらか話していただいたが、竣工当時に雑誌に載せたものに詳しく書いてあるとのことで貴重な切り抜きをいただいた。

「アイホールが、仕掛人=プロデューサーの力を借りなくても、多くの人びとに私たちの想像以上の使われ方、演出のされ方で日常的に稼働されることを念願している。」

-「新建築」1989年2月号、アイホール設計者・歌一洋 [wiki] 氏のテキストより-

 記念写真に写ってる「アイホール・セノグラフィー2002-2022」の「看板」ぽいもののベース(面材)は自分が塗装作業するときに養生ベニヤとして使い続けているもので、アクションペインティングの抽象画みたいになっている。その後、実際に舞台美術・装置として使いたいという団体が現れて貸し出したこともある。
 看板製作〜一日目の展示作業色々はサカイヒロトさんにお願いした。
 
 1Fホワイエで上演中2団体の舞台美術展をするというのは、舞台美術に興味を持ってもらい3Fの展示へのフックにするというのと、上演中作品の模型を展示するというのは見かけるけど「模型じゃなんだかなあ」という思いが自分にあったので、両団体の装置で残してあるもので空間をつくった。
 
 公演のない日の昼間、通りがかり親子連れの子供が箱馬を積み上げては「ばあーん!」て崩して「これ、積み木やでー」と言って遊んでいた。正しい。
 そもそも「ノクターン」の作品・舞台美術コンセプトは、まさに「それ」だった!
 



 もちろん上演中作品の図面は展示して、努力クラブ誰かが想うよりも私は」の方は模型つくっていたので、それも並べた。「ノクターン」の模型や装置の積み木と共に、これもやはり子供が遊んでいた。
 どちらもよくある感じの舞台美術模型ではなく、木でつくった荒々しくて丈夫なものなので触って遊んでもらってよい。
 努力クラブのほうは、今回慣れない段差の立体的な空間なんで動きのシミュレーション(と一部装置の検討)に使ってもらおうと人形も併せて大きめにつくった模型だったのだが、ちょっと遊んだだけで、実際にはそんなに使われなかった。
 プロトテアトルのほうは、カラーリングした箱馬の構成配置や移動の検討に使ってもらおうと思ってつくったのだけど、やはりそんなに使われず、将棋崩しみたいなことして遊んで終わった。
 子供もオトナもやることはあまり変わりがないのであった。
 


 

 山口良太さんの作品「2002」は、「2002 / 2020」の後、自分の手元で保管している装置(インスタレーション作品)なのだが、2週間程度展示可能な場所とタイミングと「ついでの(搬入出車両が出る)チャンス」を待っていた。まさに、この時である。
 「架空の舞台美術」というコンセプトのこの作品は今回の企画にもハマるし、ポップで目立つ黄色がよい入口になる。中学高校時代の山口さんにとって演劇の入口に惑星ピスタチオがあって、その一連でアイホールにも訪れていたというストーリーも熱い。(「2002」の前日譚!)

 アイホールの件が出てから、市民からの認知度のことを考えるとき、入口が開放感という点で弱いと思っていた。KAVCで「2002 / 2020」やってみて、あの1Fの開放的な状況を知ると尚更。
 ならば、これをやってみたらよいのでは?と思った。
 「2002」はただそこに建てるだけでなく、山口さんが在廊したりもしつつ、毎回なんらかのイベントを企画している、そういうの込みの作品になっている。今回は、毎日ツイッター「スペース」を「2002」の中で公開放送のようにやりつつ、外にも少し音を流すというのをやってみた。
 音響に関してはBGYさんにご協力いただいた。加えて「INDIPENDENT(最強の一人芝居フェスティバル)」のインターバルDJもやっているので展示オープン中流す会場BGM「2002〜2020」MIXつくってくれた。
 せっかくなのでカセットテープに入れて「ノクターン」の舞台装置「掘り出されたラジカセ」(舞台美術でエイジングかけた)で流した。
 

 さて、実際に平日も展示をオープンし、入口に「2002/2022」を配してみた結果、それなりに演劇に縁がなさそうな市民の方にも来訪いただけた手応えはあった。
 あと、この時の手応えとして感じたのは「幟(のぼり)」の効果である。
 これは色々な相談をストレンジシードで経験豊富な山口良太さんにしていて「ベタだけど効果的」とのことだったからやってみた。
 実際の効果は道行く人を見ての「肌感」でしかわからないけど、それだけでなくやっていて「楽しい」というのも大きかった。だから、 優しい劇団の大恋愛Volume伊丹
 「なるべく終わらないカーテンコール」では、どうしてもまたやりたくて、たくさんつくった。




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2022/6/4〜5
 [ break a leg ]
 努力クラブ誰かが想うよりも私は
・舞台美術プラン
 アイホールの床昇降を利用した山の上に(地形を利用した)城を建てるような建て込み。
 すり鉢状・階段状の台組み。基本コンセプトは演出オーダー。
 相変わらず?劇場備品平台箱馬ほぼ使い切り。
 平台・箱馬はむき出しに、木脚は赤く塗装。背景に少しアールのホリゾントパネル。
 
 
 作品の中で起きるドラマは具体的な指定が少ない複数の場所がどんどん入れ替わり進む。
 どういう舞台美術・空間にするか?というヒントは物語の中には少なく、作・演出の無意識的なイメージにあった「植田正治の一枚の写真」から植田正治の数々の作品に広げて着想し、軽くアールがかかった背景パネルを加えた。このあたりのことは、三田村啓示氏による稽古場レポート https://www.aihall.com/2022b-a-l-keikobareport_doryoku/ でも少し触れられている。



 「試作と努力、舞台美術」の展示仕込みと並行ということで、3Fの「アイホール・セノグラフィー2002-2022」はサカイヒロトさんにお任せしつつも、様子を見に行ったりしながらの仕込み。
 照明・音響にホール内渡したら、ホワイエで「試作と努力、舞台美術」建てたり。
 山口良太さんも色々なサインづくりやbreak a legを振り返るボード展示に走り回ってくれたり、なかなかの文化祭状態だった。

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2022/6/6
・企画・進行
 いつもなら、各グループ別れてのプラン〜実作業の際も全体進行にまわっているのだけど、この時は久しぶりにグループを担当したくて後半の全体進行をhigeさんにお願いした。
 アイホールはこのワークショップ続けてる中では過去一広かったので、いつもより参加者多く募集して、グループワークも一つ増やした4チームにした。
 いつもは全体の進行をするのだが、今回はチームも一つ多いしすでに勝手がわかっているhigeさんさんに後半の進行をお願いして、1チームの創作・製作を担当できたのは久しぶりで楽しかった。
 ナビゲーターにはアイホールでの舞台美術プラン経験ある人たちばかりに加え、劇場の技術管理メンバーである谷本誠さんにも入ってもらった。
 アイホールだったら、ショーイングで搬入口開けるグループ発生するかな?と思ったら、やはり一つありました。管理の人に参加してもらっててよかった!

 参加者、いつも以上に小劇場で活躍してる役者さんとか(アイホールの舞台立ったことある人も)多かったのは、きっとアイホールゆえ。
 このワークショップ続けてて、舞台(美術や大道具、舞台監督)スタッフになったという人はわずかだけど、演出家や俳優・ダンサー・色々な人が経験してみる機会というのは意味があると思っている。

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2022/6/11〜12
 [ break a leg ]
・舞台美術プラン
 努力クラブと対照的に、舞台上に台組みは一切なし。
 昇降床を下げるのと周りを上げるので四角く下がった空間をつくる。
 上空に4500✕4500(につないだ)パネル(厚み見込みあり)を3次元的に傾斜させて吊る。この吊り点とワイヤーの長さの調整がキモなのだけど、図面上計算と最小限の調整でいけた。本当は、そのためにトラス下げての詳細な現調したかったのだけど、もろもろやり過ぎていたのでその余裕なし。


 パネルは一発物で製作〜搬入とかもちろん無理なだけでなく、2公演まとめて満載テトリスな積み込みのせいもあって、劇場入りしてからつないで目地を埋めるところ数カ所。吊る前に可能な範囲は、前日の半日「WSの片付け」で借りてるのと、もう半日稽古で借りてる傍らで作業。この手を使わないと無理な舞台美術だった。そのつもりでプランしたけど。
 
 この作品で照明の幸野英哲氏が日本照明家協会新人賞を受賞。
 こんなに照明にとって邪魔になる巨大な物体が上空にある舞台美術だというのに!
 
 
 上空の最大の舞台装置は、黒いので劇中場面での舞台写真にはほぼ「写っていない」
 われながら自分の舞台美術プランは、自分で撮っても満足に記録するの難しいことが多い。河西沙織さんからも「撮りやすかったことは、、、ないですね」と、お墨付きだ。
 

 ほら、プラン段階で下書き図面切ったり折ったりした「ちょー雑な模型」のほうがわかりやすい。(この段階では傾きが逆だけど) 自分はこういうインスタントな模型っぽいもので試てプランすることが多い。早いし安いし簡単にやり直せるし稽古見ながら出来る。あんまり精巧なのを一生懸命つくってしまうと、「違う」ということになってもスクラップアンドビルドしにくい。

 舞台面を下げるという美術・演出だったのだが「見える」ためにも、また演出イメージ的にも見下ろしが必須。割と傾斜・段差つけた客席設計をしたのだが、break a legが共催企画だからということで段の奥行きを1200に広げる指定があり、なかなか複雑でヘビーな客席組みになった。幸い木脚類は努力クラブで使った物を一部カットしたりで流用可能という、今回ならではの作戦。
 
 出演者が多いプロトテアトルのほうが後だったし、「試作と努力、舞台美術」も併せてになったバラシは祭の最後感。2トンロングトラック、ギリギリの満載(時間も)で完了。
 まだコロナのこともあって打ち上げはしなかったけど、一部の人々だけで少しだけ「すし楽」に寄った。
 
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2023/3/3〜5
・篠山マラソンの現場から帰り途、電車内で間に合うと気づいて駅降りて、当日券。伊丹って福知山線だったんだ!と強く実感した。
 

2023/6/24〜25
 パールデンブルームエンターテイメント「煙が目にしみる
・仕込みバラシ増員。上演は観ていない。
 
 
2025/4/21
・終わり近くに参加してバラシも手伝った。優しい劇団に向けての下見にもなったし、考えていたことの答え合わせになったりヒントになったりしたと思う。
 「なるべく終わらないカーテンコール」で意図した、野外らしさやアイホールの空間特性とこの催しは根底で同じところがあると思ってる。
 
 
2025/10/3〜5
 Y,s演劇研究所 ミュージカル「病的船団
・仕込み増員
 手持ちの差金を定規に工夫して、割とな数のケコミ幅修正「細割き」するという割と面倒なミッションが発生。


 その後「折り畳める丸鋸定規」を見つけて携行するようになった。
 残念ながら?幸いにして?まだ使う機会は発生していない。

 自分プラン現場直前だったので少しだけ「ついでの」現調も出来た。
 しかし、作業しに早く帰ろうと思っていたものの「良いタイミング?」で劇場スタッフさんと「ついでの」打ち合わせになって時間とられた。まあ、当日限られた時間の中で「?」となるよりは、前もって詰められることは詰めておいたほうがよい。


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・舞台美術プラン
 団体としては10周年公演で念願のアイホール。それに対して高橋恵さんが団体にあてがきするように「晴れ舞台」の楽屋で展開するドラマを書いた。
 普通に喜劇として上演するならリアリズムな空間をつくるのかもしれないが、それでは面白くないし予算も厳しい。リアルだと部屋の広さに対してアイホールの空間も広すぎる。そこで見え方や動きに対して「機能する」ことと、ビシっと仕上がった床だけで芝居を成立させることを考えた。


 自分の舞台美術プランではアイホールに限らず「初めて」ホリ幕を使った。
 つまり、アイホールでの舞台美術プランは4回目だが、初めてホリ幕を外さなかった!
 基本は大黒幕状態から、終盤一部場面でのみホリを使った!
 ホリ(ホリゾント)幕嫌いなのです。
 その理由を語るには、また別記事が一つ必要になる。演劇の歴史を踏まえつつ、まずは100年前の話からしないといけないから。


 しかし、この作品においては「ホリ幕であるべき」場面・必要があったのだ。
 いわゆる「会館・ホール」で行われているような舞踊の発表会で踊る場面。序盤の打ち合わせ段階で、演出家・照明家とも一緒に「あえてベタ」にすることの意味や効果についても詰められたのはよかった。それ(ベタなホリ)をここぞというところで使う。
 アイホールの大黒(割幕・電動)が半分開閉出来るというのはこのとき初めて知った。


 

 そして、自分プランでは初めて割と普通に組んだ(正面づかい、すべて客席プラットフォームで+200段差ピッチ)客席。あんまりひねらない客席。それでもアイホールの方々が慣れている「普通の」組み方ではなかったので「面倒くさいことしますね」と言われたけど、これまでもっと「面倒くさいこと」しかして来てないのだった。
 自分にしてはシンプルというか、手を抜いたわけではないのだが予算的にも時間的にも凝った(こだわった)客席にする余裕はなかったのでかなり楽をした。
 アイホールの設計コンセプトとしては変幻で自由な空間をつくれる、というのはあったはずなのだけど、定式とかあると人間は頼ってしまうものですね。
 

 自分の考え方としては自由に客席を組んだり仮設したりするときの客席設計は、舞台美術プランナーが演出や制作(公演主催)それぞれの要求に応えて設計・提案し、舞台監督ふくめた3者の承認をもって決定するものだと考えている。
 当然「見切れ」の計算やそれに応じた客席の配置で要求客席数設置出来るようにプランするのも舞台美術プランナーがすべきことだと思ってる。客席構造が決まっている条件下で「見切れ」に対する解決を出した舞台設計をするのも同様。
 この作品は戯曲が指定する条件と、演出家が求める立ち位置・動き・見え方をクリアしようとすると、色々とシビアな「見切れ」計算の嵐になった。
 いつもするけど、いつも以上に。

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12/3〜4
 コトリ会議 きいの会「桃と夜の車
 


2026/1/4
 優しい劇団の大恋愛Volume伊丹
 「なるべく終わらないカーテンコール
・プロデュース・セノグラフィー
 

 つい先日のことだけど書きつくせないし、まずは以下の関連記事など参照のこと。
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 1日・1ステージのみ、約240名動員。確認していないけどアイホールの演劇公演1ステージ集客数としては過去最大だったりしないだろうか?


 優しい劇団は関西に呼びたかったし、このタイミングでアイホールに呼べたのはよかった。これがどういう意味を持つのか?ここから何が始まったのか?はもうちょっと時間が経ってから振り返ることになるのだろう。
 色々な意味でアイホールという「空間 / 場所」に対する自分なりの一つの答を示せたとは思う。


舞台写真: 道岡真憂子優しい劇団


・仕込み増員
 

2026/2/26〜3/1
 アイホール まちかど広場
・仕込みバラシ増員
 そして初日と最終日、丸2日かけて「アイホール非公式アーカイブ」のためのデータ採集(チラシ・ポスターをすべて撮る!)した。撮るのとチェックにいっぱいいっぱいで、色んな人来てたのにほとんど話せなかったし気付かなかった。
 ゆっくり楽しめてないように見えるかもしれないが、これはこれで細部まで楽しみ尽くせてるとも思う。
 試行錯誤入りながら、劇場の色々な人もワイワイしながらする仕込みは文化祭みたいで楽しかった。
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・アイホール・アーカイブス(いたみ文化・スポーツ財団 公式)
 
・アイホール 非公式 アーカイブ
https://aihallarchive.blogspot.com/
 
・アイホールの件(存続問題についての情報まとめ記事)
https://thinkinghand.blogspot.com/p/blog-page_25.html

・演劇ホール跡利活用事業 公募型プロポーザルの実施について(伊丹市サイト)