舞台美術プランとか劇場スタッフとか、

かつては写真とかもしてきた、松本謙一郎のサイト。


今(2010年〜)はもっぱらツイッター( @thinkhand / ログ )で、ブログとしては更新してませんが。
最近は主にもろもろの告知とアーカイブ、ポータル的編集記事など。

2008年あたりは、割と色々書いてます。






























空間に向き合う

王子小劇場ライオンパーマ楽日(公演最終日)のバラし(撤去作業)立ち会いがあるが、昼間その前に美術プランをやるマグネシウムリボンの公演会場スタジオ・タカタカブーンの下見採寸に行く。
一度稽古見がてら行ってはいるが、じっくりとした下見採寸はしていなかった。
前に行ったときは夜だったので、昼間の駅から街の空気、まわりの音や状況を知ることも大事。
特に一階に店舗があり、夜はそこが閉まっていたので、営業中の状況も知りたかったからよいタイミングだった。
公式な劇場図面は、サイトにあった建築図面の画像のみなので、前もってまずはそれをダウンロードしていた。
CAD(図面製図)ソフト「ベクター」に1レイヤーつくってとり込み、図面上の数字に合わせた基準線を引き、その寸法に図面画像を合わせて変形させたものをノートPCに用意して行った。

採寸はポイントになる位置を決めて、壁や客席のひな段、幕の位置、バトンの位置など、すべて実測。
ポイントは、空間全体で実測の起点にしやすいところ、直線や直角が信用出来そうなところを考えて決める。ある程度直線や直角が信用出来そうなところは正しいと仮定する。
スケッチブックにざっとした図を描いて、部分部分の数字を書き込んでいく。
あらかた実測出来たところで、まだ下見の時間もあるので、現地でベクターに入力し、作図する。
作図しながら必要だけどわからない部分を見つけてすぐに実測する。

実測や作図をしながら、この空間でどう美術プランをたてるか考える。
現場でしか得られない情報を感じるようにする。
先日の打ち合わせで方針が決まっていたので、それまでよりこの過程の重要度は下がったが、やはり図面や記録画像では感じられないことはある。
出来るだけ覚えて帰ることを心がける。
逆に落ち着いて図面と向かい合わないと、客観的に見えて来ないこともあるので、作図はある程度にして引き上げることにする。
まだ残すところはあるが、ベクターの画面上で緻密な数字の入った図面データになることで、空間全体が少しシャキっとした印象になるのは不思議なものだ。

解決策 / 突破口

朝から王子小劇場に詰めて、照明機材のトラブル対応をする。
夜はマグネシウムリボンの稽古場に行き、稽古見、打ち合わせ。
難航していた舞台美術プランの突破口が見えた。
現在、王子小劇場の照明ユニット(調光器)・丸茂ゼムツァーにはNGのチャンネルが発生しているため、ライトピューターDX1220を増設してその分を補っている。
この増設ユニットに接続した灯体だけ、フェーダーを落としても消えきらない、という問題が発生した。
昨日は問題なかったという。
劇場備品機材に起きている問題なので、何らかの解決策を出すのも劇場スタッフの仕事。

色々試しているうちに、以前別のトラブルでやったのと同じ方法(増設ユニットのブレーカーを落としてから主幹のブレーカーを落とす、主幹ブレーカーを入れてから増設ブレーカーをあげる)を繰り返すうちに問題解消。

その後、状態が再現しないためはっきりとした原因は究明できないが、一応解決。
こういう機械のトラブルは、状態が再現しないと突き止められない。
しかし、正しい手順で、終了・起動を繰り返してみるというのは、パソコンなどのリセットと同じで、機械的トラブル解決の基本かもしれない。

劇場での機材トラブルも解決し、夜マグネシウムリボンの稽古見に西荻窪の区民集会所へ向かう。
正直、前回の劇場下見・稽古見からの課題は解決しておらず、まだ提案できるほどのアイデアがない。
しかし、稽古を見れば何か浮かぶかもしれない。
実際に役者が動いていること、演出家が指示していることの情報量は多く、一人で考えるより突破口になる。

稽古後、作演出の塚本さんに時間のケツがあるということで、軽く1時間だけ打合せ。

実は稽古を見ていても、無駄な装置が必要なく感じられたので思いつくことは何もなかったのだが、時間にケツもあるし、何も提示しないわけいにもいかないから、無理矢理絞り出すように思いつくことを提示する。
役者ならエチュード(即興)に近い、アイデア出し。
ラフスケッチによる「画」だけでなく、思いつくプランやアイデアに、何がしか名前をつけ「言葉」にして並べてみる。

そうこうするうち「落語」というキーワードが塚本さんから出て、舞台美術プランの方向性が見える。
何をつくることも、飾ることも無駄に思えたのはまさに「落語のような』スタンスで書かれ、演出を指向しているからだった。
落語における空間装置としては、これはもう「屏風」(あと、扇子、羽織、手ぬぐい、座布団、演台)だろうということで、舞台美術プランのとっかかりが見えた。
自分にとって「落語」が舞台芸術に対する原体験に近く、遠い存在でないことが、強みになる。
落語における「屏風」に近い形状、果たしている機能に近い機能性を考える。

舞台美術プランに行き詰まったときの突破口は、作家演出家本人も意識せず、重要に思わず、また言語化していなかったようなキーワードにあることが、割にある。