伊丹市市制50周年記念公演
・初めてアイホールに行ったのはこのときのはず。まだ学生だった。
新宿梁山泊は観ていたし、
北村想の名前も知ってた(観たことはなかった)から、気になって観に行ったんだと思う。
このときのこととか色々は以下の記事に詳しく書いている。
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1996/7/5〜7
・チラシ・ポスター写真の撮影と東京公演のゲネで舞台写真撮影、など
(アイホールには行ってない)
役者一人一人撮ったのを、宣伝美術さんが合成しているのだけど、まだデジタルの時代じゃないので、明らかに手作業で切り貼りしてるし文字も写植だった。
チラシの裏面も今改めて見ると、時代が感じられて色々と味わい深い。
流山児★事務所のチラシ・ポスターはいくつか撮影しているけど、これが最初だった。
1997/12/26〜28
・舞台写真撮影
千穐楽の本番前にラストから逆回しに返し稽古しつつ撮って「??」の状態だったのが、先に「大オチ」見てるのに本番観て謎が解ける不思議なことになった。
バラシも手伝ったので、アイホールの素の空間を初めて知る。
カメラマンなのにカメラバックから腰道具出してバラシ手伝ってる不思議な人だったから、舞台監督の鈴木田さんに驚かれた。
確か打ち上げが京橋で、打ち上げ上がりの朝方に江口(恵美)さんがグランシャトーの歌をフルコーラスで唄って踊っていたのは、たぶんこのとき。
・舞台写真撮影
しかし、なんだかアイホールだったという記憶が希薄。
その後、
流山児★事務所でこの作品を上演したいと頼まれて土田さんとの仲介をした。
ところどころ改行が崩れたデータでメールが届いたのだが、MONOの作品には「えっ?」「おい」みたいな短い言葉が多く、それだけだったり相手の名前が続いたりするので修正する際にわかりにくく苦労した。
MONOの作品の中でも特に好きな作品の一つだけど、その後MONOおよび他の団体による再演をいくつも観たり関わったりすることになった。
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1999/10/8〜10
AI・HALL リージョナルシアター
・舞台写真撮影(東京公演)
11/18〜21
AI・HALL リージョナルシアター
・舞台写真撮影(東京公演)
・舞台写真撮影(東京公演)
ゲネ終わり、鈴木田さんに
「若い美術家の将来かかってますんで、ちょっとご協力ください」
と頼まれて舞台美術記録のカットも撮る。
・舞台写真撮影(東京公演)
2002/11/29〜12/1
AI・HALL提携公演
・舞台写真撮影(東京公演)。
東京が先で、撮って観た。自分が関わってる作品だし震災の話だし、ということで神戸の両親をアイホールに招待した。以前、
羊団「Jericho」(エリコ)に呼んだら、ちょっとヘビー(難解)すぎたから、これなら
桃園会の中では割と軽めでよいかなと思ったのだが。ちょっと演技が芝居くさいという感想の父。なかなか難しい。
そういう場面もあったけど、あれは意図的なものだからなー。
江口さんがメガネを外しながら一つの台詞中に過去から現在にフェードチェンジしていく演技(芸)が見事だった。
舞台美術にある「ピンポイント八百屋」という手法には影響受けて、その後しばしばパクらさせてもらっている。役者曰く「めっちゃ筋肉痛になるけど、立ち姿が美しくなる」らしい。舞台美術が俳優の身体をコントロールするということを、このとき実感した。
・東京公演の製作段階で、劇中スライド(フィルム!)の製作(撮影)
(アイホールには行ってない)
画素数の低い画像データを舞台上で投影出来るようにするために、PCのディスプレイに映してポジフィルムで複写するいう方法をとった(
高山広さんの公演でいつもそうしていると聞いていたので)。
オリジナル(創案)のひとたちが日本にやって来たら「俺たちも同じ方法でやった」と応えたとか。(なら、最初から教えてやれよ。燐光群のひとたち困ってたぞ)
・舞台写真撮影(東京公演)
まだ舞台美術プランをやりはじめたころだったからか、どういうふうに打ち合わせをしてるのかという話を
深津さんに聞いたのはこのときだったはず。
深津さんは基本的に美術家に「お任せ」で、先にオーダー出したり出て来たものにリクエスト重ねるとかはほとんどないとのことだった。ともゆきさんだからこその全幅の信頼か。
それでドンピシャだったりクオリティーの高いものつくれるっていうのは「誰でも」じゃないだろうから、ある意味あまり参考にはならなかった。
この作品においては、波板吊るすアイデアと床の布に穴が開いてるのとの2案出てきたのを「両方で」とオーダーしたとか。
観に来た
松本雄吉さんに「こんな汚い舞台美術ないでー!(褒め言葉)」(ラストに向かって、ドアポストからの郵便物がどんどん散らかっていく)と言われたという話をよく覚えている。
・舞台写真撮影(東京公演)
池田ともゆきさんの舞台美術は
桃園会で数々目にして、非常に影響を受けているのだけど、この作品の超シンプルな可動する黒い壁面を見たときの影響は大きく、シンプルで抽象的な傾向に向かっている自分の嗜好(思考)が再認識されて、その後強まっていくことになった。


2010/11/5〜7
AI・HALL提携公演
・東京で
緒方晋さんと知り合っていて観に行った。緒方さんは神様(と自称する役)だった。A級MissingLinkには後に
王子小劇場で公演してもらうことになる。
ちょうど、ツイッター黎明期でやや知り合いになっていた
小暮宣雄さんがトークゲストの回だった。舞台美術に関わる「テキスト / タイル〜テキスタイル」という言及されていたのを印象深く覚えている。
・歳は同じだけど学生のときは一つ後輩で、舞台スタッフとしては先輩である舞台美術の西田聖くんに
佐藤佐吉賞の賞状を渡した。その舞台美術(
壁の花団)も同業として悔し羨ましいものだったけど、この作品の舞台美術もアイホールの空間をダイナミックに使う悔し羨ましいものだった。
役者や観客の顔が死人のように見えた場面があって、照明が気になったので、どうなっているのか
葛西健一さんに聞いたら、笑顔で「企業秘密です」と言われた。(意図にハマった「客」で嬉しかったんだと思う)
・
ロロ「LOVE02」の京都公演で帰省がてら関西にいたから、当時スタッフだった
王子小劇場にツアーで来る前にアイホールで観た。この作品は先に台本も読みつつ、林さんが前宣伝で色々と雑学の小ネタを広げて来るのを拾いつつ
広報支援してた上、後年の再演も含めると多くの回数上演観ることになる。
ツアーでやって来る作品なら、出来るだけ事前にチェックするし、すべての公演出来る限りの広報・集客支援しようというのは、当時劇場スタッフとしての自分の姿勢だったが、舞台美術プランナーとして作品に関わる際も変わらない。
2014/2/6〜10
・【B】(大熊ねこ・森川万里)キャスト。観劇してバラシ手伝った。
舞台写真とかググっても出ないので、ざっくりとした記憶になるがアイホールの空間に「野外感」を強く感じた。この印象が後の、
優しい劇団の大恋愛Volume伊丹「
なるべく終わらないカーテンコール」につながってる気もする。
自分が東京から関西に移って(戻って)すぐだったので、
深津さんにも桃園会の皆さんにも、よい挨拶回りになった。
2014/2/28〜3/2
・仕込み増員ていうか、押しかけ手伝い(引っ越し挨拶・営業がてら)。実はアイホールの仕込みは、初(バラシしか参戦したことなかった)だった。
2014/3/8〜9
・終演後の乾杯みたいな席で、当時アイホールスタッフだった木原さんを紹介していただいた。にもかかわらず、もはや
東京の劇場の人でもないし、このときはまだブラブラしている(大道具も舞台美術もしていない!)人だった。
しかし、後に
無名劇団に紹介していただくことになる。顔はつないでおくものだ。
2014/3/21〜23
2014/5/9〜12
・仕込みバラシ増員。
higeさんがいるので当然のようにバラシの搬出で雨が降った。噂に聞いてはいたが、食らったのはこのときが初。
本若名物「アスレチックみたいな舞台美術」「八つ墓村(状態)」というワードを知る。
2014/5/30〜6/1
・「おなかごしのリリ」のみ観劇。
若旦那さんが人間じゃないものや異星人や死人の役
とか多いのは有名だと思うが、自分にとってはこのときの「登場人物のなかで唯一、実は死んでる人」の役が初だったはず。
2014/6/7〜8
・観劇後、座組みのひとびとと「
すし楽」に(初めて)行った。
2014/7/4〜6
2014/7/11〜14
・終演後トークに
深津篤史さんが出る回を観劇。言葉を交わすことはなかったが、深津さんの姿を見た最後の機会になった。今にして思えば、それがアイホールだったというのは運命的なものを感じる。
・バラシ増員
2014/9/26〜28
2014/10/3〜5
2014/10/23〜26
2015/1/16〜19
2015/2/18〜22
2015/2/28〜3/1
2015/3/13〜15
・仕込みバラシ増員
2015/4/24〜26
2015/8/6〜9
2015/10/2〜4
2015/11/13〜16
2016/2/6〜7
2016/2/26〜28
2016/8/6〜7
2016/9/2〜4
・実は、この時はじめて観たのだけど、ラストはこの空間で観ること出来て良かった。
狭い劇場で見る驚きもあると思うが、広さ・高さによる突き抜け感がアイホールの空間ならでは。
・観に行ってバラシ手伝った。
・ちょうど、翌週に向けて確認に現調行きたいなー、とスタッフが知り合い(だったら相談、お願いしてお邪魔させてもらう)かどうか調べてたところに、仕込み増員うかがいの連絡が入った。観劇は予定合わなくてかなわず。
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2017/6/10〜11
・舞台美術プラン
舞台美術プランナーとしては初のアイホール。
搬入車両はバン(キャラバン)1台だったけど、劇場備品の平台箱馬すべて使い切り!
予算(作業物量)抑えるためもあり平台箱馬2段階で組んでるところもある。
あとから見返すと自分で引いた図面なのに、ちゃんと理解するのに10分以上かかる複雑な台組みだった。色んなひとにごめんなさい。
そして装置の番号札(暗号)に数種類の相番(位置番頭と出す順番の番号)と、意味のわからない数字だらけで、これも色んなひとにごめんなさい。
暗号は「暗号」だから、その意味はあって、解読表があるのだけど、秘密にしないと暗号にならないから劇中で通信(暗号)兵役だった堀内充治さんにしか見せていない。
ただし、後に「
アイホール・セノグラフィー2002-2022」の自分」の展示では、ギリギリ読めないくらいのサイズで紛れ込ませはした。暗号である番号札は劇中終盤、「終戦」の場面で秘匿廃棄される。戦後語られる真実として、よき年数(どのくらい?)経ったら種明かししてもよいのかもしれない。
アイホールの仕込みでネックになることの一つにタッパが高く、照明シュート(フォーカス、灯り合わせ)のために
ジニー(高所作業台)を走らせる必要があって、床の昇降をどのタイミングで出来るか?ということがある。
この時の舞台美術プランは、全体を+400に上げた上でそこ(±0)から−600(劇場0レベルから−200)下げた箇をつくったり、台組みをしたりするものなので、床を昇降しないと舞台美術仕込み作業がまったく進まない。
そこで、吊り込みの段階で仮シュートするのと、台組みに絡むところを先にジニーシュートしてから少しずつパズルのようにジニーを逃がしていく、というような作戦をとったはず。
アイホールの正方形に対して45°回転させた正方形の台組みに2面客席という変形なので、照明プランナーの檜木さんが一瞬「自分がどこにいるのかわからなくなる」という場面も発生した。トラス(バトン)に正対してない・ひねってるというのは照明としてやりにくかったはず。
アイホールが正方形をコンセプトにしているのは「正面性を排したかった」と、設計者の
歌一洋さんから後にうかがうことになるのだが、このプランするときになんとなくその印象は無意識にあった。
無名劇団さん、初のアイホールを下見したところ「これは誰かに頼まなければ無理だ!」となったらしく、そこで当時のアイホール担当スタッフ・木原さんが自分の名前を挙げてくれたらしい(なぜか)。しかし、木原さんも自分の連絡先知らなかったので、オファーの連絡は団体からツイッターDMで来た。木原さんがなぜ自分を挙げてくれたのか聞いてみようと思いつつ、機会なくそのままである。
ずっとつき合うのは疲れるけど、たまに遊ぶと面白いオジサンなのかもしれない。
なので、ちょっと勝負どころとか何かに初チャレンジな公演の団体さんとか、お気軽にどうぞ。
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2017/12/15〜17
2018/1/26〜29
・仕込みバラシ増員
2018/6/9〜10
2018/12/7〜9
2018/12/14〜16
・仕込み増員。バラシてはいないが観劇もした。
2020/1/17〜19
・演出というべきか舞台美術というべきか、その両方「そうきたか!」と初演関係者(チラシ写真・舞台写真)として楽しかった。
映画であの歳であの役出来てる
原田知世バケモノだなと思ったけど、
紙本明子さんもかなりバケモノだと思った。
2020/1/25〜27
2020/7/10〜13
・仕込み増員
加えて若者数人手配。それぞれ舞台監督や大道具続けているから、良い機会にしてもらえたんじゃないかという気がする。
2021/5/21〜23【中止】
・仕込み増員
増員というか、
higeさんと直接話して相談したいことあったから押しかけたんだった。まだまだコロナで暇だったし。
同様、買ったばかりの
ボッシュ10.8V丸ノコも見せびらかしたくて持って来てたら、切穴のクリアランスを現場で調整カットする事案が発生して役に立った。照明シュート作業盗みつつだったけど、、、
どちらも「
文化庁のん」で買いました。ちゃんと使ってるし活動継続してるから正しいはず。
2021年7月〜8月
・旧知の燐光群制作・古元さんに頼まれて、照明増員手配した。手配(紹介)しただけで仕込みには行ってないが、観劇はした。まだこの頃は、久しぶりだしせっかくだから飲みに、とはいかなかったはず。
いかにトラスを早く飛ばせる状況に出来るか?照明さんの作業を見て(普段は並行して自分らも作業してるから、じっくり観察はしていない)工夫出来るところのヒントを得るために。
せっかくなので、装置の建て込みも少し手伝った。
そして、このとき(見学だから余裕あってブラブラしていた)アイホールの3Fが元々はギャラリーとして設計されていることに気がついたので「
試作と努力、舞台美術」の企画を思いつくに至る。
・仕込み増員
2021年に中止になった公演のリベンジで同じ舞台美術・装置でもあったから、様子わかってるということで今度は普通に発注されての増員。
都さんが「こんなふうに一緒に仕込むの意外とめずらしいー」て楽しそうだったので、記念に撮っといてみた。
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2022/6/4〜5・6/11〜12
なんなら選考会議終わりの
三田村啓示さんも店に立ち寄っている。 スケジュール帳カレンダーの記録によると、どうやら2021年の8月18日だったらしい。
選考結果を知るのは公式に発表されてからだが、奇縁。
たくさんの過去チラシ・公演の話題ですごく盛り上がっていた。
アイホール存続問題が話題になっていた時期なので取材記者さんも来ていた。興味深い昔の話が展開される2つのテーブルに挟まれて三田村さんが身悶えていた。
この2団体が選ばれたことは9月には発表されていたので心構えしてはいたのだが、なぜか
努力クラブからの連絡は公演まで4ヶ月切った頃だった。
レギュラーでやってる団体とはいえ、今回「も」お願いされるのか、今回「は」無しなのか、声かかってなんぼ。特に舞台美術は予算の都合やなんやかやで、立てる公演もあれば、立てなかったりもしがちカットされがちだし。
こちらから聞きにくかったりもする。特に
努力クラブはなんもなくても「やりそう・やれそう」だし、やってるし。
皆さん(世の中のたくさんの劇団・公演主催者)連絡はお早めに!
(あと、レギュラーの外注スタッフいる場合は、それぞれの都合聞いてから公演日程検討しましょう!)
色々「決まってない」とか「台本が出来てない(構想も定まらない)」とか気にすることありません。自分の場合だと、最低限どこの劇場ということさえあればゼロではなく、わずかでも舞台美術プランはスタート出来たりします。早めにわかっていれば(安くで)用意出来る物や可能になることが発生したりもします。隙間時間に考えたり調べたりが積み重ねられるから、同じプラン料でもお買い得です。
というわけで、2団体共同作戦の立ち上げは遅いスタートでなかなかにバタバタとしたのだが「
試作と努力、舞台美術」という展示企画+ファイナルということで、過去「
break a leg」チラシ・舞台写真とサインパネルの設置、「
break a leg ステッカー」製作、幟(のぼり)やターポリン看板の設置、などを決行することになる。
(まず、ここで山口さんを巻き込んでしまった!)
舞台美術が両方自分なので、2団体分まとめて搬入しまとめて搬出するという「お互い様」協力で車両費を抑える、というのが発想の原点で、2団体の間に空いてる1日のうち1日と半日を自分が毎年やってる
舞台美術WSをするために(個人的に)借りて、残り半日を後半の
プロトテアトルが前乗り稽古利用で借りる、ということで「2週間居っ放し」を企んだ。
「2週間、装置が置いておけるんなら、2週間展示出来るんじゃないか?」
と、思いついたこと「どう思います?」と、
higeさんに相談してみたら
「全部やったらええんちゃいます?」て言われた。
2団体の作・演出2人がそろってアイホールに来るし、ホールも空いてるっていうので、チラシ写真撮影の日に自分も立ち会って、その後いっしょに劇場下見した。
この時点で、
努力クラブのほうは「すり鉢階段状の台組み」と「トラスタッパ下げ目」でいく方向性、
プロトテアトルのほうは「基礎床を下げる」のと初演を踏まえたラストシーンの方向性、はなんとなく見えていたんだったと思う。しかし、ついでなんでトラスも床も色々に上げ下げ試して見てみることはした。
却下になったけど、ことのとき試したトラスタッパが段違いになってるヤツは個人的にはなかなか楽しそうだった。
素の空間を演出家といっしょに下見して、あれこれ話すという時間は舞台美術プランする上でとても大事で貴重。いつも必ずしも出来るとは限らないし、ゆっくり時間かけれれるとも限らないが。それだけに、スケジュール調整には最大限努力したい。
下見の後3人で、
純白そば月山で飯食って帰りの電車もいっしょだから、色々と話した。何を話したかは覚えてないけど、それぞれの今回の作品とか打ち合わせ的なことはわずかで、なにか演劇の話だったはずだとは思う。
こういうの、すべての劇場でやればよいのに、とずっと思っているし機会と余裕があればまたやりたい。
劇場のひとは、劇場近くのよい店・おいしい店を知っているはず。
そして、別にオープンにして悪い情報じゃないんだから共有すればいい。
公立ホールだとなかなかそうもいかないと聞く。
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・企画・プロデュース
3つとも、とてもやりたかったこと。
3Fが本来ギャラリーとして設計されていたということに気がついたとき、さてでは何を展示するのかといえば、アイホールでの過去の舞台美術をふり返っておく、というのは今しか出来ないだろうと考えた。
アイホールが閉館するなら、その最後に舞台写真だったりチラシだったりの展示でふり返る展示が行われる可能性はある。しかし「舞台美術」」に特化したものはきっと行われないだろう。
そもそも「舞台美術展」がそんなに行われていないが、必要だとも思った。
過去といっても初期の公演のスタッフクレジットまでは「
アイホール非公式アーカイブ」でも拾えていないので、ちょうど
山口良太さんの作品「
2002/2022」にも合わせて、切りよく2002年〜の20年という括りにしてリサーチ。最終的に出展いただけた方+数名の方に連絡をとった。
出来るだけ多くの方に出展して欲しかったので、当日現地で展示作業出来ない方もこちらでやります、なんなら過去図面の掘り起こし(アイホールに残る打ち合わせ資料から)〜展示まですべてお任せの展示するOKだけでもください、という相談もした。
この展示準備〜展示作業に加え、なんせホール内の舞台美術タタキ〜仕込みが同時並行でもあるので、自分自身の展示はあまり時間をかけて手を凝らしたものに出来なかった。
まあ、皆さん一定限られたスペース(壁面900✕1800程度分)で等分しているなか、自分は1Fホワイエで存分に装置現物とかも展示してるから、その時点でズルいことにはなってるのだが。
アイホールの空間を色々な舞台美術家がどのように使ってきたか?という展示を、これまで知る限りギャラリーとして使われて来なかった3Fで行うのなら、ぜひアイホールを設計した
歌一洋(
歌一洋建築研究所)さんに見ていただきたくてお声がけして来訪がかなった。
アイホールを設計した際に考えたことなど以前から聞いてみたかったというのもある。
言葉少なにいくらか話していただいたが、竣工当時に雑誌に載せたものに詳しく書いてあるとのことで貴重な切り抜きをいただいた。
「アイホールが、仕掛人=プロデューサーの力を借りなくても、多くの人びとに私たちの想像以上の使われ方、演出のされ方で日常的に稼働されることを念願している。」
-「新建築」1989年2月号、アイホール設計者・歌一洋 [wiki] 氏のテキストより-
記念写真に写ってる「
アイホール・セノグラフィー2002-2022」の「看板」ぽいもののベース(面材)は自分が塗装作業するときに養生ベニヤとして使い続けているもので、アクションペインティングの抽象画みたいになっている。その後、実際に舞台美術・装置として使いたいという団体が現れて貸し出したこともある。
看板製作〜一日目の展示作業色々は
サカイヒロトさんにお願いした。
1Fホワイエで上演中2団体の舞台美術展をするというのは、舞台美術に興味を持ってもらい3Fの展示へのフックにするというのと、上演中作品の模型を展示するというのは見かけるけど「模型じゃなんだかなあ」という思いが自分にあったので、両団体の装置で残してあるもので空間をつくった。
公演のない日の昼間、通りがかり親子連れの子供が箱馬を積み上げては「ばあーん!」て崩して「これ、積み木やでー」と言って遊んでいた。正しい。
そもそも「
ノクターン」の作品・舞台美術コンセプトは、まさに「それ」だった!
もちろん上演中作品の図面は展示して、
努力クラブ「
誰かが想うよりも私は」の方は模型つくっていたので、それも並べた。「
ノクターン」の模型や装置の積み木と共に、これもやはり子供が遊んでいた。
どちらもよくある感じの舞台美術模型ではなく、木でつくった荒々しくて丈夫なものなので触って遊んでもらってよい。
努力クラブのほうは、今回慣れない段差の立体的な空間なんで動きのシミュレーション(と一部装置の検討)に使ってもらおうと人形も併せて大きめにつくった模型だったのだが、ちょっと遊んだだけで、実際にはそんなに使われなかった。
プロトテアトルのほうは、カラーリングした箱馬の構成配置や移動の検討に使ってもらおうと思ってつくったのだけど、やはりそんなに使われず、将棋崩しみたいなことして遊んで終わった。
子供もオトナもやることはあまり変わりがないのであった。
山口良太さんの作品「
2002」は、「
2002 / 2020」の後、自分の手元で保管している装置(インスタレーション作品)なのだが、2週間程度展示可能な場所とタイミングと「ついでの(搬入出車両が出る)チャンス」を待っていた。まさに、この時である。
「架空の舞台美術」というコンセプトのこの作品は今回の企画にもハマるし、ポップで目立つ黄色がよい入口になる。中学高校時代の山口さんにとって演劇の入口に
惑星ピスタチオがあって、その一連でアイホールにも訪れていたというストーリーも熱い。(「
2002」の前日譚!)
ならば、これをやってみたらよいのでは?と思った。
「
2002」はただそこに建てるだけでなく、
山口さんが在廊したりもしつつ、毎回なんらかのイベントを企画している、そういうの込みの作品になっている。今回は、毎日ツイッター「スペース」を「
2002」の中で公開放送のようにやりつつ、外にも少し音を流すというのをやってみた。
音響に関しては
BGYさんにご協力いただいた。加えて「
INDIPENDENT(最強の一人芝居フェスティバル)」のインターバルDJもやっているので展示オープン中流す会場BGM「2002〜2020」MIXつくってくれた。
せっかくなのでカセットテープに入れて「
ノクターン」の舞台装置「掘り出されたラジカセ」(舞台美術でエイジングかけた)で流した。
さて、実際に平日も展示をオープンし、入口に「
2002/2022」を配してみた結果、それなりに演劇に縁がなさそうな市民の方にも来訪いただけた手応えはあった。
あと、この時の手応えとして感じたのは「幟(のぼり)」の効果である。
実際の効果は道行く人を見ての「肌感」でしかわからないけど、それだけでなくやっていて「楽しい」というのも大きかった。だから、
優しい劇団の大恋愛Volume伊丹
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2022/6/4〜5
アイホールの床昇降を利用した山の上に(地形を利用した)城を建てるような建て込み。
すり鉢状・階段状の台組み。基本コンセプトは演出オーダー。
相変わらず?劇場備品平台箱馬ほぼ使い切り。
平台・箱馬はむき出しに、木脚は赤く塗装。背景に少しアールのホリゾントパネル。
作品の中で起きるドラマは具体的な指定が少ない複数の場所がどんどん入れ替わり進む。
どういう舞台美術・空間にするか?というヒントは物語の中には少なく、作・演出の無意識的なイメージにあった「
植田正治の一枚の写真」から
植田正治の数々の作品に広げて着想し、軽くアールがかかった背景パネルを加えた。このあたりのことは、
三田村啓示氏による稽古場レポート
https://www.aihall.com/2022b-a-l-keikobareport_doryoku/ でも少し触れられている。
山口良太さんも色々なサインづくりや
break a legを振り返るボード展示に走り回ってくれたり、なかなかの文化祭状態だった。
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2022/6/6
・企画・進行
いつもなら、各グループ別れてのプラン〜実作業の際も全体進行にまわっているのだけど、この時は久しぶりにグループを担当したくて後半の全体進行を
higeさんにお願いした。
アイホールは
このワークショップ続けてる中では過去一広かったので、いつもより参加者多く募集して、グループワークも一つ増やした4チームにした。
いつもは全体の進行をするのだが、今回はチームも一つ多いしすでに勝手がわかっている
higeさんさんに後半の進行をお願いして、1チームの創作・製作を担当できたのは久しぶりで楽しかった。
ナビゲーターにはアイホールでの舞台美術プラン経験ある人たちばかりに加え、劇場の技術管理メンバーである
谷本誠さんにも入ってもらった。
アイホールだったら、ショーイングで搬入口開けるグループ発生するかな?と思ったら、やはり一つありました。管理の人に参加してもらっててよかった!
参加者、いつも以上に小劇場で活躍してる役者さんとか(アイホールの舞台立ったことある人も)多かったのは、きっとアイホールゆえ。
このワークショップ続けてて、舞台(美術や大道具、舞台監督)スタッフになったという人はわずかだけど、演出家や俳優・ダンサー・色々な人が経験してみる機会というのは意味があると思っている。
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2022/6/11〜12
[
break a leg ]
・舞台美術プラン
努力クラブと対照的に、舞台上に台組みは一切なし。
昇降床を下げるのと周りを上げるので四角く下がった空間をつくる。
上空に4500✕4500(につないだ)パネル(厚み見込みあり)を3次元的に傾斜させて吊る。この吊り点とワイヤーの長さの調整がキモなのだけど、図面上計算と最小限の調整でいけた。本当は、そのためにトラス下げての詳細な現調したかったのだけど、もろもろやり過ぎていたのでその余裕なし。
パネルは一発物で製作〜搬入とかもちろん無理なだけでなく、2公演まとめて満載テトリスな積み込みのせいもあって、劇場入りしてからつないで目地を埋めるところ数カ所。吊る前に可能な範囲は、前日の半日「WSの片付け」で借りてるのと、もう半日稽古で借りてる傍らで作業。この手を使わないと無理な舞台美術だった。そのつもりでプランしたけど。
こんなに照明にとって邪魔になる巨大な物体が上空にある舞台美術だというのに!
上空の最大の舞台装置は、黒いので劇中場面での舞台写真にはほぼ「写っていない」
われながら自分の舞台美術プランは、自分で撮っても満足に記録するの難しいことが多い。
河西沙織さんからも「撮りやすかったことは、、、ないですね」と、お墨付きだ。
ほら、プラン段階で下書き図面切ったり折ったりした「ちょー雑な模型」のほうがわかりやすい。(この段階では傾きが逆だけど) 自分はこういうインスタントな模型っぽいもので試てプランすることが多い。早いし安いし簡単にやり直せるし稽古見ながら出来る。あんまり精巧なのを一生懸命つくってしまうと、「違う」ということになってもスクラップアンドビルドしにくい。
舞台面を下げるという美術・演出だったのだが「見える」ためにも、また演出イメージ的にも見下ろしが必須。割と傾斜・段差つけた客席設計をしたのだが、
break a legが共催企画だからということで段の奥行きを1200に広げる指定があり、なかなか複雑でヘビーな客席組みになった。幸い木脚類は
努力クラブで使った物を一部カットしたりで流用可能という、今回ならではの作戦。
まだコロナのこともあって打ち上げはしなかったけど、一部の人々だけで少しだけ「
すし楽」に寄った。
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しかし、作業しに早く帰ろうと思っていたものの「良いタイミング?」で劇場スタッフさんと「ついでの」打ち合わせになって時間とられた。まあ、当日限られた時間の中で「?」となるよりは、前もって詰められることは詰めておいたほうがよい。